AIのゴッドファーザーとGoogleの縁 出遅れ日本に教訓

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2020/2/12 2:00
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人工知能(AI)があらゆる産業で変革を起こすなか、世界の主要企業の人脈をたどると「AIのゴッドファーザー」と呼ばれる研究者に行き着く。カナダのトロント大学名誉教授、ジェフリー・ヒントン氏だ。「冬の時代」も研究を続け、成果を出した後は米グーグルにも身を置いた。研究と実用化の両面で革新を主導した人物から、AIで出遅れた日本の教訓を読み解く。

「64歳の私は最も高齢のインターンだったと思うよ」。ヒントン氏が冗談交じりに振り返るのは、2012年の夏の出来事だ。グーグルの研究所に客員研究員として招かれた。ただ働けるのは2カ月。通常は任期が半年間の客員研究員にはなれず、制度上はインターンとして働いた。

ヒントン氏はAIの代表格であるディープラーニング(深層学習)の中核となる論文を06年に発表した。ブームが去った「冬の時代」にも研究を続け、AIのゴッドファーザーとも呼ばれる。18年にはコンピューター科学のノーベル賞とされる「チューリング賞」を受賞した。

インターンでグーグルへ

名が世界的に知られたのが12年の画像認識の大会だ。トロント大学のチームが2位を引き離した高い精度で優勝し、AIの可能性を示した。第3次とされるAIブームの起点となった。なぜグーグルは同年にヒントン氏をインターンとして招くことができたのか。

誘ったのはAI研究者のアンドリュー・ング氏。スタンフォード大学で研究する傍ら、グーグル創業者のラリー・ペイジ氏に会食で直談判してAI研究所「グーグルブレイン」を立ち上げた人物だ。ヒントン氏とは学会などでアイデアを交わす仲だった。

グーグルブレインが本格始動する前、ヒントン氏が後に研究に加わる伏線があった。

「最近は何をしてるの?」。エンジニアのジェフ・ディーン氏はキッチンで出会ったング氏に話しかけた。「うちの学生が面白い結果を出してね」。AIの精度はコンピューターの計算能力で決まるという結果をング氏が話すと、ディーン氏は可能性に共感した。

ヒントン氏はインターンとしてグーグルで過ごした夏にディーン氏と働いた。ディーン氏は当初、AI研究に就業時間の2割を充てていたが、次第に割く時間を増やしていた。「知的でかつオープンな素晴らしい人物だ」。ヒントン氏は20歳も若いディーン氏に同僚として魅力を感じた。

13年にグーグルはヒントン氏らの会社を買収し、人材ごと囲い込んだ。12年後半には、他にも多くの企業がヒントン氏のチームを採用しようと動いていた。ヒントン氏がグーグルを選んだ決め手がディーン氏の存在で、「もし彼がいなければマイクロソフトに行っていたかもしれない」。

企業は高い報酬だけで人材を集めようとしがちだが、ヒントン氏は「研究者が協力するには強い個人的なつながりが重要だ」と語る。インターンでグーグルの研究環境とチームのメンバーを知ったのは、ヒントン氏の選択に影響を及ぼした。

研究成果を素早く製品に

ヒントン氏はグーグル入社にあたり、1つの条件を出した。「大学にも残りたい」。トロント大学の研究室に博士課程の学生を抱えており、大学とのつながりを保ちたかった。そこで就業時間の半分をグーグル、残りを大学での研究などに充てることにした。

グーグルはヒントン氏らの研究成果を次々と製品に応用した。例えばヒントン氏のチームが12年に示した高精度の画像認識AIは写真サービス「グーグルフォト」に搭載。他にもAIスピーカーや自動運転などあらゆる領域に活用している。

ヒントン氏はグーグルが素早く技術を応用できる理由を「基礎研究のチームが製品化を手伝うシステムがある」と指摘する。基礎研究と製品化のチームは縦割りの組織では分かれがちだが「それではうまくいかない」。

ヒントン氏の門下生たちは世界中のトップ企業に散らばり、AI革命の旗手となっている。ともにチューリング賞を受賞したニューヨーク大学のヤン・ルカン教授はフェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)に請われて同社に加わった。

第3次ブームの影に日本人

日本は第3次AIブームで存在感を示せていないが、可能性がなかったわけではない。実は今の技術の礎を築いた2人の日本人研究者がいる。

学生だったルカン氏はヒントン氏と出会う前の1980年ごろ、パリの図書館を歩きAI関連の本を探した。第1次AIブームが去った70年代は欧米の研究者による資料が見つからなかったが、ルカン氏は甘利俊一氏と福島邦彦氏という研究者の論文を見つけた。日本は研究のエコシステムが欧米と違ったため、冬の時代も研究していた。

東京大学名誉教授の甘利氏はヒントン氏が貢献したAIの精度を高める技術に通じる理論を提唱した。ヒントン氏は「(甘利氏は)影響力のある研究者だ。一緒に研究したかった」と語る。

一方、ルカン氏は「福島氏の論文からインスパイアを受けた」と振り返る。NHKの研究所で視覚について研究していた福島氏は、画像認識技術「ネオコグニトロン」を開発した。ルカン氏はこの技術を応用して画像認識のAIを発達させた。

なぜ日本はAI研究が弱ったのか。福島氏は「日本の研究はブームに左右されやすくなってしまった」と嘆く。甘利氏は「短期的な成果を求めない研究環境が重要だ」と指摘する。約40年間の研究が花開いたヒントン氏も「日本は好奇心に基づいた研究に対する投資が十分ではない」と語る。

日本は基礎研究見直し必要

カナダはAIを軸に世界から企業を招き、産業界と研究機関が連携するエコシステムを確立した。日本は研究人材が不足し、産学連携も出遅れが目立つ。主力技術で欧米勢と差を埋めるのは難しいが、AIはすでに実用化を競う段階に入っている。最先端の研究を常に取り入れ、独自の領域に応用できるはずだ。

手段の1つは世界のAI人脈に加わることだ。例えばアイシン精機は2019年、「カナダのAIマフィア」の一人、モントリオール大学のヨシュア・ベンジオ教授らが創業したカナダのエレメントAIと共同開発を始めた。

ただトロント市の担当者は「一般的な日本企業は意思決定のスピードが遅い。社内で検討していても、外から見ると興味がないと勘違いされてしまう」と漏らす。

トロント大学はジェフリー・ヒントン氏を筆頭に世界的なAI研究者が集まる

トロント大学はジェフリー・ヒントン氏を筆頭に世界的なAI研究者が集まる

技術革新が生まれる段階には研究と実用化の2段階がある。研究はブームに流されない研究者の信念が肝要だ。ひとたび可能性のある技術が生まれれば、研究と近い距離で即座に動ける米グーグルのような企業が実用化で先んじる。

グーグルは次世代技術の開発でも先行する。19年には最先端のスーパーコンピューターで1万年かかる問題を、量子コンピューターで3分20秒で解いた。

AI研究が革新を生んだ過程は他の技術にも通じるだろう。日本はAIの失敗を踏まえ、技術革新の可能性を秘める基礎研究の価値を改めて見直すべきだ。ヒントン氏は「若い研究者は直感を信じて追究してほしい」と話す。

研究者が自由に研究できる環境を整えるのが、日本が技術大国への再興をめざす第一歩だ。

(企業報道部 清水孝輔)

[日経産業新聞2020年2月7日付]

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