書いてはいけないようなこと①~ひきこもり編~
テーマ:★
書いてはいけないようなことだと
わかっていても、開示するとしたら
書いておきたい。
ブログのカテゴリからも
わかるように心屋塾・美塾・女神塾
にふれてきた。
心屋塾を知るまえは
ひきこもりだった。
職を転々としても長く続かず、
住まいの家賃を上げてみたら
収入が追いついてくるんでは
ないかとやってみるも、払えなくなって
実家に戻った。
実家は熊本の田舎で、
プライドの高いわたしは
親の知り合いのところなどで働いたり
もっともじぶんの知り合いにも
会いたくない状態だった。
なぜひきこもったのか?
よく思いだせない。
職が続かず実家では
職を探す気もならず
気持ちがふさぎこみ
外に出られなくなった。
とにかく恥ずかしかった。
人に会うのも恥ずかしかった。
そのままの状態をみせれなかったし、
良く見せようとする愛想笑いも
きつかった。
スーパーへの買い物すら、
親にかくれたようにしていた。30代で。
ひきこもりは2012年ころだったかな
よく覚えていない。でもそのころから
親にお金を貸してもらって
生活していた。
収入がなかったから、
市が所得の低い人にだす
臨時金の対象になっていた。
あ この流れだと書ききれない・・。
ざっくりいうと、
ひきこもり→心屋→美塾→女神塾
の順だ。
ひきこもっていたときは
もう社会でお金を稼げないと思っていた。
もう100円たりとも稼げない仕事できない
社会で働けない。と思っていた。
なんのとりえもなく長続きしない。
社会人としてやっていけない。と
その気力も自身もまったく失って
ただ自分の部屋で心屋のブログを見る毎日。
ただ息してるだけ、なのに税金はかかる
生きているだけでお金がかかるなんて
死んだ方がマシだ。家族に迷惑かけている。
と思っていた。
なのに外にでて仕事するどころか
出歩くことすらしたくなかった。
親の いってきます。と ただいま。
に罪悪感を抱いていた。
なのになにもできないわたし。
体は若いのに働けない。
働きたいとも思わない。
親はなにも言わずただ坦坦としていてくれた。
つづく・・
みか