このコメント欄に寄生する荒らしは(他にもいるが)、何年このブログに寄生続けりゃ気がすむのかねえ。日本人が自分のことをジャップと言う、黒人同士でニガーと言う、そういう皮肉や自虐を全く受け付けないんだな
はてなに住む日本リベラルの中には、ジャップという単語を好む者がいる。
この中には、id:ribbentrop189 のように、「黒人同士でニガーと言う」からジャップだって問題ないと言う者もいる。しかし、これは「大いなる勘違い」である。
「黒人同士でニガーと呼び合う」というのは、たしかに事実である。しかし、その単語が使われる時(より正確に言うなら、使って許される時)、そこに「皮肉や自虐」は存在しない。あるのは、黒人が共有する「先祖が耐えてきた差別の歴史」であり、「そんな歴史を笑い飛ばそう」という前向きな気持ちだけだ。だから、黒人同士であっても「皮肉や自虐」の意味で「ニガー」を使った時は、白人やアジア人が使ったときと同様、「ニガー」は即座に、人種差別用語(Nワード)となる。
こんな事件がある。ウィスコンシン州のある学校で、黒人警備員に、黒人の生徒が「ニガー」を含む数々の差別的な単語を警備員に浴びせた(誤字ではなく、双方ともが黒人である)。
I’m not your nigger. (直訳するなら「私は貴方の黒人ではない」、意訳するなら「私をニガーと呼ぶのを止めなさい」だろうか)
すると、この「ニガー」という単語を黒人生徒に使ったことが、学校の倫理規定に反するということで、問題となった。機械的に「黒人生徒にニガーと呼びかけた」ということで、警備員は解雇されたのである。これは世が知るところとなり、論争が起きて、大学は批判された。結果的に、警備員は仕事を取り戻すことが出来た。そして、生徒は「攻撃的で人種差別的な単語を呼ぶのをやめろ」と命じられている。黒人の中には「私はニガーと呼ばれたくない」という人だって、当然ながらいる。そして、嫌がらせのために、同胞たる黒人を「ニガー」と見下して呼びつけるという、見下げ果てた黒人だっているのだ。
ttps://www.nytimes.com/2019/10/18/us/wisconsin-security-guard-fired-n-word.html
ttps://madison.com/wsj/news/local/education/local_schools/black-madison-school-staffer-appeals-firing-for-repeating-student-s/article_8aab312d-ee4d-5149-9cf3-fa68aff58629.html
ttps://www.courant.com/opinion/op-ed/hc-op-harris-n-word-crime-1114-20191114-ycy7ufgcjjasxfwnq2udxxtlmu-story.html
このように、黒人だって、無制限に「ニガー」という単語を使うことが許されているわけではない。黒人がニガーを使い、そして許されるのは、あくまで「友人」など肯定的な意味合いで使っているからなのだ。そこには「ニガーを良い意味で使用し続けることで、ニガーという単語の差別的意味合いを薄めよう」という、彼らが受けてきた苛酷な歴史と、それへの反発心が積み重なっている。
(批判、差別、揶揄など、人によって様々であろうが)日本のリベラルが「皮肉や自虐」の意味(本当に自虐が入っているのかは、彼らのコメント群からは読み取りづらいが)で「ジャップ」と気軽に言う感覚とは、全く別種のものであるということは知っておくべきだろう。
また、「ニガー」は「白人は使ってはならない単語」と良く言われる。これは、ある種では正解だが、ある種では誤りでもある。白人が黒人に使う場合でも、(非常に限定的だが)「公の場で使わず」かつ「仲が良ければ」許される場合もある。2018年、黒人と白人の混成バンドが「ニガー」を歌詞に含む歌を歌った時、アメリカでは論争が起きた。良識的な白人は、当然ながら歌手グループを批判する意見が多かった。黒人たちはグループを擁護する者もいた。当然だが、黒人にもこのグループを批判した者はいたし、論争には「黒人同士でさえ、いかなる場合であってもニガーを使うべきではない」という意見も存在した。
ttps://www.bbc.com/news/entertainment-arts-44209119
見てきたように、当然だが、黒人同士だろうと、白人であろうと関係なく、「さほど親しくない相手」や「相手を揶揄・侮辱する意味合い」でニガーと呼べば、当然、問題になるし、黒人だってニガーと呼ばれたくない人は大勢いる。それに、文字で書くときは、あえて本来のniggerから外して、黒人英語風にわざとNiggaと書くことが多い(発音は基本的に同じ)。さらにこのNiggaという単語には、友人(もっと砕けるならダチ)という意味を持たせている。このような「工夫」を経て、ようやく「ニガー」という単語は、非常に限定的な場面でのみ、僅かながらの市民権を得ているのだ。
こんなケースだってある。あるセクハラ裁判で、黒人の上司が、セクハラ目的で黒人の従業員にニガーと言ったことが物議を醸したこともある。この従業員は「ニガー」と呼ばれることを拒否したが、黒人上司は構わず続けた。このセクハラは裁判となり、この上司は裁判の場で「私は親愛の情を持って、こう言ったんだ」と反論した。あえて強引に日本に例えるなら、ある課長が部下の女性に「(当人が嫌がってるのに)○○ちゃん」と呼び続けるのに似ているだろうか(もちろん、全く同じとは思わないが)。
ttps://www.npr.org/sections/codeswitch/2013/09/06/219737467/who-can-use-the-n-word-thats-the-wrong-question
このように、「ニガー」はとにかく歴史が長く、複雑怪奇な単語だ。その複雑さは、上記のように、黒人自身ですら上手く扱えていないほどである。少なくとも、日本リベラルが気軽に口にする「ジャップ」には、ここまで深い歴史も複雑な事情も含まれていないし、含めようとすらしていない。ジャップと実際に呼ばれ、差別された日系アメリカ人の苦難の歴史に対するリスペクトなど、皆無である。まして「友人(ダチ)」という意味が込められているとは、彼らの普段の言動およびコメントを見れば、誰も考えまい(そもそも当人たちが「皮肉や自虐」と言っちゃってるし)。
黒人の間でだって、社会的合意があってこそ、「ニガー」が使えるのである。アメリカ以外の土地でも、欧米系言語を使う場所では、ニガーと類似した単語が存在する場合が多いが、これを使えるかどうかは、非情に難しい問題だ。例えば、(軽く調べた限りでは)フランスでは白人も平気で使えるという。一方、ブラジルでは黒人の間ですら嫌がられる。
日本において、日本人同士で親愛の情をもってジャップと呼び合おうという社会的合意など存在しない(少なくとも、ネットニュースを含むテレビや新聞などで巻き込むほど強烈な議論など存在しない)し、ジャップという単語にダチという意味も付属していない(日系アメリカ人の間では、たまに見られるという話も聞くが、それは「被差別民だから」という共有の歴史があるから許されるのである)。そんな単語を日本において使う時点で、日本リベラルの語る「ジャップ」に、親愛の情など含まれていない。そもそも、この手の単語は受け取る側がどう感じるかが問題であり、「俺はこういう意味で言った。だからお前も受け入れろ」は通用しない(上記のセクハラ裁判でもそうだが)。
この問題は根深く、アメリカでも、たまに日本リベラルのような人が出てくる。白人が(侮辱的な意味で)ニガーという単語を使って問題になった時、いつも同じ言い訳が聞かれる。「黒人同士でニガーと呼んでいるのだから、我々が使ってはならない理由はないだろう?」「これは親愛の情が含まれているのだ。問題視するのはおかしい」とね。当然だが、こんな白人は「黒人同士でだって許されない場合はある」なんて想像する力はない。
ttps://www.huffpost.com/entry/stop-saying-nigga-if-your_b_8190836
ttps://www.theatlantic.com/ideas/archive/2019/08/whites-refer-to-the-n-word/596872/
ttps://www.huffpost.com/entry/why-explaining-the-n-word-to-non-black-people-is-so-damn-exhausting_n_5910cb2de4b0d5d9049eef86
ttps://www.theroot.com/why-its-ok-for-black-people-but-not-white-people-to-u-1826255011
また、アメリカ建国期には、イタリア人もまた黒人として扱われ、ニガーと呼ばれていたりする。「ホワイトニガー」や「ニガーワップ」とも呼ばれていた歴史があり、当然だが、イタリア系アメリカ人はこの呼称を好んでいない(そもそも、自分たちが黒人扱いされていた歴史を知っていない人も多いが)し、いきなり同じイタリア系がニガーと読んでも、不快感を得るだけだろう。
ttps://www.nytimes.com/interactive/2019/10/12/opinion/columbus-day-italian-american-racism.html
「ニガー」とは、それだけ複雑な歴史を内包している単語であり、だからこそ大切な言葉なのである。同じく差別される側で、肌の色も割と似ている南アジア人が「ニガー」と呼ぶことすら、黒人は拒否する。「歴史」を共有していないからだ。同じ人種ではなく、ましてアメリカに住んだこともない日本リベラルが「ジャップと読んで何が悪い」と自己正当化して開き直るために、「黒人は黒人同士でニガーを使う」という事例を持ち出すのは、その発想自体が、「私は黒人差別の歴史を何一つ知りません」と告白しているに等しい。
ttps://www.huffingtonpost.ca/arti-patel/south-asian-racism_b_14986936.html
日本のリベラルは、せめて英語版WikipediaのniggerとNigga、negroの項目くらいは読んでから、物を語るべきでだ。
日本語版Wikipediaにも同様のことは書かれているが、かなり簡素なので誤解しやすい。少なくとも、アメリカではこの単語一つだけで本が一冊描けるくらい、濃密な歴史の籠もった言葉である。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Nigger
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Nigga
ttps://en.wiktionary.org/wiki/negro
ちなみに、アメリカでは法的な意味では、白人だってアジア人だって「ニガー」という単語を使える。法的な制限はない。「ある単語を法的に制限することは、合衆国憲法に反する」という意見が力を持っている。しかし、その言葉を使ったならば、相応の責任を追うのである。
日本のリベラルに、このような複雑で憎しみと愛情に満ち、深い歴史が積み重なっているこの単語に言及できるだけの知識は、そして「使ったなら、相応の責任は引き受ける」という覚悟は、果たして存在するのだろうか。