「ダークパワー」の告発

風見鶏
古川 英治
コラム(政治)
政治
ヨーロッパ
編集委員
2020/2/9 2:00

欧米情報機関はロシアの工作活動に危機感を強めている(1月15日、モスクワで演説するプーチン大統領)=ロイター

欧米情報機関はロシアの工作活動に危機感を強めている(1月15日、モスクワで演説するプーチン大統領)=ロイター

ソフトバンクの機密情報を盗んだロシアのスパイ活動事件が発覚した。安倍晋三首相がプーチン大統領との平和条約交渉に注力するなかで、スパイ事件が公になるのは異例だ。欧州では日本に先んじてロシアの工作の摘発が相次いでいる。

「29155」。こんな呼び名のロシア軍情報機関(GRU)のエリート特殊工作部隊の存在について、いつもは口の重い欧州の情報機関高官が取材で語った。世界を震撼(しんかん)させた2018年の在英ロシア人元スパイ毒殺未遂事件や、16年にモンテネグロで起きたクーデター未遂に関与した約20人の部隊を欧米当局は特定したという。

この部隊について米ニューヨーク・タイムズも先に複数の情報当局者の話として報じている。秘密主義の当局が機密を明かし始めた理由は何か。同高官は「ロシアの工作が自由・民主主義の脅威となり政治家を動かさなくてはならないレベルにきている」と答えた。

軍事・経済力による「ハードパワー」、文化や価値観に基づく「ソフトパワー」で欧米に劣るロシアは、「ダーク(闇)パワー」とも呼べそうな裏工作で攻勢に出ている。サイバー攻撃や偽ニュース拡散などを駆使した16年の米大統領選への介入が明るみに出た後も西側の対抗策は弱く、ロシアを勢いづかせていると高官は話す。

欧州では高官の発言を裏付けるような事例が目立っている。ドイツ検察当局は19年8月にジョージア国籍の男性が白昼、ベルリンで射殺された事件にロシア政府が関与した十分な証拠があると昨年末に発表した。これを受け、対ロ関係に配慮して沈黙を守っていたメルケル政権もロシア外交官の追放に踏み切った。

スペイン当局は19年11月、同国北東部カタルーニャ自治州が17年に実施した独立を問う住民投票にGRUが介入した疑いの捜査を始めた。親ロ政権のセルビアなどでもロシアの工作員が軍関係者に接触している映像がネット上でリークされ、政府が対応に追われた。

旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン大統領の20年にわたる統治下でロシアの情報機関は肥大化した。GRU、ロシア連邦保安局(FSB)、対外情報局(SVR)の人員は15万人規模ともいわれる。各組織は独自に工作を企て、互いに競い合っていると欧米情報当局は見ている。

欧米と程度の差こそあれ、日本にとっても対岸の火事ではない。警察当局者によれば、GRUとSVRのスパイが入り乱れて活動する。表沙汰にされない政治家や官僚、記者らの取り込み工作事件は多くある。

ではソフトバンク事件が公表されたのはなぜか。日本は英国で起きた毒殺未遂事件を巡り欧米が強行したロシア外交官の追放を見送るなど、これまで一貫して対ロ関係に配慮してきた。

東京五輪を控え、ロシアをけん制する狙いもあるだろう。組織的なドーピング問題により五輪から排除されたロシアはリオ五輪や平昌五輪でハッカー攻撃を仕掛けた疑いが濃厚だ。ロシアは次世代通信規格「5G」をにらんでソフトバンクに接近したと見られ、当局は警戒を強める。

国家安全保障局(NSS)の北村滋局長が1月、ロシアを初めて訪問し、プーチン大統領と会談したばかり。その前にはワシントンでトランプ米大統領とも面会している。内閣情報官を務めたNSS局長が米ロ双方の首脳に会うのは以前なら考えられなかった。

混沌とする国際情勢には各国の権謀術数が渦巻く。日本も表と裏、硬軟を織り交ぜて生き残りを図る時代になっている。

(編集委員 古川英治)

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