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魔法世界の資本論

§2 市場システムの勃興

 近世文明システムはその価値観を共有しながらも、古代帝国のような政治的な統合が見られない。拡大期に一時的な統一が見られる事もあるがすぐに分裂を起こす。しかしながら国家による中央統制が無くとも機能する新たな社会システムが構築されているので、政治的な混乱とは無関係に社会的な安定が見られる。古代社会的な国家統制に代わる物が近代社会的な市場統制である。この市場経済システムは如何にして発生したのか。そして魔法の存在はどんな役割を果たすか。

2-1 商人的経済

 商業の専門化が近代市場経済システムの発端である。慣習経済が機能している社会では商品の仕入れは容易ではない。そこで第一に不当な方法として「盗品」(征服による戦利品もここに含まれる)の売買が考えられるが、これは恒久的な供給源とは成り得ない。第二のもっとも自然な流れとして、慣習経済からの発展、すなわち祭市における物々交換の専門化が考えられる。

 これが大規模化して大きな利益を生むようになると、部分的な専門化が起こる。この様な市が頻繁に開かれるようになると、再販売のために手に入れた財貨をその日の内に売る必要が無くなり、耐久性のある財貨は保管して次の機会に売る事が出来る。仕入れ品の安全を確保する最適な方法は市場に置いてこれを保管する事であり、更にそれをいつでも売れるようにするのがよい。こうして仲介人は一歩進んで店舗小を構えた小売り商人になる。こうして貿易が始まる。

 保管に際してその品質変化からの保護が必要となるが、更に一歩進んで加工による市場性の増大を行う場合もある。ここで商品の再販売のみを行う純粋な”商人”と加工販売を行う”手工業者”もしくは”生産者”とに分かれるが、これは技術的な区別であって、経済的には区別されない。

 これとは異なる指令経済からの発展、つまり王への貢ぎ物とその返礼という形式からの発展形も考えられる。この様な”朝貢貿易”を取り仕切る執事は商人的な機能を備えていると言える。この様な商業の専門化の過程から、慣習・指令に継ぐ第三の経済形態として「商人的経済」を規定する。これは商人階層の結合から成る計画されない経済を指す。慣習経済と違って高度に個人的であるが無秩序ではない。

2-11 市場経済を支える要素

 商人的経済が機能する上で、「財産と契約の保護」が必要とされる。暴力に対する保護に関しては都市に蝟集する事で確保される。これ以外に商人が必要とする財産に対する権利確保のために有効な法律が要求される。これはそれまでの慣習的な制度では不十分であり、政治的な諸制度の力を借りず商人達の相互調停によって拡張してきた。

 商人的経済の成長は近隣の国家をも豊かにするが、その結果強大化した君主国家は、まず相互に戦争を始め、継いでその矛先を商業国家へと向ける。この侵略者が経済的恩恵に理解を持っていれば、その制度を保護しようとするであろう。この様な国家の保護を受けた状態が第二の局面である。

 第一の局面では商人共同体が旧来の非商業的経済の中に構築されるが、第二の局面ではこの障壁が取り除かれ、市場の浸透に対して開放的となる。第一の浸透が”商人達による”貨幣の使用である。「貨幣制度」は「国家」体制と緊密な関係であったが、「国家」の創出により始まった物ではなく、商人的経済の創出物で、諸政府がそれを継承したのである。

 貨幣は遊牧民の装飾品に起源を持つ。彼らは移動生活のために目減りしない財産として金属の装飾品を身につける慣習を持っていた。彼らが農耕民の上に君臨する定住支配者となったとき、損装飾品が王の刻印を入れた為替手形に変化した。その利便性が商人に着目され経済活動に利用されるようになった事により貨幣制度は形成された。商業活動がある限り貨幣は利用されるであろうし、王の貨幣が王自身に利益をもたらす以上、王はそれを放棄しないし出来ない。中央政府と地方政府の分かれ目の一つがこの貨幣の発行権では無かろうか。その意味でユーロという統合通貨の登場はEU諸国に大きな変化をもたらすであろう。

 地中海の商業センターは法治主義のローマ人の帝国に吸収された。これによりギリシア人が生みだした商業慣習はローマ法の中に取り入れられる事になる。これが浸透の第二である。債務不履行に対する制裁として奴隷として売り払う事が行われていたが、中世にはこの債務奴隷制度はキリスト教徒により禁じられた。その為借金の利子に対する障壁が存在したが、これをうち破る手段として保証人・金融仲立人・保険と言った諸制度が考案された。これが第三の浸透である。

 この第三の浸透の中核となる銀行=金融中立人の勃興は、①政府に対する信用を補強改善した。銀行が誕生する以前は、国家への貸し付けはリスクが大きすぎるため敬遠されてきた。また②要求払い・短期払いの制度が生まれた。③預金譲渡(小切手・手形)制度が生まれ、代替貨幣を生み出す元となる。これらの事は国家の「貨幣に対する支配力」を生む。

2-2 財政国家のジレンマ 

 商人的経済の発展と共に租税収入の慢性的な不足に起因する王(国家)の困窮が生じてきた。これは農民に課せられてきたような古い地租制度では、拡大してきた商人の富を補足できないことが原因である。手法の第一は関税である。イギリスはその貿易港が限られていると言う地理的条件から、関税の効果的な徴収が実現した。それ故に行政が長期に渡り能率良く行われる事になる。これ以外の手法として所得税と財産税(資本税)が挙げられる。所得を評価する(公認された)手段が存在しなかったため、主に財産税の方がよく用いられた。だが、商人的経済では、固定資産(財産税の課税対象)より流動資産(所得税の課税対象)が大きいため、商人の富を捉えきれなかった。

2-3 国家の市場化

 「領主-農民」体制は市場経済発生以前の「指令-慣習」経済体制の主要形態であった。領主は生計を農民に依存し、その代わりに彼ら農民(あるいは領民)が必要とする保護、すなわち、外敵から防衛と、隣人との調停を与える。領主が農民に与える根元的な保護が「防衛」と「司法」として後の国家機構の重要機能として熟成する。この二つは市場経済体制の浸透からはみ出しており、その枠内に取り込めなかった。

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2-31 農業の商業化

 農民達は、商人達が都市に蝟集して彼らが必要とした保護を得たようには自活出来なかった。これは一つには農業の生産基盤となる土地が広範囲に広がっているためである。加えて魔法農耕社会では農業共同体の縛りが強く、また農業は労働の投資から収穫までに時間が掛かるため、外部に保護者を必要とする。

 小規模な段階では自警団の形成も見られるが、分業による効率化から専業化・兵農分離へ向かう。よって農業を基盤とする社会では、この領主-農民体制は不可欠な物として維持されてきた。(日本の場合、中央政府がその保護義務を怠ったため、地方で”武士”という自警団が組織された。これが怠慢な貴族の政権に取って代わる事になるのは必然であろう。よって貴族に仕える者を意味する”侍”と自警団上がりの”武士”とは本来同義ではない)

 市場経済はこの体制に二段階に渡る衝撃を与えた。第一の舞台が商業の浸透である。商業の浸透は、農民自身が行商人と行う交易に端を発する。更に重要なのが領主が従臣を通して行う交易である。貢租を金納に変える事で、その形態は促進される。

 商業化と相反して進行する別形態に農奴制がある。これは、耕地の一部を直営にし、それを管理する事から始まる。領主の管理の元で商品作物を育てさせる事は商業の浸透と何ら矛盾しない。貢租金納制と農奴制が重要な分岐点となる。これは為政者の自由選択と言うより貨幣制度の浸透度という外的要因が強い。

 この段階では、領主の土地と農民に対する支配力は高まるが体制そのものは変化しない。「領主-農民」体制を大きく揺るがすのが第二の舞台である金融の浸透である。土地が担保として使用され売買される。これが進むと農民と土地の結びつきが緩くなり、一方では借地農耕あるいは労働の賃金化、他方では農奴化へと進行する。農業従事者が流動化した地域では、農民自身が負債を抱えつつも土地を購入する自由農民制や、農民を賃金労働者として抱える直接農業経営制が発生した。

2-4 労働市場

 「商人的経済」の発生以前には、労働は「指令」体制の構成要素の一部で、従者が主人のために行う物であった。一方、商人的経済においては労働の「買い手」と「売り手」は同等の立場にあり、主従関係は適合しない。

 労働が交易の対象となる仕方は二つある。第一は労働者がそっくり売られる奴隷制であり、第二は用役のみが賃貸される賃金支払制である。前者は「指令」経済における主従関係が商人的経済に適応した物であるが、古い主従関係の持っていた美徳は失われている。商人的経済においては転売の可能性が内包し、主従関係の安定性(それに必要な相互の義務感)は存在出来ない。第二のケースにおける雇用関係も同様な危険性を孕んでいる訳だが、賃金労働者に対する市場はそれを払拭する手法を模索してきた。

 第一形態の「奴隷」労働市場が、第二形態の「自由」労働市場へと道をゆずったのは、道徳感情の高揚からではない。また、良く言われるような奴隷労働に対する自由労働の効率の問題でも無い。問題は時間単位の維持効率にある。つまり奴隷労働者は主人が全ての時間を管理するのに対し、自由労働者は雇用契約期間内のみの管理で済む。つまり責任がそれだけ軽減される訳である。

 労働が稀少で有れば賃金は非常に高くなるが、労働が余ってくれば奴隷の維持費と比較出来るほどに下がってくるであろう。両者は労働の供給源として競合関係に立つ。但し、同胞を奴隷とする事に対する抵抗は考慮されるべきである。逆に言うと、奴隷制を維持するのは奴隷を区別出来る標識の存在にあると言える。かつては話し言葉であったし、有る時期には宗教の違いがこれに代わり、後に肌の色と言う最もわかりやすい物に成る。

 自由労働の供給源が見出されれば奴隷よりも低賃金で働くという状況が生まれる。そして自由労働制度が一度確立すると、それはいっそう低廉化するとみてよい。奴隷には移送費用が掛かるが、自由労働者は連れてくる必要がない。労働対価が低いにも関わらず労働者が集まる理由は、労働が常に低賃金とは限らないと言う答えになる。つまりごく一部の成功者に吊られて、立身出世を夢見て集まるのである。

 都市への人口流入には土地不足から来る人口圧も寄与している。都市では成功者と脱落者がプロレタリア均衡を形成し、農村部よりの人口流入によって(生活苦から衰退基調にある)都市プロレタリアート階層を補充していく。但し、この均衡を維持するためには農村への帰郷を阻害する要素が必要である。帰郷が容易で有れば、それだけ都市における労働の供給価値も高く、ろうどうは過剰でなく不足気味にある筈である。また、都市移住者は農村での地位を捨てているので、それが保存されている可能性は極めて低い。都市から農村への逆流が容易な条件とは、新興国において開拓農民が生計を維持手出来る状態のみである。

2-5 産業革命以前の賃金

 産業革命以前には、手工業をも含めた商業の成長による労働需要の増大が、人口流入による供給増加を凌いぐことは無かった。その為、労働の不足状態は起こらず、賃金の増加も発生しなかった。その他、賃金増加が発生しなかった要因として、労働者が賃金の増加より生活の保障の方に重きを置いた事が挙げられる。最上級の労働者は雇用者に優遇され、仕事を確保されていた。中級では組織化(ギルドや徒弟制)により生活の保障を勝ち得た。低級労働者すなわち都市プロレタリアートにはそのような保障は無く、高賃金も期待出来ない。さらに、流入してくる労働力はその大部分が低級労働であった。労働需要の増大は全ての等級で発生したが、等級間の移動に対する障害が克服出来なかったため、労働需要の増大は一部高級労働の相対的上昇という形で吸収されてしまった。この状態は高級労働を低級労働に代替を促進する筈だが、それは産業革命以前には容易な事ではなかった。

 労働者の等級移動は主として訓練に関わる問題だが、これは自由労働市場が迅速に対応出来ない過程である。教育制度は高い地位にある物が世襲過程で用いられるのが一般的で、階級移動に関しては殆ど機能しない。 市場原理下では、教育は利益を生むからその対価を支払うのが当然とされる。だが、不熟練労働の賃金が低いため、その投資資金は容易に捻出出来ない。この対策の一環として広く利用されたのが徒弟制度である。

 次稿・§3 錬金術の経済効果

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