「少し愛して、長ァーく愛して」大原麗子さんのあの声が忘れられなくて

「死ぬまで可愛い女でいたい」
週刊現代 プロフィール

もちろん、激しい絡みのシーンで魅力を発揮する女優さんもいます。ですが、彼女の場合はどぎつい描写が馴染まなかった。どこかいたいけで特別な品がある。あの立ち居振る舞いが、男心をくすぐるんです」(内藤氏)

 

強さと繊細さ

仕事では向こうっ気が強い彼女だったが、それはあくまで一面的な表情に過ぎない。プライベートでの彼女は、また違う素顔を持っていた。

'60年代半ば、大原、小川知子と一緒に「青春路線の3人娘」として売り出していた元女優・桑原幸子はこう追想する。

「年齢でいえば麗子さんが一番年長で、私がひとつ下。小川さんが最年少でした。デビューしたての頃は3人でよくポラロイドの撮影をしていたので、しょっちゅう一緒にいたんです。本当に、学校の同級生のような関係でした。

当時はみんな年頃の女の子でしたから、会えば恋愛話に花が咲きました。『あの俳優さん、誰々と付き合ってるんだって』、『ウソー!』と、他愛のない話で盛り上がっていました。楽しかったなぁ。

気が強かったと語られる麗子さんですが、実際の彼女は違いました。すごく繊細な一面があるんです。現場でも仕事が終われば気が緩まるのか、『戦闘モード』ではなくなるんです。

プライベートでは、『私はこう思う』と主張するタイプではありませんでした。むしろ、その集団の中で自分がどう振る舞ったら全体が上手くいくのかを考えている人でした。自分の位置づけを客観的に捉えていたんです」

デビューしたての頃は駆け出しで、苦労も多いもの。「なんでこんな小さい役しかもらえないの」と不満を口にする女優も多い中、大原は後ろ向きな言葉を吐かなかった。