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【社会】忘れられた「最強」棋士に光 早世の闘士 松田辰雄八段の棋譜発掘
将棋の公式記録が存在しない「忘れられた棋士」がいる。大棋士・升田幸三実力制第四代名人や大山康晴十五世名人のライバルと目されながら、結核で早世した松田辰雄八段(一九一六~五五年)。その棋譜を将棋研究者二人が発掘し、今月、同人誌「不撓(ふとう)」として出版した。成績から「当時では最強」との分析もある非運の棋士の指し手が、没後六十五年を経て現代によみがえった。 (樋口薫) 二人は、けんゆうさん(本名非公表)と小笠原輝(あきら)さん(35)=川崎市。いずれも会社勤めのかたわら、趣味で将棋の古い資料を調べている。それぞれ「将棋棋士成績データベース」「将棋棋士の食事とおやつ」というウェブサイトで調査結果を報告している。 戦後の観戦記を読み込む中で、二人は松田の存在を知った。対戦相手から「目が怖い」と恐れられ、「闘志の人」と評される強豪なのに、今では知る人がほぼいない。「光を当てたい」と意気投合し、約一年かけて調査、執筆をしてきた。 松田が歴史に埋もれたのには理由がある。日本将棋連盟が公式記録を保管するようになったのは五三年以降。松田は五一年度の対局が最後となり、記録が残されていないからだ。しかし当時の新聞や雑誌の調査で、戦前から戦後の八十二局の棋譜と、二十六局の勝敗が判明した。 松田は四八年度、「A級順位戦」で升田や大山らを破り、当時唯一のタイトル戦「名人戦」の挑戦者決定戦に進んだ。しかし三十二歳の指し盛りに結核を発症。決定戦は高熱を押しての対局となり、木村義雄(後の十四世名人)に二連敗で敗退。その後は一進一退の病状で復帰と休場を繰り返し、志半ばで死去した。「まさに命を削って指した棋士」と、けんゆうさんは話す。 終戦後から最初の休場までの四年間の成績は、判明している限りで五十勝十九敗。勝率は七割二分四厘と非常に高く、成績を基に棋士の強さを数値化した「レーティング」をけんゆうさんが算出すると、当時の全棋士中一位となった。 小笠原さんは松田の故郷の奈良県を訪ね、将棋を直接教わった男性を取材した。「アマへの普及にも、とことん真剣な棋士」という横顔を浮き彫りにした。 同人誌では、プロ棋士の石川陽生(あきお)七段が松田の棋譜を解説。その持ち味を「喰(く)いつくような攻め」と表現し「指しまわしは現代の目で見ても新鮮で魅力的」と高く評価した。表紙は、ドラマ化もされた将棋グルメ漫画「将棋めし」作者の松本渚(なぎさ)さんが担当した。 二人は「調査当初はこんなに強く、魅力的な棋士とは思わなかった。歴史に残せて良かった」と語る。同人誌は百六十二ページ、価格二千円(送料別)。問い合わせは将棋史学同人(riewmoto@gmail.com)へ。
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