36人が亡くなり、33人が負傷した京都アニメーションの放火殺人事件から半年。現場となった第1スタジオは、高く組まれた足場とグレーの防音シートで覆われ、この1月から解体工事が始まった。
殺人などの容疑で逮捕状が出ている青葉真司容疑者(41才)は全身に重度のやけどを負い、大阪府内の病院から京都市内の病院に転院し、治療とリハビリに当たっている。
「犯人には何の感情もありません。考えたり思ったりしても何の意味もありませんから」
そう話すのは、事件で犠牲となった津田幸恵さん(享年41)の父・伸一さん(69才)。
幼い頃から絵を描くのが得意だった幸恵さん。念願の京都アニメーションに入社して20年、仕上げの彩色を担当し、人気作品を長年手がけてきた。帰省のたびにいろいろなお土産を買ってきてくれる気遣いがうれしく、忙しくも充実している様子を幸恵さんの表情から感じていた。
そんな津田さんの生活は昨年の夏を境に、すべてが一変した。
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「ほんまやったらあと2、3年は働こうと考えてたけど、もう引退です」
電気設備設計の仕事をしている津田さんは県外の現場に出かけることも多く、泊まりこみも少なくない。まだまだ働けるが、引退を決意した。
「近所に出かけるぐらいはいいけども、長距離となるとダメ。運転しながら、ふと幸恵のことに思いが及んでしまうんです。
そうすると、苦しくなるほど涙が出て、前が見えなくなってしまってね。運転中では事故になりかねないでしょ? もうすぐ運転免許の更新があることですし、返納することに決めたんです。車が運転できなければ、これまでのように仕事はできないんでね。もういいですわ」
生活スタイルも変わった。買い物は客足の少ない平日の午前中。最近はネットで済ませることも多くなったという。
「人のいる場所に出かけることがしんどいんです。事件直後は、朝、目が覚めても何もする気が起きず、何も考えられない毎日。朝から何も食べてないのに、夜になってもお腹が空かない。横になっても、寝てるか寝てないかもわからないような感覚。もちろん、疲れがたまって落ちるように寝てはいたんでしょうけど、あの頃のことは覚えていません」
津田さんへのインタビューを通して、「メディアスクラム」「実名報道」について考えてみたい。
◆メディアスクラム──無礼で無遠慮な取材者が一気に押し寄せた
事件翌日から殺到した取材に、津田さんは断ることなく対応してきた。その理由は、
「だってここまで来てるのに、追い返すのも気の毒でしょう」
実際、2か月間で37社に及ぶ取材を受けてきたが、事件報道に対する疑問をいまだ解消できないでいるという。
「私がわからないのは、報道する意義です。それについて取材者に問うと、『二度と同様の事件が起きないようにするために事実を報道する』と言うかたもいます。でも、それが何の役に立つの? 教訓になるの? 今回の事件を報じて何か抑止になるの? 抑止するなら犯人側のことを報じればいいんじゃないの? そう思います。
取材に来られたかたたちはそれぞれ、事件報道への信念や思いを話してくれました。そういう姿勢で取材をされているということは理解できましたが、私が納得できる答えはありませんでした」
大きな事件・事故が起こった直後、被害者や遺族が直面させられるのがメディアスクラムだ。
「事件当日、私は自宅にいました。10時半頃に事件が起きて、テレビで報じ始めたのが昼前後やったかな。それからは幸恵の携帯電話にかけたり会社に問い合わせたり、落ち着かないまま過ごして」
──当日、現場に向かわれましたか?
「行ってくれたのは幸恵の妹です。京アニの本社に行くと、同じように駆けつけたご家族が何組かいたそうです。
なんでもいいから事情を聞きたいとみな必死やった。何もわからないから現場に来てるのに、本社の外に出ると、堰を切ったように報道陣にワッと取り囲まれて質問攻め。タレントのゴシップを扱うのと同じようにライトで照らされ、マイクを突き出されて…たいへんやったそうです。
もっとね、不正を質すとか、最近であれば『桜を見る会』の疑問を問うためにやるならわかりますけど、取材のかたがたは政治家には腰が引けてるようにしか見えない一方で、事件の被害者にそんなことをするのかと。
その翌日、私が行った時も2組ほどご家族がいらっしゃいましたが、泣き崩れていました。心配や不安の極限にいる人たちに、まだ何もわかってないのに『今の気持ちは?』って聞かれても、心配で心配で仕方ないだけ。わかりきってるでしょう。そういうのは避けてほしいなと思いました」
──津田さんが現地に向かわれたのは?
「事件翌日、DNA鑑定のため、肉親のDNAを採取する必要があるという連絡を受けて、京都に向かいました。そして、第2スタジオに立ち寄った際に初めてテレビ局(NHK)の取材を受けたんです。
そして、『改めて取材をしたい』と、次の日の昼間に自宅に来られた。外がまっ暗になった頃にやっと取材が終わって、ホッとしていたらインターホンが鳴ったんです。
玄関を開けると今度は、カメラを手にした別のテレビ局の男性が1人で来ていました。『NHKに出てたから、うちの局でも“顔出し”をしてほしい』って言うんです。顔出しは断りましたが、話を始めた時に、また別のテレビ局のカメラマンが1人でやって来ました。2人とも肩に担ぐような大きなカメラで…あれやね、あの大きなカメラいうのは威圧感があるね。何を聞かれたかほとんど覚えてもないけど、疲れたことしか覚えてないわ」
──その日から毎日?
「新聞、テレビ、通信社、雑誌…と毎日です。入れ替わり立ち替わり、誰かしらがほぼ毎日。切り出しの言葉こそ、『このたびは…』と慎重ですけど、あとがひどい。『今のお気持ちは?』って皆さん聞く。そんなもん、言わんでもわかるやろと。それぐらい察してくれよと思いますよ。
『事件についてどう思うか?』、『どんなお嬢さんでしたか?』、『小さい時は?』、そんなん、ワーワー言われて…そして最後にみんな、判で押したように聞くんです。
『犯人には何を思うか?』、ズケズケ聞くなよ、と。でも、聞きたいんやろうね。それが仕事なんやろね。
中には、『上(上司)から言われて来たものですから』なんてかたもいましたよ。そんなの、ニュースや記事にしたいだけの取材じゃないですか。それなら何をしゃべっても意味がないんじゃないかと思ってしまう」