改組 新 第6回 日展東海展
2020年1月29日~2月16日
愛知県美術館ギャラリー
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光と影の画家 カラヴァッジョ(5)終えんの地 真実の美 時代超えて
砂浜が弧を描いてはるかに続く。ローマから北西に百二十キロ。カラヴァッジョの最期の地となった港町ポルト・エルコレは、気軽に行けるリゾートとしてにぎわう。 浜辺から三百メートルほど入った松林の中に、メドゥーサをかたどった石碑がある。四十年ほど前に造られたカラヴァッジョの記念碑だが、娘らと訪れたパトリツィア・ラモニカさん(55)は「何回も来ているけど、知らなかった」。注意を向ける人は少ない。 一六一〇年七月、カラヴァッジョは自作数点を抱えて船でナポリをたった。「死刑宣告」を受けたローマへ向かい、恩赦を求めるためだったとされる。しかし、ローマの土は二度と踏めなかった。 ローマ近郊の港に着いたが、運悪く誤認逮捕され、絵を積んだまま船が出港してしまう。カラヴァッジョは船を追って北へ。次の寄港地ポルト・エルコレにたどり着いた時には熱病に侵されていた。虫の息で海岸から町まで運ばれたが、ほどなく事切れたという。三十八歳だった。 一世を風靡(ふうび)した強い明暗と写実性は、後の画家に大きな影響を与えた。ただ「十八、十九世紀には忘れられていた」とローマの美術史家ダニエレ・ラディーニ・テデスキさん(33)は指摘する。 再び光が当たり始めたのは二十世紀になってから。ラディーニ・テデスキさんが「歴史をつくった芸術家の一人」と評するように、ここ数十年の間にイタリアだけでなく世界中で知られ、広く巨匠と認められている。 ポルト・エルコレでは五年ほど前、カラヴァッジョを町おこしにつなげる動きがあった。町内の墓地から出た人骨を鑑定した結果、カラヴァッジョの遺骨だったとして、石棺のようなオブジェに納めて町の中心部に置いた。 だがオブジェは今、町外れの墓地にある。町観光センターの女性によると「市長が代わって移されたんです」。カラヴァッジョに関する博物館を造る計画もあったが、消えてしまったという。 波乱の生涯をたどったばかりか、「遺骨」までもが騒動に。ラディーニ・テデスキさんは、絵画以外の面に注目が集まることに理解を示しつつ「まずは作品を見てほしい」と願う。 「カラヴァッジョは、真実を追求し続けた。その作品には美しさだけでなく、精神的な深さがある」。人間の内面までも描ききった光と影の画家は、時代や文化を超え、見る者を魅了し続ける。=終わり(この連載は、日下部弘太が担当しました) ◇ カラヴァッジョや影響を受けた画家らの作品を展示する「カラヴァッジョ展」(中日新聞社など主催)は名古屋市美術館で12月15日まで開かれる。当日券は一般1600円、高校・大学生1000円。中学生以下無料。問い合わせは、名古屋市美術館=電052(212)0001=へ。 PR情報 |
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