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光と影の画家 カラヴァッジョ

(3)たった1カ月の騎士 修練で成熟 瞑想的に

聖ヨハネ大聖堂の「洗礼者ヨハネの斬首」。カラヴァッジョの騎士号が剥奪された後も、絵は残された=マルタ・ヴァレッタで、日下部弘太撮影

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 石造りの通路を歩いていくと、およそ一メートル四方に石が盛り上がった場所がある。鉄の扉で閉じられた地下牢(ろう)の入り口だ。

 ローマから飛行機で一時間。地中海に浮かぶマルタ島の聖アンジェロ砦(とりで)は、強い日差しに照らされていた。マルタを拠点とし、欧州中に勇名をとどろかせたマルタ騎士団が造った砦。カラヴァッジョが生まれる六年前の一五六五年には、オスマン帝国の包囲も耐え抜いた。

 砦には、規律を犯した騎士を閉じ込める地下牢が設けられた。カラヴァッジョも入れられたと伝わる。

 殺人を犯してローマから逃げたカラヴァッジョは、南イタリアの大都市ナポリに住み着く。有名画家として歓迎され、現地の画壇にも大きな影響を与えた。ところが一年足らずでマルタに移る。「騎士になって、免罪してもらおうと考えたのでは」と聖アンジェロ砦を管理するダニエル・ガファさん。カラヴァッジョはこの地で、騎士を目指して修練を始める。

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 思いの強さを示す大作が、バレッタの聖ヨハネ大聖堂に残っている。「洗礼者ヨハネの斬首」は、生涯最大の縦三・六メートル、横五・二メートル。流れる血は、戦いで犠牲となった騎士を思わせる。空間を広く取り、静けさの中に迫力がある。「マルタは安全で知的な人たちとの交わりもあった。絵が成熟し、瞑想(めいそう)的になった」。学芸員のシンシア・デジョルジョさんが力説する。

 念願かない、マルタに来て一年後の一六〇八年七月、カラヴァッジョは騎士の称号を手にした。だが、わずか一カ月で運命は再び暗転。仲間たちと高位の騎士を襲って負傷させ、地下牢に幽閉されてしまう。現存する牢は釣り鐘型で直径二・五メートル、深さ四メートル。トイレはなく、湿気もこもった。

 到底逃げられそうにないが、カラヴァッジョはやってのける。「友人が助けたはず」とガファさん。一カ月ほど後、脱獄してマルタを抜け出し、シチリアに向かった。二カ月後、騎士号は剥奪された。

 せっかく受け入れてくれた騎士団に泥を塗った形だが、今の団員はカラヴァッジョを責めはしない。ヴァレッタに住むニコラス・デ・ピーロ男爵(77)は「絵がうまかったから、嫉妬されたんだ。別の騎士とのトラブルも誇張されているのでは」と擁護する。

 そして、筆の速いカラヴァッジョがマルタにいた一年で描いたとされる絵が四点ほどにとどまるのは不思議だとして、デ・ピーロさんは「どこかの個人コレクションに未発表の作品があってもおかしくないよね」といたずらっぽく笑った。

 マルタを脱出したカラヴァッジョ。シチリアを経て戻り着いたナポリで、またしても事件が起きる。

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 カラヴァッジョや影響を受けた画家らの作品を展示する「カラヴァッジョ展」(中日新聞社など主催)は名古屋市美術館で10月26日から12月15日まで開かれる。前売り券は一般1400円、高校・大学生800円(当日券は各200円増し)。中学生以下無料。問い合わせは、名古屋市美術館=電052(212)0001=へ。

 

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