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光と影の画家 カラヴァッジョ

(2)聖地の少年時代 祈りと死 隣り合わせ

聖母マリアの伝説が残る教会で、子どもたちに語りかける神父(左の白い服の男性)=イタリア・カラヴァッジョで、日下部弘太撮影

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 イタリアの天才画家、カラヴァッジョ。本名はミケランジェロ・メリージだが、育った町の名で呼ばれるようになった。

 ミラノから東に五十キロ。人口約一万六千人のこぢんまりした町カラヴァッジョには、偉大な画家の他にも自慢がある。それは町外れの大きな聖堂。一四三二年、若い女性の前に聖母マリアが現れると泉が湧き出し、その場所に建てられたと伝わる。実際、地下には泉から引いた水場も。巡礼地としても知られ、国内外から年間三十万人が訪れる。

 毎日ミサが開かれ、日曜には六回。昼前の回に加わらせてもらうと、子どもからお年寄りまで五百人が集い、厳粛な雰囲気に包まれていた。司祭の説教が響き渡り、一心に祈りをささげる人の姿も目立った。

 画家カラヴァッジョは一五七一年、ミラノで生まれた。六歳のころペストが大流行し、一家でカラヴァッジョ町に移ったが、父や祖父らをペストで失った。同じころ、今も残る現聖堂の建設が始まった。画家修業のためミラノに出る十三歳までをこの町で過ごしたカラヴァッジョも、壮大な工事をその目で見たはずだ。

 ただ、聖地で子ども時代を過ごした割には、その後の生きざまは型破りだ。町の人もカラヴァッジョを誇りに思いつつ、信仰とは切り離して考えているらしい。ミサに通うジャコモ・ラダエッリさん(59)は、カラヴァッジョが殺人事件を起こしたことに触れ「彼は神を信じていなかった。宗教画はお金のために描いていただけだ」と言い切った。

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 だが、ローマの美術史家、サラ・マギステルさん(48)は「カラヴァッジョは深く宗教的でした」と真っ向から否定し「確かに、生まれ育ちは簡単ではなかった。ただ、家族を失うことは今より多かったし、母は彼を助け、ミラノの工房にも入門させた」と指摘する。

 その上で、カラヴァッジョの絵で際立つ光と影のうち、光に注目すべきだと語る。「彼の絵は暗いと言われるが、そうではない。暗闇から人々を救う光が重要なんです」

 カラヴァッジョは一般の人を美化せず、見たままに描いた点でも画期的だったとされる。巡礼者の前に現れた聖母子を描いた「ロレートの聖母」という作品がある。ひざまずいた巡礼者の足の裏は土で真っ黒。神聖な場面にあるその純朴さが、絵に強い真実味を与えている。「誰もが絵の中の人物のようになれると思わせる。見ている人を巻き込む絵だ」とマギステルさんは評価する。

 幼いころ聖堂で接した庶民の気高い祈りは、未来の画家の信仰心を育んだだろう。だが、その後の人生は流転する。殺人事件、ローマからの脱出。そして逃亡の先には地中海に浮かぶ島もあった。

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 カラヴァッジョや影響を受けた画家らの作品を展示する「カラヴァッジョ展」(中日新聞社など主催)は名古屋市美術館で10月26日から12月15日まで開かれる。前売り券は一般1400円、高校・大学生800円(当日券は各200円増し)。中学生以下無料。問い合わせは、名古屋市美術館=電052(212)0001=へ。

 

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