私が子供のころ、佐田の山(さだのやま)という相撲取りがいた。最終的には横綱まで上り詰めた強豪力士である。しかし、当時の相撲界には圧倒的な強さを誇る大鵬という大横綱がいた。佐田の山はこの大鵬になかなか勝てなかった。
しかし、当時大関だった佐田の山は、1964年9月場所から1965年1月場所にかけて、3場所連続で13勝2敗という好成績を挙げ、しかも3場所目の1965年1月場所には優勝も果たして、ついに横綱に昇進したのである。
もちろん横綱昇進は立派なことだけれど、「とうとう佐田の山も大鵬という壁を乗り越えて、横綱にまでなったか」と思った人はいなかった。なぜなら、その3場所すべてで、佐田の山は大鵬に負けていたからである。
15人の力士と対戦して、一番多く勝った力士が優勝する。だから、優勝するためには、必ずしも全員に勝たなくてもよい。そのため、大鵬と佐田の山の直接対決で勝ったのは大鵬だったけれど、優勝したのは大鵬ではなく佐田の山だったのだ。
およそ700万年前に人類が生まれてから、この地球上には何十種もの人類が進化してきた。当然、2種以上の人類が共存していたこともあった。いや、むしろそのほうが普通だったろう。
しかし、現在地球上にいる人類は1種だけ、つまり私たちヒト(学名はホモ・サピエンス)だけである。そして、私たちはそのことに慣れてしまっている。そのため、もし私たち以外の人類が地球にいたらと想像するだけで、私たちの心は少し乱される。そして、他の人類を意識し過ぎてしまう。
かつては、人類はいつの時代でも1種しかいなかったという、単一種説が有力だった。同時に2種の人類が地球にいたことはなく、1種のまま進化して現在のヒトになった、という説である。
この説を反証したのが、1968年から1975年にかけて、ケニアのクービ・フォラで発見された化石群だった。180~170万年前のクービ・フォラでは、アウストラロピテクス・ボイセイとホモ・エレクトゥスが共存していたのだ。その後、研究が進むにつれて、昔の地球には複数の人類がしばしば同時に生きていたことが明らかになったが、その最初の証拠が得られたのが、このクービ・フォラであった。
アウストラロピテクス・ボイセイは、頑丈な歯を持った猿人である。その巨大な臼歯のため、くるみ割り人形と呼ばれることもある。硬くて栄養の少ないスゲなどの葉を食べるために、特殊化した歯をもっていた人類である可能性が高い。
一方、ホモ・エレクトゥスは、背が高くて長い距離を走ることもできた人類だ。石器を使い、日常的に肉食をしていたと考えられている。アウストラロピテクス・ボイセイとホモ・エレクトゥスが異なる種であることは、化石の形からも明らかだった。
しかし、アウストラロピテクス・ボイセイは、だんだんと個体数が減って、遅くとも約120万年前には絶滅してしまった。
アウストラロピテクス・ボイセイが、頻繁に肉食をしていたホモ・エレクトゥスに狩られた可能性もないとはいえない。しかし、それを示す証拠はないので、むしろ食物をめぐる競争に敗れた可能性のほうが高い。アウストラロピテクス・ボイセイが絶滅した理由ははっきりとはわからないけれど、可能性はいくつか考えられる。