(前回はこちら)
前半では、「エレキの若大将」を通して、夢のような理想に現実味を感じられた、高度経済成長期についてお話をうかがいました。
押井:「エレキの若大将」で思い出すのはそういう時代のことなんだよ。昔の映画を見るとその時代を思い出す。そういう意味では便利な装置でもあるんだよね。でもそれを同時代で見てない人間にとってはナニモノでもなかったりするわけ。そこがいわゆる「古典」とは違うんだよ。時期限定というか世代限定。それが映画の宿命と言えば宿命なんだけどさ。
連載の最初におっしゃっていた「映画は時代の記憶装置」ですね。
押井:そういう「時代を思い出す映画」はみんな思い当たる節があるはずだよ。僕にとっては「エレキの若大将」だったり怪獣映画だったりするものが、もうちょっと下の人間にとっては「ガンダム」だったり「エヴァ」だったりするわけでしょ。いずれも普遍的なものではあり得ない。でももっと生々しい「時代」が見えてくる。ガンダム世代にはガンダム世代の思い入れがあるはず。飲み屋で話す類いの「あの頃はこうだった」というやつだよね。
どうして、人はそういう同時代に執着するんでしょうか。
押井:自分のアイデンティティになってるからでしょ。じゃあ日本人のアイデンティティってほかに何があるのという話だよね。自分が生きた時代、若かったときの同時代感。それ以外にアイデンティティってあるんだろうか。
うーん。
押井:昔はあったんだよ。極端に言えば、戦前は日本人であることがアイデンティティだった。今は日本という国にアイデンティティを求めてるのはネトウヨぐらいのもん。そうするといま生きている日本人にとってどこにアイデンティティを求めるのか。かつてはアイドルだったりさ、ポップスだったり歌謡曲だったりした時代もあった。
ありましたね。キャンディーズとか、ピンク・レディーとか。
押井:だけど今は、そういうのもないじゃない。アイドルだったりガンダムだったりエヴァだったり細分化されていて、いずれにしても言ってみればサブカルチャーだけど、いまやサブもメインもありゃしない。かつての文化的な事象、時代のアイデンティティたりうる「大衆文化」であり「大衆芸能」のようなものが成立しなくなった。アニメーションも映画もみんな同じくくりだけど、芸能に近いかな。「文化」と言ったって小説はアイデンティティになってないから。マンガもギリギリなってないような気がする。何のマンガを見て育ったって言えるのは僕らくらいの世代が最後かもしれない。
今だと、30代でも10代でもジャンプや「ドラゴンボール」を延々共有してるような気はしますけれど。
押井:それって基本的に個別の作家というよりは「少年ジャンプ」というメディアでしょ。メディアなんだよね。今ではマンガって、それを読む人間自体がマニアだもん。マンガなんか読まない子供まで増えてるし。そもそもコマを読む順番がわからない子もいるんだから。
若い世代はそうらしいですね。
押井:マンガはフレームが任意だからね。フレームのないメディアってダメなんだよ。それはiPhoneのサイズだったり、タブレットのサイズだったり、モニターのサイズだったり、いろいろあるけど、いまやメディアというのはフレームのことであって、そこで何をやってるかはどうでもいいわけ。そのフレームでゲームやろうが番組見ようがメールやろうが全部同じこと。そうじゃなくて「個別の作品」というレベルで自分の同時代にアイデンティティを求める現象って、いったいいつまであったんだろう、と思うんだよね。
そういう「時代のアイデンティティ」が失われて久しい気がします。
押井:ギリギリでガンダム・ヤマト世代な気がする。いまだにガンダムもヤマトも商売になってるし、その世代の人たちはいまだに金を使ってるでしょ。ガンダムなんておっさんが金使ってる世界。高くて高校生が買えるわけないじゃん。あんな買い物するのは独り者のおっさんだけ。
若い子の欲望を全部かなえる映画
押井:映画もそういう現象がかつてあった。映画というフレームを共有するんじゃなくて、映画の中で細分化されたジャンルを、ある世代で共有してた時代があったんだよ。
それが「エレキの若大将」のころなんですね。
押井:怪獣映画と若大将やクレージーキャッツというセットを愛好する中高生は、あの当時確実にコアとしていたんだよ。だから鉄板だった。小学校でガリ版刷りの映画チケットくれたもん。持っていけば夏休みは50円で映画見れるというさ。
僕の小学校も割引券を配ってましたね。
押井:僕が覚えてるのは、それが「宇宙大戦争」(59)だった。併映は忘れちゃったけど(「サザエさんの脱線奥様」(59))。怪獣映画の併映作品もいろいろ替わってたよ。ザ・ピーナッツもあったし、若大将もあったし、クレージーもあったし。でも若大将が一番相性がよかったんじゃないかな。「スクラップ&ビルド」で片方で日本をぶっ壊して、片方で甘い夢を語るというさ。
ほんとによくできたカップリングですよね。
コメント13件
ko
起こっていることは好みの細分化ではなく、価値観を共有したいという願望の消滅であり、その結果として文化がなくなって快感原則だけが残る、ですか。そんな方向に話が進むとは思ってなかったので戸惑いました。笑
ターゲティング広告という細分化の典型例を
見て話しているように、やはり起きているのは細分化なのではとも思います。...続きを読む快感原則だけが残っているというのはそうかもと思わされますが、戦後の日本の文化が芸術ではなくサブカルだったのも、当時からしたらそんな低俗なもの、快感原則以外の何物でもなかったでしょうし…
もう少し詳しく聞いてみたいところです。
copper
今回も面白かった
中盤のヲタク談義をダラダラやる所はニヤニヤ!しながら読みました
聞き手の担当さんも只者でないですね
あ
今最大公約数で共感を得てるコンテンツは、格差社会を題材とした万引き家族(日)、ジョーカー(米)、パラサイト(韓)等のネガティブな映画というのが悲しい気がします。映画自体は面白かったですが。
例えば音楽だと米津玄師、髭男、キングヌーは中高年は
知らない人多いだろうし、紅白が低視聴率なのもそう。マンガやアニメなら今は鬼滅の刃が流行りらしいですが、やはり国民的と言われたら違うしなあ。(パロディの「鬼詰(きつめ)のオ◯◯」には大笑いしました)...続きを読むおか
フリーランス
人間の生死は普遍の問。
これを考えるのは宗教ですね。
もう一度宗教が必要な時代になってくるのだと思います。
Latebloomer
昨日NHKのアナザーストーリーで「上を向いて歩こう」をやっていた。こういう普遍的とも思われる流行歌はもう生まれないのかなという感傷を感じた。中村八大の譜面を少しアレンジして坂本が歌ったことが奏功したか全米No.1になって、日系米国人が米国で
‘文化‘で関与できたみたいな。この記事とは直接関係ないけど...続きを読むコメント機能はリゾーム登録いただいた日経ビジネス電子版会員の方のみお使いいただけます詳細
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