第一次世界大戦は、世界の国々を巻き込んだ初の大規模な戦争となった。工業化時代の戦いでは、航空機、戦車、機関銃、手榴弾、毒ガスといった新技術が投入され、人類が経験したことがない大惨事を引き起こすこととなった。
1914年から1918年の間で、800万人以上の兵士と600万人以上の民間人が亡くなったとされている。犠牲者の数そのものが驚くべき多さだが、考古学者のビルガー・スティヒェルバウト氏は、この戦争でヨーロッパの地形がいかに変わったかを示す数字にも驚きを隠せなかった。例えば、ベルギーに張られた前線680キロメートルのうち60キロの区間には、全部合わせれば4900キロ以上にもなる塹壕が縦横無尽に掘られた。(参考記事:「2014年8月号 第一次世界大戦 知られざる遺産」)
「非常に大きな数字です」。現在、ベルギーのゲント大学に所属するスティヒェルバウト氏は、考古学者たちとともに100年以上前の戦争が残した傷跡を調査している。戦争に関する記録は、当事者による証言、写真、フィルムの形で数多く残され、戦後もたくさん調査があった。しかし、考古学的な手法による研究も、新たな側面からあの戦争を理解する助けになりそうだ。
「第一次世界大戦を目撃した人は、もう生存していません。現在も残る地形だけが、最後の証人なのです」と、スティヒェルバウト氏は話す。 (参考記事:「第一次世界大戦とナショジオ」)
戦争の鳥瞰図
第一次世界大戦で最も激しい戦闘の舞台となったのが、ベルギーのドイツ語圏フランデレン地方の西部戦線だ。連合国軍とドイツ軍が4年に及ぶ過酷な塹壕戦を繰り広げた結果、辺り一帯は荒廃し、無数のクレーターに覆われた月面のような光景が広がったという。戦後は急速に復興が進んでいるが、戦争が残した傷跡の多くはそのままにされた。今は土に覆い隠されていても、30センチも掘れば、そうした傷跡が姿を現す。
大戦によって地形はどう変わったのか、今もそのことを確認できる場所はどこなのか――こうしたことを知るには、上空からの調査が有効だ。第一次世界大戦は、敵の位置を知るために航空写真が初めて使われた戦争であり、この地域を知る一番古い航空記録として残っている。それら航空写真を貼り合わせてみると、当時地上で作成された地図よりも正確な鳥瞰図が出来上がる。そこには、塹壕やその他の軍事施設がどのように造られ、時とともに変化していったかが記録されていた。
現代の航空調査も、塹壕の位置を特定するための重要な手がかりだ。干ばつ時に撮影された写真には、土に埋もれた100年前の塹壕が模様となって浮かび上がることもあった。また、現在は農地になっている地下に水が溜まっていると、地上のその部分に育つ作物が周囲と異なる成長を見せることもあった。こうして、どこに塹壕が掘られていたかを上空から確認できるのだ。これらの現象は「クロップマーク」と呼ばれ、これが地下に残る遺跡の発見につながることもある。
最近では、10年ほど前から考古学調査で使用されているライダー(LiDAR=Light Detection and Ranging)技術が採用されている。レーザーを当てるこの技術を使えば、森林に隠れている実際の地表の地形がとらえられるのだ。その結果、西ヨーロッパで、曲がりくねった塹壕や、爆撃によってできたクレーター、その他戦争で造られた地形が残っていることも判明している。地上から見ただけでは分からなくても、フランデレン地方のケンメルとウェルヴィクの間の西部戦線では、土地の14%にはっきりとした戦争の傷跡があることが分かっている。(参考記事:「21世紀中に解明されそうな古代ミステリー7つ」)
スティヒェルバウト氏は、これらの調査結果をまとめ、2018年にベルギーの町イーペルのフランデレン・フィールズ博物館で開催された展示に合わせて、『Traces of War』(戦争の傷跡)と題された本を出版した。
過去と現在の航空写真を見比べると、「これまでとは異なった視点が得られます。実際に地上に立っていても、そこが塹壕だったとは気づかないかもしれませんが、新たな視点からは、戦いの全体図や、模様、地形が見えてきます」と、スティヒェルバウト氏は述べる。
航空写真を頼りに発掘できそうな場所を特定し、そこを実際に掘り返してみると、忘れられた兵士たちの日常が垣間見える遺物が次々に見つかることもあった。
「塹壕の中で撮影された写真はそれほど多くないので、写真だけで当時の様子をうかがうのは難しいことです」と、スティヒェルバウト氏。「でも、考古学的なアプローチで調査することで、塹壕での日々の様子を知る手がかりを得られるのです」
こうして分かったのは、厳しい環境に適応するために、兵士たちは満足な資材も無いなか、手に入るものだけで塹壕を建設しなければならなかったということだ。




















