渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

環境と人間性

2018年09月19日 | 公開情報



Z-YARD のあるお客さんとお母様とのやり取りと
のことだ。

まあ、特殊な土地だからね。岡山県だもの。

皆殆どが、この実態の核心部分、真実の自体を
理解できないだろう。
こうなるのは、客が悪いのでも、ライダーズカフ
ェを開いたZ-YARD が悪いのでもない。
なぜ、このような感情が起きるか。
それはね、岡山県だからなのだよ。
そこを岡山県人は直視しないと。
まして、Z-YARD はマスターが親戚の農家の建物
を取り壊して広島県福山市から移住した。
つまり、マスターとZ-YARD は岡山県人にとって
は「余所者」なわけ。
余所者に対する岡山県人の排外意識と排除意識と
我田引水の考えに凝り固まるのは日本一だ。
だが、岡山県人は、自分らがそういう人間だとい
うことには一切気づかないし、自問自答や自省も
皆無だ。
それが岡山県人のスタンダード。人間的な性質は
日本一悪い。

まして、Z-YARD があるのはそれでも開明的な市
街区ではなく(市街地とて岡山県人は岡山県人で
あるし本質は変わらないが)、農村地帯であるし、
井原笠岡の人の悪さといったら、これまた岡山県
の中でも格別なのだ。

農村地帯だからではなく、岡山県人は、自分たち
が殻にこもっていた共同体の村の中をバイクが排
気音を立てて通り過ぎるのが嫌なのだろう。
分かりにくい場所に店があるから、そりゃ止まっ
てスマホナビで確認したりするだろうよ。私も
そうやって近隣探して30分後にようやくたどり着
けた。
路地が狭いので、Uターンではバイクから降りて
切り返しをするのだが、その際に道から多少タイ
ヤが私道に割り込みもした。そこでのUターンで
は仕方なかった。
タイヤはみ出しさせないならば、100回切り返し
で道を塞いで占拠しなければならない。
たぶん、人の土地に勝手に入って云々とは、そう
いうことを言ってるのだろう。
そういえば、私もパラパラと超低速で店を探して
いる時、近所の住民数名とすれ違った。
犬を連れているおばちゃんや、耕運機を走らせて
る人や。
耕運機には、離合のため、停止して道を譲り、頭
を下げて挨拶をしたが、「フン!」という顔で
その農民は睥睨するように一瞥して通り過ぎた。
「なんだ、感じ悪い土地だなぁ」と思ったが、他
にもすれ違った人たちは、誰もが怪訝そうな顔で
こちらを見ていた。
たぶん、オートバイが通ることが「迷惑」なの
だろう。バンバン吹かしたりせずに低速走行
で静かに通り過ぎていても不快なのだろう。

岡山県・広島県は全国に先駆けて「3ない運動」
を推進した憲法違反の極悪県だ。
そもそもが、県民に近代現代民主主義の精神など
は宿っていない。
また、教師も風見鶏の日和見ばかりであり、公立
小中高で教職員の心身症の発症率は広島県が
全国一である。
広島県と岡山県。両者の仲は悪いが人的類型は
同一だ。
3ない運動を喜んで教職者は推進したが、その
結果いじめや学級崩壊は極度に進行した。
結局は、自分らの事なかれ主義の「教育放棄」
に原因があるとは自省はしない。
これは日教組が悪いのではない(何でも日教組
のせいにするアホ頭のネトウヨみたいなのは
論外)。政府与党文部省をはじめとした教育
関係者全体の責任なのだ。
ちなみに岡山県人は「岡山県は教育県である」
と本気で自慢げに誰もが恥ずかしげも無く言う。
その時点でイタさ全開なのだが、全開だからと
混合気が薄すぎの中身薄っぺらなので岡山県
人の頭の回転は回らない。

この吉備地方の人の悪さの特徴は、単に「土地
柄」では説明がつかない根が深いものがあるよう
に私には思える。
維新の時、原敬が中国地方を漫遊した際に「この
あたりの土地は人柄がとても悪いと聞くが、そう
であるのか?」と原はバカだから地元民らに質問
している。
すると「そがーなことはなーで」と当たり前の
返事が返って来たという。
のちの宰相も、ものを知らぬ愚者よのう、と思
う。

私が思うに、吉備地方(備前備中備後+美作)の
人間的な性格のはてしない悪さ(たぶん関東地方
の人たちが接したら驚がくするようなことが吉備
地方ではスタンダードです)は、私はヤマト王権
に騙されて抑圧された2000年の歴史があるの
ではと思っている。
平安時代に発生した武士階級などは、元来が
漂泊者であり、土地などは全国どこでもコロコロ
と転住する。
中世以降の武家などは無責任なもんで、土地と
私法的制度で治世をいじくりまわして、そして
武家の棟梁もしくは主人、あるいは大君たる
天皇の命あれば、その土地をとっとと捨てて新た
な領地もしくは赴任地に大規模な家臣団と共に
大移動して転住する。
しかし郎党や奉公人や職方等は武士団に付随して
転住するが、農漁民のオオミタカラたちのみは
土地に縛り付けられて太古の昔より定位置に定住
し、ひとつのジモチー人格を長年に亘って形成
して来る。
それが土地柄および人柄というものの実体だ。
武士階級は土地柄などには関与しない。
武士には家の気風はあれど、気性に土着性は
見られない。いくら信長や秀吉が「やろみゃあ、
やろみゃあ」と言っていてもだ。
地場の人間的感覚や土地柄的な意識性を形成する
のは土着民たちである。
吉備地方の人柄が、明治維新直後の原敬が
驚いて人に尋ねたように(ずっと江戸以前から
性格が悪いのが広まっていたということだ)、
ことさら同国民の中でも著しく悪い性格である
のは、私はヤマト政権成立とヤマトによる吉備国
の征服の古代史、そしてその数百年後のさらな
る吉備国の再支配(桃太郎伝説の温羅=ウラ
の時代。砂鉄製鉄開始の頃の時代)等々、複次
的に虐げられた吉備地方の歴史が人間的な
人格形成の背骨としてあったように思える。
日本以外の他国を見ても、外敵によって何度も
歴史上侵略支配を受けて来た国の国民の人間
的な特徴は、すぐに感情的になり、激昂し、相手
を攻撃的に排外し、そして自分こそが正義で
あり美しく清い、としたがる。常軌を逸するほど
の烈火の感情を表出させながら。
それは岡山県人にソックリである。
似たような歴史があるから似たような結果となる
のではなかろうか。
大宅壮一は岡山県を日本のユダヤと称したが、
人間的に想像がつかないならば、近隣の某国人を
想像してもらえばいい。岡山県人に何から何ま
で双子のようにそっくりだ。発想、ものの考え
方、言動、いいまわし、人への接し方。
すべて某国と瓜二つである。


まあ、「特殊な土地だから」。
こう思うしかない。
Z-YARD の店舗は何も悪い事はしていない。
また、マナーの悪い客というのも、常連の私は
見たことが無い。
「あそこにバイクなんかが集まる店ができた
のよ。いや~ねえ」
というような連中の陰口なのだろう。
本当に自分の土地の中に入ってきたりしていた
のならば警察に訴えるか直接店に抗議してくれ
ばいい。
店の敷地内でエンジンをバンバン吹かしたり
とかしたのも見たことが無い。
また、遠くから爆音轟かせてやってくるライダー
も私の知る限りでは一人もいない。
客筋は、みんなごくごく真面目な大学生のような
にーちゃんやねーちゃんやご夫婦や中年過ぎた
壮年の気の良いおっちゃんたちばかりだ。

しかし、上掲の画像をよ~く読んでほしい。
見えてくるものがいくつもある。
ただ、道にツアラーたちが止まっているだけでも
不快感を抱いたりする自己中心的な脳内完結
人間たち(これこそが岡山県人の特徴)が言って
ることなのだ。
「大変なことになってる」←(笑)。
これ、実はこの地方で非常に多く耳にする。
地の言葉では「おおごとになっとる」と言う。
だが、実は非常に個人的主観で我田引水の
判断の表明であることが多い。
で、次にくるのは「どがーしてくれるんな」
(どのように責任を取るというのか)という
発想と言辞であることはこの地方の定番だ。
ライダーが品行方正だろうと、どんなことをしよ
うとも、どんなことがあっても、この地方の人間
が人のことなどは良くは思わない。
それは期待してはいけない。あきらめないと。
だって、岡山県だから。

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