素朴だけど真似のできない味
手縫いののれんに、黒マジックで「筑波」の文字。アルミサッシのドアには、花柄のシール。昭和の食堂そのままに、浅草から三ノ輪に抜ける大きな国際通りの沿道に、その店は控えめに佇んでいる。
昨年11月20日。台東区の鷲(おおとり)神社・酉の市の帰途、あまりの寒さに体の芯まで冷えきり、目にとまった手書きのれんに駆け込んだ。くもりガラスの向こうの様子がわからず、入店には少し勇気が必要だった。
アルミサッシの引き戸を開けると、丸い昔ながらの石油ストーブが目に飛び込む。小さな丸窓の向こうにオレンジの炎がゆらゆら揺れ、石油の燃える懐かしい匂いに、心がふわっとほどけた。
「いらっしゃい」と気さくな掛け声の女性が二人。厨房でフライパンを振っている70代の人がおかみさんらしい。カウンターに寄りかかりながら、おかみさんやお客さんと楽しそうに話している配膳の女性はやや年若だ。
常連さんらしきサラリーマン客や若者、近所のお年寄りがみなひとりで来ていて、なごんでいる。石油の匂いと相まって、なんだか“ふるさと”みたいなお店だなと思った。
人気だというポークソテー定食は、コクのある甘辛ながら、どこかひねりのきいた食べたことのない味付けで惹きつけられた。ポテトサラダやおひたしの小鉢も安くて美味しい。メニューも多い。
のちに取材を依頼すると「うちなんてたいしたことないから」と固辞。本連載は、常連さんに迷惑をかけたくないという思いや、えらそうに出るのは苦手、という理由で断られることがままある。
そこをなんとかと、いつものように編集のモトさんが粘りに粘って、ようやく再訪にこぎつけた。
ポークソテー定食950円。野菜の品数が多く、キャベツとレタスが青じそと共に刻まれていてシャッキシャキ
あらためて食べると、うーん旨い!肉が柔らかく、火をとおしすぎていないのに、表面の一部はカリカリ。長年の経験でしか体得できなさそうな焼き方だ。ケチャップ、ソース、醤油。あともうひとひねり、このコクはなんだろう。
「にんにくよ」と、おかみの延島勝子さん。80代を過ぎても店に立ち、97歳で亡くなった母親の考案で、勝子さんが味を完成させた。
「私自身は肉が苦手だったんだけど、お客さんに食堂やるなら魚と野菜だけじゃだめだよ、お肉出してって言われて必死で研究したの。今は、私も少し食べられるようになったのよ」
壁一面に貼られたメニューは、全部で58種(やはりのれん同様、全部手書きだ)。肉の定食だけでも、肉とニラの玉子煮、チキンカツ、焼き肉、ウインナー野菜炒め。そのほかにカツカレーやカツライス。苦手と言いながら、客が喜ぶパンチのある肉料理を、母と二人でこしらえてきた。母亡きあとは、勝子さんひとりで。
ランチタイムはカツ丼650円、サバの塩焼き定食700円
戦後まもない昭和22年開店。勝子さんは学校を卒業した二十歳から50年間店に立ち続けている。
「え、そう? メニュー58もある? 数えたことなかったわ。私がやるしかないからやってきただけで、たいしたことないのよー」
なんでもない、まるで他人のことのようにサバサバと語る。されど50年。この世代の女性がひとつの仕事を全うするのにかけた時間としては見事な歳月だ。
タクシー運転手で大賑わいの日々
つくばエキスプレス浅草駅から徒歩10分、銀座線田原町駅から16分。どこからも少しばかり遠い。酉の市発祥の鷲神社までは7分ほどだが、メインの客層は、じつは参拝客ではなく73年前の開店以来、吉原帰りの客と、タクシー運転手を相手に営んできた。
というのも、勝子さんの父がタクシー会社を経営していたからだ。母はひとりで食堂を切り盛りした。その前は夫婦で錦糸町に食堂を開いていたが、東京大空襲で全焼。この地に居と店を構えた。
道幅も広い国際通り
浅草エリアの古い定食屋を取材すると、たびたび東京大空襲の話が出る。水口のように、実母と妹を亡くしたり、勝子さんの両親のように店と住まいをまるごと失ったり。戦争は遠い昔の出来事ではないのだと、あらためて知る。
「父は年中、人に騙されて商売はうまくなかった。その分、働き者の母がひとりでがんばってた。店の前の国際通りは交通の往来が多く、当時は朝から晩までズラーッと、うちに立ち寄る運転手さんたちの車が止まっていたわね」
ぶりステーキ。「野菜やきのこをとってもらいたくて」と考案。みりんと醤油だけなのにおいしい。大根おろしや生姜は注文ごとにすりおろす
母は自分のものは何ひとつ買わず、売上は5人の子どもの教育費にすべて充てた。
「全員私立のエスカレーターの中高に通わせて、大学まで。次兄は国立大に進みましたが、5人全員に教育をつけるのは楽ではなかったと思います。何も財産は残ってないけど、教育を与えてもらったことはありがたかった。でも、兄たちは商工会議所などに就職したので、店を継ぐ人がいなくなっちゃったのね。私しか手伝う子がいなくて、母がかわいそうになっちゃって。手伝ったはいいものの、きつくていつ逃げ出そうか、そればっかり考えていたわね」
休日は、今と変わらず日曜日のみ。タクシー運転手に合わせて8時から23時まで営業。客はひっきりなしで、つねに満席だった。
「だから私は泊まりの旅行はもちろん、遠出もできないの。毎日、閉店して片付けてからやっと自分たちの夕食になる。そりゃきつかったわよ。でも母は死ぬまで一度も愚痴や弱音を言わなかったの」
勝子さんがギックリ腰を患ったときも、翌日店に立ち、1ヶ月間コルセットを着けてしのいだ。
「いらっしゃいませって腰を曲げると痛くてね。1ヶ月したら自然に治っちゃったけど」
もちもちの麺がボリューム満点、ナポリタンうどん。500円
現在の営業時間は11時半から21時までで、合間の休憩はない。昼のまかないは昔と同様、カウンターの陰で「パパっとすませる」。配膳の手伝いは、気心の知れたお客さんに頼んでいる。
「中休みをしない理由? 部屋に上がってゴロンって横になったらもう、起き上がれなくなっちゃうもの」
日曜は、趣味のテニスを楽しむ。毎週やらないと体がなまって重くなる。生来、体を動かすのが好きな人らしい。
国際通りのかつてのにぎわいは消え、「こんな日が来るとは想像もつかなかった」と語るほど、街は静かになった。去年、消費税が上がってから、客があまり飲まなくなった。近所の商売仲間も異口同音らしい。けれども、あいかわらず定休は日曜のみ。土曜も休んだら体が楽では?と水を向けると。
「この辺は他に定食屋がないから、お客さんのために開いとかないと。だからあまり閉められないのよね」
「いつ値上げしたか、覚えていない」
取材中、高齢の女性や40~50代の女性ひとり客が来て、居心地よさそうにテレビを見ていた。
去年、私が訪れたときは19時過ぎだったので、働き盛りの男性客が中心だった。
客の女性が言う。
「ここは野菜も多いし、肉や魚、なんでもおいしいの!」
隠れた名品「ポークソテー」
勝子さん自身が野菜や煮物が好きなので、定食も野菜がたっぷりだ。ポークソテー定食950円には、ほうれん草のおかか添え、自家製の白菜の塩漬け、冷奴がつく。メインの皿にはキャベツ、きゅうり、トマトに、ホワイトアスパラガス半切れ、ポテトサラダが嬉しい。
さらに特筆すべきは味噌汁で、これまで取材したどの店より具が多い。大根、豆腐、ねぎ、わかめがどっさりで、椀の中の箸が進みづらいほど。白味噌で上品な味にまとまり、必ず柚子の皮が添えられる。この柚子がまた、いい仕事をしているのである。
フライやポークソテーに添えられるキャベツは必ず青じそと一緒に刻んで香り付けされている。勝子さんの野菜料理はさり気なくどれもちょっと、気が利いているのだ。
野菜の小鉢はきんぴら、ごまあえ、おひたし、ブロッコリーサラダ、長芋の縁切りすべて250円。
生野菜定食。ハム、チーズ、きゅり、紫玉ねぎ、レタス、トマトの下にポテトサラダとホワイトアスパラが
消費税も上がった。野菜も安くない。これで採算は取れるのか尋ねると、前にいつ値上げをしたか忘れてしまった、と笑う。
「たしかに野菜が高くなったりするけど。しばらく辛抱すると落ち着いて安定するもの。おかげでなんとか値上げせずにやってこれたかな」
それに、と勝子さんは付言する。
「ひとり暮らしの男性やお年寄りが、ちょこっと青菜のおひたし作るのって、結構手間じゃない? お豆腐もちょこっとつけて、バランス良くしてあげたいのよね」
延島勝子さん。趣味は毎週のテニスと韓流ドラマ鑑賞
夢はとくにない。
ただ、一番の喜びは、「お客さんが全部きれいに食べてくれること」。
僭越ながらこちらの夢は、いつまでもこのお店が続くことである。だから筑波に行く人は、米一粒残さず、必ずきれいに食べきってほしい。それが勝子さんの元気の源になるから。私からのお願いである。
(撮影/難波雄史)
「食堂 筑波」
東京都台東区浅草3-42-5
電話:03-3875-0637
<次回は3月3日(火)に更新予定です>