「全盲の親」に育てられた子が感じてきた"葛藤"

「善意」と「無遠慮な視線」に思うこと

目が見えない両親ときょうだい3人の家庭で育った女性の、幼少期の家庭の様子や苦悩を聞いた(写真:室橋さん提供)

耳が聞こえないお母さんなら筆者の知り合いにもいるので多少イメージできるのですが、目が見えない人の子育てって、困難過ぎはしないか? しかも3人も、どうやって?

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取材応募フォーム(リンク)から届いた「両親ともに目が見えない、きょうだい3人の家庭で育ちました」というメッセージを読んで、まず頭に浮かんだのは「いったい、どうやって?」というクエスチョンマークでした。

連絡をくれた室橋結子さん(仮名・40代)の住まいは遠く、残念ながら直接会うことはかなわなかったため、スカイプで取材することに。約束の時間に連絡すると、スマートフォンのディスプレイにさっぱりした感じの女性が現れました。時折、結子さんの飼い猫が、画面の隅をゆるりと通り過ぎていきます。

小さい頃は目が見えていた両親

結子さんの父親は、昭和一桁の生まれでした。幼少期は目が見えていたのですが、戦争が始まった小学生の頃に受けた手術がうまくいかず、間もなく完全に視力を失うことに。戦後すぐに生まれた母親も、4歳の頃に「突然視界がハレーションを起こしたような感じ」になり、それから徐々に時間をかけて視力を失っていきました。結子さんを産んだ頃には、部屋に明かりがついているかどうかがわかる程度だったといいます。

2人とも中途失明で、原因は複合的でしたが、ビタミンなどの栄養不足も大きかったようです。食糧難で、日本中が貧しい時代でした。

両親が知り合ったのはなんと、点字の同人誌だったそう。母親が書いた文章に惚れ込んだ父親が、点字の手紙を送って文通に発展し、あっという間に結婚に至ったとのこと。共働きで、父親は自宅で鍼灸マッサージの診療室を営み、母親は結子さんが小さい頃から病院で仕事をしてきました。父親は数年前に亡くなられたということです。

さて、目が見えない両親は、どうやって結子さんたちを育ててきたのでしょうか?

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