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【大リーグ】

花巻東高・菊池雄星の"ストーカー"だった…メジャーのスカウト歴23年の大慈彌功氏が当時を振り返る

2020年2月4日 12時59分

菊池雄との面談に向かうメッツの大慈彌功環太平洋担当部長(中)とマイケル・ピーターズ通訳(左)

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◇コラム「日本人初メジャースカウト 大慈彌功論」

 私がフィリーズに入団したのは2017年11月。当時西武に所属していた菊池雄星投手(現シアトル・マリナーズ)の獲得のためだ。当時、雄星は18年のオフにはアメリカへ行くだろう、との情報があった。日本人スカウトが所属しておらず、なおかつ雄星獲得に興味のある球団を、私は探していた。そこでフィリーズと思惑が一致したのである。

 私が雄星を見初めたのは07年8月、夏の甲子園だった。当時、花巻東高校の1年生で背番号「17」。リリーフ登板前のブルペン投球を見た瞬間、彼は間違いなく将来アメリカで活躍できる能力がある、と確信したものだった。

 それからは彼の追っかけになった。高校時代は2年間で25回視察した。卒業直後にメジャー挑戦の夢は持ちつつも、日本残留を決断。会見時、私の名前と、ドジャースのスカウトだった小島さんの名前を出し、申し訳ないと涙を流していたのが今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 西武入団後も、自主トレ期間中からシーズン終盤まで継続して彼を追いかけ続けてきた。

 フィリーズに対しては、ある程度の資金を用意し、誠意を示せば、雄星を獲得する自信があると、また獲得出来ない場合は潔く職を辞すると、事あるごとに言ってきたものだ。ちなみにメジャーリーグのスタッフの契約は、通常11月1日から10月31日までである。 

 ▼大慈彌功(おおじみ・いさお) 1956(昭和31)年生まれ。大分・中津南高からドラフト外で太平洋クラブ(現西武)に入団し、捕手として4年間プレー。語学留学をへて、通訳兼ブルペン捕手としてダイエー(現ソフトバンク)、バレンタイン監督の通訳としてロッテに在籍。97年からスカウトとして大リーグ球団を渡り歩き、メッツ、ドジャース、アストロズに続いて昨年まではフィリーズで環太平洋担当部長を務めた。

 

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