新型コロナウイルスの影響で“封鎖”された中国・武漢で、いま起きていること

新型コロナウイルスの感染源として、都市全体が封鎖された状態にある中国・武漢。いまでは周辺地域を含む数千万人が、隔離下での生活を余儀なくされている。こうした状況下で、いま現地では何が起きているのか──。

Wuhan

HECTOR RETAMAL/AFP/AFLO

新型コロナウイルスの震源地である中国・武漢の路上で、年老いた男性が歩道に倒れて横たわったまま死んでいる──。中国の中部に位置する武漢市では約1,100万人が暮らしているが、中国政府は1月23日に同市を封鎖し、すべてのバスと列車、飛行機、フェリーの運行を停止した。

翌週に入ると、封鎖措置はこれまでアウトブレイク(集団感染)の影響をまともに受けてきた湖北省の複数の都市へと拡大された。いまでは湖北省全体で約4,500万人が隔離下に置かれている。

しかし、封鎖が2週目に入ってもアウトブレイクは鈍化する気配を見せず、何千万人という中国人が隔離下での生活を余儀なくされている。以下に紹介する写真は、世界的な蔓延の中心地として孤立した都市・武漢の姿を垣間見せてくれる。

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新型コロナウイルスの集団感染は、世界最大の人口移動でもある春節(旧正月)が迫るなかで発生した。1月23日の午前2時に隔離措置が発表され、隔離が発効する午前10時までに30万人を超える人々が列車で街を脱出したと、武漢の交通当局がソーシャルメディアに書き込んでいた。この投稿は、すでに削除されている。

それから3日後、中国政府は武漢中心部のすべての一般車両の走行を禁止した。中国共産党傘下の英字新聞『チャイナデイリー』によると、公共交通が停止したいま、政府は市民の足とするために6,000台のタクシーを組織したという。

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警備員が立っている「華南海鮮市場」。新型コロナウイルスの最初の感染は、この海鮮市場から始まったと考えられている。海鮮市場はじめじめしており、魚や鶏などの動物がここで屠殺され、猫、犬、カメ、ヘビ、ネズミ、マーモットまでを含む生きた動物も販売されている。この疾患は、市場にいた生きた動物から始まり、それが人間に感染したとの説がある。

このウイルスの最初のいくつかの症例が世界保健機関(WHO)に報告されてからまもない1月1日、海鮮市場は検査と除染のために閉鎖された。しかし、ここはウイルスの唯一の感染源ではない可能性がある。

コロナウイルスに感染したことが最も早く確認されたのは2019年12月1日に具合が悪くなった患者だが、この患者は海鮮市場とは何のつながりもなかった。初期の症例のうち13人が、やはり海鮮市場とはつながりがないことは、初期の感染源あるいは別の感染源が存在する可能性を示している。

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こうしたなか、新型コロナウイルスの感染患者を治療するための1,000床の病院を武漢に建設する作業が、1月24日に始まった。もともとは地元労働者のために計画された休暇施設の周囲に建設中のプレハブ式のこの病院は、2月5日に完成する予定である。

巨大な病院を短期間に建てた経験が、中国にはすでにある。2003年のSARSのアウトブレイクの際には、7,000人の作業員が北京郊外に新たな病院をわずか8日間で完成させた。この病院は2カ月の間に中国のSARS患者の7分の1を治療したという。

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1月25日、武漢市紅十字会医院にやってきた患者を防護服を着た医療スタッフが治療している。中国で確認された1万人以上の症例のほとんどが湖北省で、このウイルスによる死者はこれまでのところ中国国内に限定されている[編註:のちに国外でも中国人の死者が確認された]。

実際の感染者数は、公式発表よりはるかに多い可能性がある。穏やかな症状しか出ていない多くの人は医療機関に報告しない可能性があるし、罹患していることにまったく気づいていない人もいるかもしれないからだ。

新型コロナウイルスの蔓延をモデル化している疫学者は、この1週間で症例は20万に達する可能性があると予測している。米国のノースイースタン大学による別の予測は、武漢市内の感染者数が25,000人になる可能性があるとしている。

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武漢市内からの報告によると、スーパーマーケットの棚は空っぽで食糧が不足しているとのことだが、頑として正常時を装おうとする住民もいる。1月31日のこの写真によると、武漢中心部の路地で露天商が生魚を売っていた。WHOが新型コロナウイルスを「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であると宣言し、この10年で指定を受けた6つ目のアウトブレイクとなってから1日後に撮影されたものである。

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スパイ伝統の受け渡しテクニック「デッド・ドロップ」は、このデジタル時代においても“現役”だった

古くからスパイたちが使ってきたテクニックとして知られる「デッド・ドロップ」。顔を合わせることなく誰にも見つからず物を受け渡せる、実にシンプルかつ物理的な受け渡しの手法である。この手法、実はデジタル化が進んだ現在も広く使われていることが、とあるスパイ事件をきっかけに浮き彫りになった。

TEXT BY ANDY GREENBERG
TRANSLATION BY RYO OGATA/GALILEO

WIRED(US)

Silhouette Man

STEFANIE AMM/EYEEM/GETTY IMAGES

中国系米国人ツアーガイドで56歳の彭学華(エドワード・ペン)は、2015年秋からほぼ3年にわたって奇妙な“お使い”をしていた。

数カ月に1回、指定されたホテル(最初はカリフォルニア州で、のちにジョージア州)の部屋を予約し、10,000ドルか20,000ドルの現金を置いてその部屋を出る。現金はドレッサーの引き出しの中に入れたり、机やテレビ台の裏に貼り付けたりしていた。

しばらくしたら部屋に戻り、SDメモリーカードを探す。メモリーカードも家具の底面やタバコの箱の中などに貼り付けてあった。メモリーカードを入手したら部屋をあとにし、北京行きの飛行機に乗り込む。そして機密情報が満載のメモリーカードを、北京で中国国家安全部の“ハンドラー”に手渡すのだった。

スパイ伝統の受け渡しテクニック

裁判所の文書によると、この手法は「デッド・ドロップ」と呼ばれる。彭のようなスパイや、その手先のあいだで昔から用いられてきたやり方だ。彭のスパイ容疑に関する刑事告訴状に署名 した米連邦捜査局(FBI)の特別捜査官は、この専門用語について次のように定義している。

「デッド・ドロップとは、物や情報を2人の間で受け渡すスパイ技術のひとつであり、作戦の安全を維持するために秘密の場所を用いて、直に会う必要がないようにする手法である」

要するに、事前に同意された隠し場所に何らかの物(紙、データ、現金のほか、秘密の機器や兵器の部品のこともある)を置いておき、周到に受け渡す手法ということになる。受け取る側は普通に会うよりも簡単に回収できるし、見つかる可能性も低くなる。なお、彭は2019年11月25日(米国時間)に、罪状を認めている

コントロールできる変数をできるだけ増やす手法

ギガバイト単位でのデジタルな“密輸”がインターネットを自由に行き来する時代において、古いやり方に思えるかもしれない。しかし、こうした昔ながらのデッド・ドロップが非常に有効な取引手法であり続けていることを、彭の事件は示している。

めったに使われない偏執的な手法のように聞こえるかもしれない。だが、情報や物を見つからないように送りたい、あるいは匿名で渡したいという場合、デッド・ドロップはいまも有効である──。そう語るのは、 『ニューヨーク・タイムズ』で情報セキュリティのシニアディレクターを務めていたセキュリティコンサルタントで、匿名化ソフトウェア「Tor」向けの開発を手がけているルナ・サンドヴィックだ。

「記者や情報提供者に直に会うことが好ましくない場合もあります。郵送する方法もあるでしょうが、そうするとほかの当事者を信頼することになります。配送サーヴィスが配達前に中身を調べる可能性もありますよね」

自身もかつて、記者と情報提供者のデッド・ドロップの準備を手伝ったことがあるというサンドヴィックは、以下のように続ける。「デッド・ドロップは荷物の受け渡し方法、タイミング、受取人を厳密にコントロールする手法です。コントロールできる変数をできるだけ増やす方法であり、直に会う必要がまったくないのです」

デット・ドロップに向く場所とは?

デッド・ドロップは何十年も前から、諜報機関の受け渡しテクニックの柱のひとつであり続けている。

旧ソ連から続く軍事情報機関である情報総局(GRU)から離反し、ヴィクトル・スヴォーロフという筆名で自らの体験を書籍にしてきたヴラジーミル・レズンは、回顧録『死の網からの脱出―ソ連GRU将校亡命記』で、ソ連のスパイだった1970年代の日課の中心はデッド・ドロップの準備と確認だったと記している。レズンは著書で「空いた時間はすべて、こうしたデッド・ドロップの場所を探すために費やす」と、記している。

「人目につかない場所を見て回る。スパイはそうした場所をいくつももっていなければならない。間違いなくひとりでいられ、尾行されていないことが確認でき、秘密の書類や物を隠しても、通りにいる子どもたちや偶然通りがかる人に見つかることがない、と確信できる場所だ。建築工事が進行中だったり、隠したものがネズミやリス、降雪や降雨でだめになったりすることがあってはならない。スパイはそんなデッド・ドロップの場所をたくさん用意しておく必要がある。同じ場所を二度使ってはならない」

80年代にソ連国家保安委員会(KGB)の二重スパイだった米中央情報局(CIA)元エージェントのオルドリッチ・エイムズと、FBIの元エージェントのロバート・ハンセンのふたりも、ハンドラーに秘密を届ける際にデッド・ドロップを使っていた。

例えばハンセンは、北ヴァージニアにある公園の小川にかけられた歩行者用の橋の下にゴミ袋を隠していた(その中には書類やコンピューターのディスクが入っていた)。そのうえで、公園内の案内標識にテープを貼った。ソ連側の連絡相手に対して、デッド・ドロップに“装填”したので確認するよう伝えるためだ。

デジタル時代の「デッド・ドロップ」

時が経ち、暗号専門家やプライヴァシーを重視するソフトウェアの開発者たちは、こうした物理的なデッド・ドロップの匿名性と秘匿性をデジタルで再現しようと取り組んできた。『WIRED』US版など一部の報道機関が使っているソフトウェア「SecureDrop」は、情報提供者がタレ込み情報や書類を、匿名ネットワークのTor経由でジャーナリストに送信できる仕組みだ。

理論的には、証拠隠しと捜査の手がかりの削除が、デッド・ドロップと同様に徹底しているうえ、実際の移動による危険がなく、はるかに広範囲に対応できる(SecureDropはプロトタイプ段階では、まさに「DeadDrop」と呼ばれていた)。

しかし、物を物理的にやりとりしたければ、ソフトウェアだけでは足りない。ダークウェブのドラッグ市場としてロシアでいちばん人気だった「Russian Anonymous Marketplace(RAMP)」では、2年前に取締りで解体されるまで、ディーラーが顧客に商品を届けるためにTorとデッド・ドロップが併用されていた。

Torで守られた市場サイトで、買い手と売り手が互いを見つける。非公開チャットで話がまとまると、モスクワを拠点としていた大多数のディーラーは、購入されたアンフェタミンやエクスタシー、ヘロインを、モスクワのデッド・ドロップに置くことを申し出る。その際、通常はGPSの座標と写真を知らせる。

市場サイトのレヴュー欄には、想像力に溢れすぎたディーラーについてのユーザーからの不満の声も掲載されていた。例えば、森のなかを歩けと強要されたが、ヘラジカがいて怖かったといったケースや、座席の下にドラッグを隠した市バスを見つけ出すように要求されたケースもあった。

つまり、このデジタルの時代においてもデッド・ドロップは廃れていない。スパイ活動やジャーナリズム、あるいはジオキャッシング[編註:GPSを利用した地球規模の宝探しゲーム]のようなドラッグ取引に使われているのだ。あなたの地元の公園の溝に置かれたポリ袋や、バス停のベンチの裏に貼り付けられた封筒は、実はその見かけよりも興味深いものなのかもしれない。

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