どん底手帖

病気、大学中退、多額の借金・・・人生に挫折した20代男性のブログ

疲れている人

 

 何かに疲れている。それも何年も、という人はきっとたくさんいるだろう。それはほとんどの場合、何かに縛られている状態なのである。

 「仕事をやめたい」・・・でも、家族がいる。または、自分の生活を維持するためには仕方がない。など、何かに縛られ、しかも終わり(期限)があまり見えないと人は絶望してしまうものだ。または、無気力を好むようになる。ちょうど、電気ショックを与えられ続けた犬が、そこから動かなくなるように。 

 何年も疲れているということは、おそらく解決策を見い出せていないのだろう。もしくは、そもそも解決策がないのかもしれない。

 解決策のない問題には、慣れてしまうしかないと言える。

 慣れれば案外平気になるものだ。この私も、借金を抱えているが、毎月数万円を返済するプレッシャーにはだいぶ慣れてきた。もっとも、最初の頃は、期日が迫るたびに冷や汗をかいていたものだが・・・。

 ただし、例外もある。例えば借金というものは、直接命には関わらない。しかし、「会社でパワハラを受けている。仕事も激務だ。精神的にも肉体的にも、もう限界が近い。このままでは死んでしまう・・・」といった場合には、どうだろうか。

 結論から言うと、命に関わる問題を抱えていて、それによって疲れている人は、すぐに解放されないといけない

 命はとても重いし、とても強い。命さえあれば、裸一貫やり直すことは可能なのだ。私も、過去に拘束時間が17時間超え、という仕事(ビジネスホテルでの夜勤)をしていたことがあるが、「こりゃあ、無理だな」と思い、すぐに辞めた。

 人は健康が一番なんだ。あなたの健康を害する仕事や環境は捨てなさい。

 前回の記事で、「耐える」というテーマで話をしたが、耐えられないことには耐えるべきではない。耐えられるか、耐えられないか。その線引きは、「健康」にある。

 身体を壊したら最後、何もできなくなる。

 私は2年前に、パニック障害を発症した。家にいても、激しい動悸にめまい、呼吸困難に襲われ、車や電車にも乗れない。もちろん、働くこと自体もできなかった。どん底に落ちたのだ。何度も言うが、人は健康が一番だ。経験者の私の言葉を信じて欲しい。もう、トータルで10年は薬を飲んでいる。そんな辛いことを、他の人にもやってもらいたくない。

 人それぞれ事情があると思うが、もし、今やっていることがあなたの健康を害することなのであれば、それは真っ先に捨てるべきだ。仕事もそうだし、人間関係もそう。自分を追い詰めてまで、必死に夢を追っている人もいるだろう。しかし、無理なものは無理なんだ。健康を害してまで、夢を叶える必要はないのである。

 

耐えるということ

 

 大人になってもなお、笑いの絶えない人生を送っている人はいるのだろうか。

 学生なら、友達とうまくいかない。成績が上がらない。受験に失敗した・・・。大人なら、お金がない。給料が安い。上司、同僚とうまくいかない。趣味を楽しむ時間がない。異性との接点に恵まれない・・・など、何かしら悩みがあるのが普通で、大中小あれど、皆、それぞれ悩みを抱えていて、何かしらに耐えて生きているのである。

 私のように、子供の頃から病気を患っているという人は少数派かもしれないが、この世に生きている以上、良い出来事なんてそうそう起こるものではない。

 私は13歳で鬱病を患った。いじめで不登校も経験し、大学は中退。充分に働くことができず、今はそれなりの額の借金も抱えている。はっきり言って、どん底である。それでも、半年に1度くらいは、「おお、生きててよかったな」と思える楽しい出来事があるから、「次はどんな楽しいことがあるのだろう」と妄想をして、眠りにつく。順風満帆な人生など、ごく一部の選ばれし人たちを除いてはあり得ないのだ。誰でもピンチに陥ることはある。他人事だと思っていたら痛い目に遭う。シャープや東芝のような大企業が傾く時代だ。明日は我が身である。

 私の親はすでに還暦が近く、父親に至っては白髪だらけ。親は、必ず子供よりも先に死ぬ。もちろん、その前に自立しなければならない。私は現在、うつ病でなかなか思うように動かない身体に鞭を打ち、必死にアルバイトをして食い繋ぎながら就活を続けている。正直言って辛い。もっと楽な方に逃げようと思えば逃げられる。過去には障害者手帳を取得し、障害年金を受給することも考えていた。しかし、障害者の通う事業所(俗に言う作業所)というものは、その給与は国からの助成金、つまり税金から出ている。私はそれがどうしても腑に落ちず、2018年に退所。障害者手帳も返納した。あえて厳しい道を選んだのである。その結果、1か月と待たずに仕事をクビになったこともあるが、諦めてはいない。どこかの漫画のセリフではないが、「諦めたらそこで試合終了」なのである。

 私はまだ、25歳だが、年齢の割にはざまざまなどん底の経験をしている。子供の頃から耐えて耐えて、今もなんとかこうして生きている。それは、周りに助けてもらったからというのもあるが、自分なりに知恵を絞ったからでもあった。その一部を綴ろうと思う。

 

◆ 特別な人は無視していい

 

 私はほとんどテレビを見ない。テレビで有名人の特集なんか見ても、なんら意味がないからだ。

 わかるだろうか。そういう大成功している人たちは、神に選ばれたと言ってもいいくらい、ごく一部の例外的で特別な人なのだ。一方、私も含め、あなたはもちろん、そちら側の人間ではない。「私はこんな質素な生活をしているのに、この人たちは」と、いちいち妬んでいたり、その不公平さに怒りを覚えていたら、とても身が持たない。中には「自分も将来はこうなってやる」と野心を持つ人もいるかもしれないが、それはごくごく少数派だろう。私も含め、この世のほとんどの人は、何も持っていない凡人なのだから、わざわざ特別な人に目を向ける必要などない。テレビなんか見ても単にストレスになるだけだ。有名人の豪遊自慢なんか、本当にどうでもいいことですよ。

 

◆ 辛いのは自分だけではないという考え方

 

 決して口には出さないだけで、皆、何かしらの悩みを抱えている。

 私は6年ほど前、秋葉原のとあるゲームショップを訪れた。すると、店員さんが、先輩と思われる人に、これでもかというほどに怒られて、号泣しているのを見たことがある。そう、誰でも、とは言わないが、ほとんどの人は、そういった辛い出来事に耐えながら生きている。たまに、この世で自分が最も不幸だというように喚き散らす人がいるが、何も自分だけが辛いわけではない。そういう考え方ができる思考回路を持たないといけない。

 街を歩くカップルは、本当にお互いが好きで付き合っているのか。もしかしたら、寂しさからお互いに妥協した末に付き合っているだけなのかもしれない。居酒屋で大声で笑っているサラリーマンは、楽しいからではなく、会社で何か辛いことがあって、うさ晴らしに声が大きいのかもしれない。そういう風に、大局的に人や物事を見て判断しないといけない。

 

◆ 心の支えとなる「モノ」を持つ

 

 「ピンチになっても、自分にはこれがあるから大丈夫」という安心感を持つことはとても大事だ。ただし、これだけは心の支えにしてはいけないというものもある。それは人である。「友達100人できるかな」なんて歌っている小学生じゃあるまいし、大人になったら、友達なんて、できたと思えばすぐに消えていく。そんなものである。私は人間不信で言っているのではなく、あくまで一般論だ。親や家族を心の支えにするのも良くない。相手にとって重荷になってしまう。

 できれば、心の支えにするのは人ではなく「モノ」がベストだ。今、この記事を書いている私の手元には、嗜好しているタバコと薬、それに愛読書があり、私は自分の好きなものに囲まれていて、とても気分が良い。

 人はとにかく、自分の嫌なものに囲まれると、気が滅入ってしまうのである。だから、自分の好きなもの(できれば、携帯可能なもの)を、何かひとつでも持つことだ。

 

 他にもまだまだ、耐える方法はたくさんあるが、明日は朝から私事があるので、今回はこのへんで。