小学生の時、モーニング娘。が絶大なブームだった。
特に『LOVEマシーン』が発売されたときの勢いは凄まじく、街のどこを歩いていてもこの曲が流れていたし、老若男女、誰もがモーニング娘。を知っていた。
もちろんクラスでは「モー娘。メンバーで誰が好きか?」という話題になる。
「ゴマキめちゃくちゃかわいくね?」
「なっち好きすぎる」
「わたしはジョンソンが好き!」
当時、男子の間ではゴマキ(後藤真希)やなっち(安倍なつみ)、ジョンソン(飯田圭織)が人気だった。でも俺は違った。
「お前は?」
「俺は石黒彩」
「えっ?ゴマキとかなっちじゃなくて?」
「石黒彩」
そう、俺のキラリと光る一番星。それは「石黒彩」だった。個性的なメンバーの中でも特に大人びて、圧倒的な色気を放っていた石黒彩に小学生4年生の俺は釘付けになった。
『モーニングコーヒー』の「くちづけも出来ない人」、真夏の光線の「帰りたくないのよ」など石黒彩の好きなフレーズはたくさんあるが、俺の中で石黒彩を不動のものにしたのはLOVEマシーンの
「明るウィッ!」
聴いた瞬間、イカヅチ、いやウィカヅチに打たれたような衝撃を受けた。ド派手なメイクをし、ド派手な衣装に身を包んだ石黒彩が「明るい」を「明るウィ」と歌っていた。すべての血管が爆発するくらいの興奮だった。
「明るい未来に就職希望」
歌詞の意味はよくわからなかったが、このフレーズをずっと口ずさんでいた。
「石黒彩が好き」
いつしかそんな感情はとうに超越していた。
「石黒彩になりたい」
そう、もはやなりたかった。俺は石黒彩に。石黒彩になるにはどうしたらいいか。勉強も運動もそっちのけで考え続けた。石黒彩とはなにか。なぜ石黒彩は石黒彩なのか。なにが石黒彩を石黒彩たらしめたのか。でも答えはわからなかった。小学生のちっぽけな脳みそでは「すべての『い』を『ウィ』に変える」くらいしか思い浮かばなかった。
担任「じゃあこの問題を、かんそうくん答えてください」
「わからなウィ」
母親「いつまで起きてるの!もう寝なさい」
「まだ眠くなウィ」
石黒彩になりたウィ自分と石黒彩になれなウィ現実、そんなジレンマを抱えていた俺に最大のチャンスが訪れた。
『6年生を送る会』
各学年の生徒がそれぞれ歌や踊り、劇などの出し物を披露して卒業する6年生にエールを送ろうという毎年恒例の行事。俺たち4年生は多数決の結果『LOVEマシーン』の歌とダンスを学年全員ですることになった。こんな奇跡が…本当に…俺が…石黒彩に…?
問題は「誰がどのパートを歌うか」だった。当時の学年の人数は2クラス60人弱。サビは全員で歌うのだが、メロ部分はフレーズごとに歌うことになっていた。枠は当時のメンバーの人数と同じ「8人」。
「おれゴマキ!」
「あたしなっち!」
学年の目立ちたがり屋が一斉に声を挙げる。希望者が複数いる場合は話し合いか、ジャンケンで決める。前述したとおり人気メンバーだったゴマキやなっちにはたくさんの生徒が立候補していた。しかし、俺が狙うのは当然「石黒彩」のみ。クラスで俺以外に石黒彩が好きな人間はいない…これは…もらったァァァアアア…!
「は、はい!ぼく石黒彩がいいです!」
「おれも!」
はァァァァああああああァァァ!!!????
クラスの男子・ハヤトだった。
そこからは平行線だった。俺がいくら石黒彩への想いを語ろうが、ハヤトは一向に石黒彩を譲る気配がなくただ時間だけが過ぎていった。すると業を煮やした教師が
「あぁ〜、もうしょうがないからジャンケンで決めよっか!」
ハヤトは賢くてズルい奴だった。ゴマキやなっちの席に座る望みが薄いとわかって、俺しか立候補のいない石黒彩だけを狙ってきていた。ハヤトは最初から「すべてを」知っていた。俺が緊張すると絶対最初にグーを出す癖も。俺の石黒彩への想いも。すべて知って…
このままじゃ俺は石黒彩になれない…なんで…クソ…クソ…そのとき、俺の中でなにかが「キレた」
「ハヤト。ちょっと…」
「あ?なんだよ?」
ボソッ
「…お前の好きな子の名前、いまここで叫んだっていいんだぞ」
「…や、やめろって…わかったって…」
本当に悪いことをしたと思ってる。それでも、誰かを傷つけても、悪魔に魂を売ってでも、俺は石黒彩になりたかった。石黒彩になることだけがすべてだった。でもこれで終わった。なれる、これで俺は、石黒彩になれる。歌える。小学5年生の男子じゃない、モーニング娘。の石黒彩として「明るウィ」を歌える。嬉しくて泣いた。
そして迎えた『6年生を送る会』当日、ふつうに風邪引いて学校休んだ。
「石黒彩になりたい」
その夢は叶わなかった。俺は石黒彩になれなかった。
そして、すぐにもうひとつの悲劇が訪れた。石黒彩がLOVEマシーンを最後にモーニング娘。を脱退してしまった。こうして俺は石黒彩も夢も、すべて失った。
そのあとの小学校生活は「石黒彩を探す旅」のようなものだった。でも、どこにもいなかった。石黒彩は、どこにも。
…それから大人になった俺はどこか心の中に石黒彩を抱えながら今も変わらず、明るウィ未来に就職希望している。