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史上空前の論文捏造事件のどんでん返し

捏造は許されないが、論文は物理学の発展を先取りしていた?

岩佐義宏 東京⼤学⼤学院工学系研究科教授

  「史上空前の捏造(ねつぞう)」と言われた米国ベル研究所の論文捏造は、今世紀初頭、ほぼ20年前に起こった。次々に発表された画期的な発見のすべてが捏造だったという特異な事件だった。だが、その後の経過がまた驚くべき道筋をたどっていることは、あまり知られていないのではないか。実は、彼の「発見」が次々と確かめられているのである。筆者自身、彼の報告の中心的成果の一つを実現させた。その結果、この分野の研究がさらに広がっている。科学とはこのように進むものなのか。物質科学の分野で起きたこの事件について、半分当事者という立場から振り返ってみたい。

2年間で50報以上を第1著者として出版

 ベル研究所の研究員だったヤン・ヘンドリック・シェーン氏は2000~2001年に、有機材料を用いたトランジスタによって、超伝導から量子ホール効果(半導体の界面などに磁場をかけたとき生まれる量子論的な現象)、レーザー発振、単分子トランジスタなど多彩な新しい物理現象を次から次へと報告し、物理学界を興奮の渦に巻き込んだ。しかも、たった2年の間にnature誌、Science誌計16報をはじめとして、全50報以上の論文をすべて第1著者として出版した。通常、若い研究者が第1著者で出版する論文数は1年間に1~数報であるため、インパクトといい、論文数といい、空前絶後のスケールであった。

拡大ヤン・ヘンドリック・シェーン氏がベル研を解雇されたことを伝える2002年9月のnature
https://www.nature.com/news/2002/020923/full/news020923-9.html

 しかし、2002年になって設置されたベル研の外部調査委員会が、多くの論文がシェーン氏ただ一人による捏造であるとの結論を出した。その結果、彼は即日ベル研を解雇され、急速に事件が終息した。論文の多くは本人の同意なく取り下げられ、だれ一人として氏の論文を1本たりとも信じなくなった。

 この経過をもう少し詳しくお伝えしよう。シェーン氏が無敵の進軍を続けていたとき、世界中の研究者が氏の素晴らしい成果に触発され、意気込んで参入した。日本人の中にも、海外に留学して一発当てようという血気にあふれた若者が数人いた。世界中の教授たちは、自分たちのアイデアを盛り込んだ研究提案書を資金提供機関に出し、そのいくつかは採択された。筆者もある機関から比較的高額の研究費を獲得した。研究費の採否にかかわらず、学生や研究員を動員して再現を目指した研究グループもかなりあった。

シェーン氏の共同研究者の研究室からの驚くべき情報

 しかしながら、留学した人たちを含めた関係者から、再現はおろかトランジスタが動作したとの報告さえ聞くことはなかった。2001年の後半になると、彼の仕事は怪しいのではないかという雰囲気が少しずつ漂い始めた。

 2002年3月、ヨーロッパの研究室に行った日本人研究者から筆者に驚くべき情報がもたらされた。ここはシェーン氏の共同研究者の研究室で、氏を招いて一緒に再現実験を試みたところ、一度として成功することがなかったというのである。しかも、この日本人研究者の観察によると、彼の実験技術は驚くほど稚拙で、ほとんど哀れなほどであったというのである。

 百聞は一見に如かず、日本人研究者は、シェーン氏の論文はすべて作り話だと結論した。しかし、世界中に巨大なインパクトをもたらしている氏の研究を、数回の実験失敗という科学的な証拠とは言えない見聞をもとに糾弾することはさすがに避けるべきだとも判断した。

 それは、「万が一にもシェーン氏が正しいという可能性はないか?若い日本人研究者の告発という行為を世界の研究者仲間はどう見るか?」などということを考えたうえでの判断と思われる。このように、捏造事件には、第三者がその問題を指摘するのに非常に高い心理的バリアが存在するのである(匿名の情報発信が簡単にできる現在では、その状況は少し異なるかもしれない)。

 筆者もそのような判断はもっともだと思う一方で、さすがにこの情報だけで氏の膨大な成果のすべてが捏造だとは信じることができなかった。むしろ研究費を獲得していた立場から、シェーン氏はきっと一度くらいは素晴らしい成果の兆候を見ているはずだと勝手に希望的な観測をし、実験を継続した。

外部調査委員会の設置で一挙に捏造説に傾く

 その後、氏の2つの論文に出ている全く別のデータのノイズが酷似しているという指摘から捏造との疑惑が一挙に高まり、2002年5月になってベル研が外部調査委員会を設置すると、学界は一挙に捏造説に傾いていった。実験を続けていた大学院生や研究員はテーマの変更を考えざるを得ず、筆者を含む研究費を獲得していた研究者は一転、針の筵(むしろ)におかれるようになった。

 実際、調査委員会の立ち上げを報じた新聞は、「日本のナノテク・プロジェクトも予算獲得のためにベル研の論文を引用したものがある。それだけ競争の激しい分野だけに影響を懸念する声がある」 とコメントし、当事者であった筆者はさらに厳しい立場に追い込まれた。

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筆者

岩佐義宏

岩佐義宏(いわさ・よしひろ) 東京⼤学⼤学院工学系研究科教授

1981年東京⼤学工学部物理工学科卒、1986年に同博⼠課程を修了(工学博⼠)。1986年から東京大学助手、その後、北陸先端科学技術大学院大学助教授、東北大学教授を経て、2010年より現職。1993年~1994年にベル研究所に滞在。固体物理、ナノテクノロジーの研究に従事。2019年、仁科記念賞を受賞。