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市川:
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今日はリゾートオフィスを提唱する松岡温彦さんをお迎えして、リゾートのメッカ軽井沢でのにやかです。 |
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■松岡温彦
東京都・軽井沢在住 陽風館館長
住友信託銀行、住信基礎研究所常務取締役を経て、サテライトオフィスを草創。定年退職後は地域シンクタンク、環境、福祉、文化など各分野のNPO、NGOの育成に従事。シチズンワークス代表理事、日本テレワークス学会顧問。著者に『遊職人種宣言ーリゾートオフィスのすすめ』(共著1991銀河工房)『人、われを「在宅勤務社員」と呼ぶー本当の自分を取り戻す』(1998実業之日本社)などがある。

■玉村豊男
エッセイスト、画家、農園・ワイナリー経営
ワイン用ブドウ、ハーブ、西洋野菜を栽培する農園「ヴィラデスト」を開き、2004年4月からは、自園自醸のワイナリー、カフェ、ショップ、ギャラリーを加えた「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を経営。4月に箱根町に個人美術館が開館。

■加瀬清志
放送作家、日本記念日協会代表
放送作家、日本記念日協会代表記念日、丸型ポスト、満月、豆腐、プロポーズ、蔵宿などを研究中。「信州検定」の仕掛人

■市村次夫
小布施堂、桝一市村酒造場社長
小布施の町並み修景の中心的存在。オブセッションなどをはじめ常に新しい話題を巻き起こす実業家。小布施の「桝一客殿」の開業も間近

■柳沢京子
きりえ作家
信州の美しい風景を一枚のきりえに映しとり、自然の強さやはかなさ、景観の大切さを訴え続けている。2005年から「さくら国際高等学校」の副校長も務める

■山崎陽一
写真家
上田市出身。日本写真家協会所属。朝日新聞、週刊朝日を中心に活躍中。週刊朝日に連載の「ウチのヨメ讃」、「縁あって父娘」は20年以上続くロング企画

■市川美季
KURA編集長
岡谷市出身。もっと楽しい信州を目指して、地域情報やまちづくりの今を雑誌を通じて全国へ情報を発信中
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玉村:
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松岡さんは私の旧友なんですが、なんと銀行員のくせに会社に行かずに仕事をしていた人なんです。80年代の終わり頃から軽井沢でリゾートオフィスを実践してて、いわば在宅勤務の走りですよね。
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松岡:
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銀行の仕事はいろいろあるんですが、僕は企画関係が多かったので、オフィスに行かなくてもできたんです。玉村さんの本も読んでいたし、これは自分にもできるに違いないと思って会社に相談して在宅勤務にしてもらいました。玉村さんが言うには、外部とはFAXでやりとりして電話に出なければ仕事がはかどるとのことなので、立派なFAXを備えて。 |
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加瀬:
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仕事は会社から「今日はこれこれしなさい」と指示が来るんですか?
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松岡:
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いいえ、僕の方から「今日はこういうことをします」と連絡します。それで「予算をつけろ」とか、そんなことをこちらから言ってました。 |
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市村: |
リゾートオフィスは一般的には広がらなかったのですよね。 |
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玉村:
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サテライトオフィスは結構できましたね。 |
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松岡:
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リゾートオフィスもサテライトオフィスも学者やNTTさん、いくつかの会社と組んで実験事業をやりました。サテライトオフィス協会(現テレワーク協会)ができたし、学会もできた。それらがみんなつながっていて、今年は安倍首相がそういうテレワークを進めなくてはいかんと言い出したから、みんな興奮してますよ。 |
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加瀬:
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長野県はサテライトオフィスの場所として有力視されていたんですか?
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松岡:
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僕は軽井沢にいたから当然長野という意識があったし、長野市内や安曇野でもやりました。場所的には海か山かということで、安曇野では泉郷が一生懸命やってくれました。
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市川: |
一生懸命やるというのは、オフィス的な環境を整えてくれるということですか。 |
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玉村: |
会社がリゾート施設を買うか借りるかして社員を送り込む。不動産会社としては会社が顧客ですからね。 |
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市川: |
会社で松岡さん以外でそういう働き方をされていた方はいたんですか。 |
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松岡: |
いえ、私ひとりしかいなかったです。 |
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市川: |
どうして松岡さんだけ許されたんですか。 |
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柳沢: |
どういう仕事だったんですか。すごく興味ある。 |
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松岡: |
仕事はプロジェクトものです。サテライトオフィスのリゾートオフィスを作ったのもそうですが、外部の人たちと組んで仕事をするので、会社にいなくても、連絡を取り合って、現場やいろんなところに集まればいいわけです。銀行にはそういう機能がないから、逆に僕の場合は予算さえもらえばいいわけです。僕のポジションはもともとロスセンターと言われていて、会社にいるとすごくお金がかかる(笑)。それで、できるだけ会社に来ないと、お金も使わないんじゃないか、給料なんか安いもんだと思ったらしいですね。 |
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玉村: |
計画的にそういう評判を作りながら、自分の地位を確保していったわけですね。 |
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市村:
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この間テレビで、北大の山岸俊男先生という社会学者が、日本は相互監視システム社会で、信頼社会ではないと語っておられましたが、会社へ行くというのも相互監視なんでしょうかね。それをパスして存在感を維持していったのは、大したもんです。 |
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玉村:
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今はメールで仕事するから、部下と顔を合わさないとか、机にもいない。そうすると、平社員から課長、部長という稟議書がなくなって、連絡や報告はメールで行われ、部長と現場が直接話をして、課長にはCCしか来ない。だんだんそういうことになっていく。 |
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松岡:
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そうですね。監視システムが崩れてきているかもしれないですね。そうするとみんな安心してやれるんじゃないですか。いろんな調査をやりましたけど、なぜ、そういうひとりで働く在宅勤務が嫌なのかという一番の原因は、上司とのコミュニケーションが減って昇進する可能性が減るんじゃないか、という恐怖感が上がりました。 |
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柳沢: |
良い仕事っぷりを見せないといけないとか。 |
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松岡: |
基本的には上司のそばにいて、ゴマもすらなきゃいけないというサラリーマンの習性ですね。 |
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玉村: |
リゾートオフィスの実験で一番面白いと思ったのは、何が困
ったかというと、就業時間が決まっていないことでした。何時に報告するいうのは会社ごとにやっていたみたいだけれど、自分で時間を管理できない。だから、何時に起きるか勝手に決めていいんだよと言われても、朝礼がないと動きにくいとか、ゴミを出す、食べ物をつくる、それらの時間を考えてない。ずっとオフィスだと思っている。でも、実際は生活をしていかなくてはならない。それが意外に時間がかかる。生活が仕事に入ってくることに違和感がある、という意見があった。それが面白かったね。 |
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加瀬: |
リゾートオフィスに向く特定の業種というのはありますか? |
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松岡: |
やってみたら、何でもできることがわかったんです。特定の業種や人事、経理部はできないんじゃないかと思っていましたが、やるとできます。アウトソーシングと同じで、どうってことないんですよ。 |
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柳沢: |
社内報とか日本の屋根という本の編集の仕事をしていたときは、案外、家でもできたからそれはわかる。
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松岡: |
今は実験を終えて、事業になっています。最近は女性の育児、子育ての関係でいろいろ出ています。1度会社を辞めて、育児を終えて戻ろうと思っても戻れないのがほとんど。ですから、できるだけ細々とでも会社とつながって仕事をした方が良いということから、こういうシステムだとある程度仕事ができるんです。そこが最近注目されてきました。 |
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市川: |
女性にこそ在宅勤務が必要なんですね。 |
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柳沢: |
本当にそう。特に銀行でそれができるのなら、女性は自分のキャリアを生かせるチャンスが必ず来るんですよ。 |
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玉村: |
アウトソーシングとなると、だんだんそういう方に近づいていくだろうね。 |
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市村: |
女性の会社復帰が難しいのは、群れの生活ができなくなること。家庭内では天皇的存在でしょ、決定権では。亭主なんていうのを牛耳れば、あとは子どもだけですから。それを10年やって、群れの生活へ戻るっていっても、無理なところがあるんですよ。でも在宅勤務での復帰は簡単にできると思いますよ。 |
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柳沢: |
在宅でできる分野をその人に与えてくれるなら、ちゃんとできるんです。二人の子どもを育てていて、市役所に行っていろいろ自分の思いを伝えようとしたんですが、どこから伝えたらきちんと伝わるか、その術すら、この“説得のお京さん”でさえできなくなっちゃった(笑)。 |
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市川: |
しゃべり方が変わってしまうのですか?
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柳沢: |
この人にわかってもらわなきゃいけないと思うことが、言えないの。赤ちゃんと同じ言葉になってしまう。赤ちゃんて、大人の言葉でしゃべれないから、全然だめなの。保育園を探さなきゃということで、それを説明したいのだけど、理路整然と言えないの。 |
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松岡: |
女性も割り切って、家にいて3カ月くらいリハビリやるんだっていう感じになれば簡単なんです。でも、仕事ができた人は妙なプライドがどこかにある。 |
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柳沢: |
ありますね。だから、そういう意味では早く何でもしなきゃって、吐きながらでも仕事やりましたよ。そういうことをやっていたことさえ、自分自身さえも忘れてしまいそうで不安なんです。それに打ち勝つことと同じです、在宅は。会社というより、社会と離れるみたいな。
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快適在宅勤務のノウハウは
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松岡: |
私の仕事のプロジェクトは自分でリーダーシップをとってまとめていくんですが、それは割とわがままにできるところもあるんです。それが今の仕組み、つまり上司が命令して部下に在宅勤務をやらせるというのは、アメリカの在宅勤務もそうですが、情報機器を使って、彼が今何をしているか監視するシステムを作ってやるということです。アメリカはいろんな人がいますから、レベルも違うし監視しないといけないところもあるでしょう。でも、日本の場合、それはないと思います。NTTと協力して遠めがねというシステムをつくりました。それは、在宅勤務者から会社が見えるというシステム。みんながどういうところを見たがるか、課長がどうしているか見たがるかとかね(笑)、一番見たがったのは、みんながどこへ行っているかという行き先掲示板でした。そこにカメラを当てておいてくれと(笑)。 |
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柳沢: |
自分も群れのひとりということだけは、確保しておきたいんですね。
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加瀬: |
私にはその心理、わからないですね。他人の行動を知りたいとか全然、思いません。私は長い間ひとりでやってきましたから。他人の外出先を見たいというのは組織で働いている人が、自分の行動との比較対照のために知りたいんでしょうね。まあ、営業とかだと社内でのライバルだったりしますからね。 |
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山崎: |
僕はずっとフリーできて、35年間、朝日新聞・週刊朝日の仕事をしていると、週2回くらい新聞社へ行きたくなる。フリーだからこそ、担当者とのコミュニケーションがないと心配になるのね。 |
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柳沢: |
みんなの行動を見たいという心理は、その辺にあると思う。面白いね。課長の悩む姿見てもしょうがないものね。
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玉村: |
当時のリゾートオフィスは、会社が契約しているところに送り込むわけだから、それはある程度監視されている。今の携帯・メールはどこに行ったかわからないわけで、もっと掴めなくなってますよね。
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柳沢: |
ご主人が在宅でやっていて、奥さんはフルタイムで学校の先生とか。
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松岡: |
何でもやれるんです。そうなれば熟年離婚なんてないわけです。 |
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柳沢: |
その役割分担もいろいろできる。アメリカは大使館の一等書記官になった奥さんのために、弁護士であるご主人が子育てに日本に来ているとかあるわけです。
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松岡: |
失敗したのは、アメリカのリゾートオフィスは自分が凝って面白い部屋をつくるんです。ところが、日本は事務機器会社がやるもんだから、オフィス家具なんか持ち込んじゃったりして。それが今話題になって、これからはそういうことを考えていこうと。やっと自分の好きな部屋をつくるという時代になってきた。 |
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玉村: |
そうじゃなきゃ、ウィークリーマンションと同じだもん。 |
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軽井沢で仕事をするということ
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市川: |
松岡さんはどうして軽井沢を選んだのですか。
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松岡: |
僕は祖父の時代から軽井沢に別荘があったので、子どもの頃から馴染みがありました。都会ではなく、できるだけ軽井沢にいたいという思いが強かったので最後の10年くらいは、ほとんど会社に行かなかったです。2回行ったかな(笑)。
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市村: |
わたしのオフィスは自分が住んでいるところですから、リゾートオフィスにするには、まわりをリゾート化する以外にないと思ったんですよ(笑)。今まで観光地のイメージに知的な臭いがなかったから、リゾートオフィスのような考え方が入ってくると、観光地をリゾートに脱皮できるチャンスだと感じました。当時は。
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加瀬: |
観光地をリゾートにというと? |
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市村: |
ひと言でいうと、都市機能を植えつけるということです。 |
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玉村: |
観光客というのは周遊でバーッと来て帰るけど、リゾートはある程度滞在する。 |
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松岡: |
町の機能が近くにあるというのは、ヨーロッパがそうですね。 |
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市村: |
ヨーロッパのリゾートって、があるという感じですね。日本は偏った機能しかない。/font> |
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松岡: |
軽井沢で仕事をすると言うと「なんで軽井沢まで行って仕事をするんだ」という感じでスムーズにいかないんです。僕が子どもの頃なんかは、軽井沢へ来て仕事をする人は多かったですよ。学者とか物書きとか。涼しくて気候が良いから仕事ができる。いろんな人がリラックスして集まって会話ができる。軽井沢はそういう場所だと思っていたんです。でも、世間の人は、軽井沢まで行くんだったら遊びたいというイメージが強い。やっぱり観光志向ですね。それでなかなか世間と合わなくて。今はむしろ軽井沢が観光化していくことの不安があります。
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市村: |
逆の方向ですね。我々長野県民の密かな自負ですが、政治経済の世界のかなり重要な事項は軽井沢で決まった…みたいな感じがあったと思うんです。遊びだ、静養だといいながら、実はインフォーマルだけど、国際的スケールで重要な話が行われていた。
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加瀬: |
確かにそういう雰囲気は軽井沢にあると思います。 |
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松岡: |
昔はあった。だから、僕らがやっているのは、考え方をつくり直さなきゃいけない。新しい軽井沢はどうあるべきかということです。二つ誤解があります。ひとつは、昔の軽井沢は信州だったんです。今は信州じゃなくて「軽井沢」。東京や群馬の人が大量に来るところなんです。昔の僕らは信州に来たという喜びがあった。避暑でしたから、ゆっくり過ごせたんです。もうひとつ、軽井沢は単に自然環境に恵まれたリゾートではなく、外国や日本の各界の先進的な人が集まってくる、日本の中で世界に開かれた窓的場所でした。だから面白くて多くの人がやって来たんです。古いからじゃなくて、新しいものがある、西洋の匂い、舶来の匂いを感じて、ちょっと楽しむ。そういう世界でした。今はそれがなくなってしまった。
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市村: |
軽井沢にスキー場ができなかったから、歪められることがなかった、ということもあると思うんです。規模は小さかったですが、戦前の志賀高原の宮家とか、VIPの別荘などでは、夏にハイキングを楽しんで、ピアノを持ち込んで、志賀高原にピアノの音が流れていた。それが、戦後はスキーですごくいびつな機能になってしまった。奥志賀の音楽堂は別にして、宿泊施設でピアノなんて今は考えもしないですよ。スキー場開発で何かが違ってしまった。 |
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松岡: |
昔のスキー場はそうでもなかったですよ。妙高赤倉には両方の魅力がありましたよね。 |
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柳沢: |
特に赤倉観光ホテルの周辺はね。 |
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市村: |
野尻湖も数奇な運命をたどっている(笑)。 |
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柳沢: |
最初は極めてアカデミックなリゾートでしたね。 |
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市川: |
かつて避暑地といわれた場所は、いずれも都会の第一線で活躍する人たちが集まる一流の社交場だったのですね。ある意味そこで政治も動いていたかもしれない。そこに醸される雰囲気がブランドとなって観光地となっていって、多くは劣化してしまったのかもしれませんね。リゾートと仕事は反対のようでいて、実は繋がっていないといけないようです。次号ではさらにリゾートオフィスの話が続きます。
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■以上 |
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