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【書く人】

データ化で実像に迫る 『戸籍が語る古代の家族』岡山大教授・今津勝紀(いまづ・かつのりさん)(57)

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 日本における国民の登録制度である「戸籍」。その歴史は、奈良時代以前の七世紀までさかのぼる。性別、年齢、身分、財産、身体的特徴…。戸籍に記載された多様な「個人情報」を手がかりに、古代の人々の生活に迫った。

 専門は日本古代史。「歴史学者は戸籍を目録のように扱ってきたが、データにして読み込んでいくと面白いものが見えてきた」。古代の社会を構成していた家族やムラの実態を再現しようと、戸籍の研究に統計分析の手法を取り入れたのは約二十年前。九割以上が残存する御野(みの)国半布(はにゅう)里(現在の岐阜県富加町周辺)を中心に現存する各地の戸籍を調べ、人々の平均寿命や年齢階層、婚姻出産の年齢、通婚圏をデータ化した。

 古代の婚姻は、夫が妻のもとに通う「妻問(つまどい)婚」が一般的だったという。だが男女の関係が常に流動的で、双方の親族と密接に関わる「双系社会」だったとの解釈には、異論を唱える。着目したのが、半布里の戸籍に書かれた夫婦の年の差が、年齢を重ねるにつれて広がっていく現象だった。「古代は男女とも死別などで再婚を繰り返す事例が多いが、女性はある一定の年齢になると再婚の対象から外されていた。生き延びた男性を軸に、世帯が再構成されていたのでしょう」

 男女別居が基本と考えられていた「妻問婚」についても、同葬された男女の発掘事例や万葉集で歌われた情景を根拠に、古代にも夫婦同居はあったとみる。「いずれも、これまでの双系社会の説明では無理がある。父系社会への萌芽(ほうが)が見られる二重構造だったというのが私の立場です」

 数年前に父が亡くなった際、手続きのため自身の父や祖父らの戸籍を取り寄せた。見たこともない父方親族と、自身がかつて過ごした生活圏がほとんど変わらないことに「めまい」を覚えたという。「それぞれの人の人生や営みが見えた、という実感があった。これは古代の戸籍でも同じことが言える」。そして庶民の戸籍にも書かれた戸主や家督相続の記録は、まさに近代に作り上げられた「家制度」そのものだった。

 「いま常識だと思われている家族形態を相対化して考える契機になればうれしい。今後の家族のあり方や多様性も、視点を相対化する中でいろいろな可能性が出てくると思います」。吉川弘文館・一八七〇円。

 (宮崎正嗣)

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