空いたポストは若手に…「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望

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 バブル崩壊後の採用が少ない時期に、辛酸をなめた就職氷河期世代。彼らはそれぞれの業界、職場で長く苦闘を続けてきたが、制度改正や合理化によって労働環境の劣化は一層進んでいる。疲弊する現場の今を追った。

<第2部は月・木掲載>「終わらない氷河期~疲弊する現場で」特集ページ

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 遅刻しないよう、朝は早めの5時に起き、自宅のある埼玉県東部から2時間以上かけて神奈川県西部にある私立大学に向かう。1時間半のフランス語の授業を2コマ終えると、休む間もなく千葉県北部の私立大学へ。電車の中で昼食のおにぎりを詰め込み、2時間後にはまた教壇に立つ。文学や芸術の授業を午後6時に終え、帰宅する頃にはくたくただ。「毎日違う大学に行っています。一つの職場で集中したいですが、仕事があるだけましですね」。約15年間、非常勤講師を続けてきた川本昌平さん(50歳、仮名)は淡々と日々のスケジュールを教えてくれた。現在は六つの大学で講師を掛け持ちする。細いレンズのめがねにアーガイル柄のセーター、ジーンズ姿。落ち着いた口調だが、表情にはあきらめと疲れがにじむ。

博士号増えるもポスト増えず

 埼玉県出身。子どもの頃から本の虫で、学者に憧れを抱いていた。高校時代は中国の古典「史記」に夢中になり、中国文学を志したが、1年間の浪人時代にフランス文学者が書いた本に感銘を受け、有名私立大の文学部に入ってフランス語や文学を学んだ。

 新卒採用が急減した「就職氷河期」初期の1993年、卒業を迎えたが、研究者の道しか頭になく、大学院に入った。国は90年代、研究力向上を狙いに「大学院重点化」政策を進め、博士号取得者は年々増えた。当時、民間企業などへの就職が難しく大学院へ進む人も多かった。一方、正規雇用の専任教員のポストは増えず、ただでさえ少ない文系の博士の就職はより狭き門になっていた。「高学歴ワーキングプア」という言葉も生まれた。

恩師の言葉信じて渡仏、努力重ねたが……

 博士課程が満期の3年を終える時、指導してくれていた教授が別の大学へ移った。専門性の高い博士課程で指導教員が代わる影響は大きく、「学位が遠のく」とも言われる。後任の教授に相談すると、「君の専攻は自分には分からない分野なので、フランスで博士論文を書いて、博士号を取ってくればいい。戻ってきたら、道をつけてあげるから」と勧められた。

 その言葉を信じ、日本の大学院を退学して2000年に渡仏。大学の授業料や生活費を稼ぐため、現地で日本語教師として働きながら、博士論文に没頭した。授業にはほとんど行かず、図書館で文献を探しては、自宅に閉じこもってフランス語で執筆を続けた。海外での博士号取得は6年はかかると言われていたが、3年半で書き上げ、口頭試問もパスした。「孤独でしたが、お金も限りがあり、死に物狂いで頑張りました。革新的な内容のものができたという自信があったので、日本に帰れば教員になれると思っていました」

 しかし、現実は違った。道をつけてくれるといった教授が病気で急逝したこともあり、04年に帰国直後、母校では非常勤講師の職しかなく、しかも週1コマしか担当できなかった。1コマの収入は年間30万円程度にしかならない。当時30代半ば。塾講師や家庭教師のアルバイトなどで食いつなぎ、年収は150万~200万円。最も少ない年はわずか60万円だった。

「いつかは報われる」信じ続けて

 数年後には別の大学の非常勤講師も掛け持ちするようになったが、基本的に1年ごとの契約で、社会保険や一時金もなく、昇給もほとんどない。カリキュラムが変わったという理由でコマ数が減らされたこともあった。「毎年秋ごろには翌年度の授業計画が決まり、コマ数が分かる。減ると分かった時はみじめで、精神的にもかなり追い詰められました」

 1人では生活できず、帰国後は年金受給者の母と一緒に賃貸マンションに住む。外食は立ち食いのかけそばですまし、飲み物は買わない。「結婚し、家庭を持ちたい」という希望はあったが、経済的に安定しない状況では踏み切れなかったという。

 苦しい生活の傍ら専任教員を目指し、募集を見つけては毎年申し込んだ。これまで100件以上応募したが、面接に進めたのはたったの2回。「宝くじに当たるみたいなものです」。それでもあきらめなかったのは、「いつかは報われると思っていたから。かけてきたもの、努力してきたものが多い分だけ捨てられないじゃないですか」。

 同じ文学系の大学院時代の仲間も修士課程を終えて社会に出た人は、民間企業に就職できたが、博士号を取った同年代はほとんどが今も非常勤講師などで、専任教員になった人はいないという。

 大学には個人の研究室はなく、自宅でこつこつと研究を続けた。本や資料は8畳間に三つ並ぶ本棚に収まりきらず、床にも積み上がっている。論文や著書を積極的に発表し、「外国文学の研究者の中では業績は多い方」と思う。研究内容は、芸術を通してフランスの民主主義の基盤になったものは何かを整理して紹介するもので、日本に民主主義を根付かせるためにも必要な仕事だと考え、やりがいも感じていた。

空いたポスト 経営陣は「若い方が…」

 昨秋、チャンスが訪れた。応募していたポストの面接に呼ばれたのだ。推薦してくれた教員もいて、合格の手応えはあった。50歳にして、ようやく専任教員になれると思ったが、結局、自分より若い人が選ばれた。事情を聞くと、教授会では川本さんの採用が決まっていたものの、経営陣が「若い方がいい」と反対したのだという。

 国は「第5期科学技術基本計画(16~20年度)」で、若手研究者の育成が必要として、40歳未満の大学教員の数を1割増加させる目標を掲げる。川本さんは自身が不採用となったのもこうした方針が影響したと考えている。周囲でも、30代で博士号を取った後輩が専任教員となるケースが相次いでいる。「団塊の世代からは、『われわれがやめたら売り手市場だから」と言われて我慢してきた。ようやくポストが空いても、今度は補充されるのは30代。僕らは完全にはしごを外されたようなもので、一番割を食っている」

 心が折れた。「もう自分は必要とされていない。事実上廃業をつきつけられていると思います」

博士の地位低く、選択の余地なし

 最大で八つの大学を掛け持ちし、6年前から非常勤のコマ数が増えた。年収はようやく約400万円まで上がった。ただ、現状のコマ数がいつまで維持できるか保証はない。先輩の非常勤講師から50代から60代にかけてコマ数が減らされ、200万円程度に下がったと聞いた。同年代の非常勤講師は、同居する母に認知症の症状が出て介護が必要になり、経済的にも精神的にも追い込まれている。老後の不安は募るばかりだ。「手遅れになる前に、最優先すべきはフリーターから抜け出すこと」。川本さんは今、「海外逃亡」を考えている。日本語教師の口があるという。「だって選択の余地がないでしょう。海外に比べて日本では博士の地位は低く、企業も採用したがらない。せっかく専門知識があっても社会でどう生かすか考えていない。世界でもまれにみる『低学歴社会』だと思います」。そう低い声でつぶやき、次の授業へ向かうため駅の改札をくぐり抜けた。【牧野宏美/統合デジタル取材センター】

国の「大学院重点化政策」が裏目に

 大学院で専門知識を学び、博士号を取得した人たちが正規の研究職を得られない――。博士号取得者の「就職難」が指摘されて久しい。背景には大学院生を増やすなどの国の政策があり、景気悪化が重なる就職氷河期世代を中心に大きな影響を受けている。

 1990年代、国は「大学院重点化政策」を推進。研究力向上をうたい、大学院の定員を増やすもので、東京大を皮切りに広がった。少子化を見据えた経営面からの大学側の戦略、という側面もある。博士課程修了者(満期取得退学者も含む)は91年の6201人から2006年には1万5973人と15年間で約2・5倍に増えた。さらに国は、第1期科学技術基本計画(96~00年度)で「ポストドクター(ポスドク)等1万人支援計画」を打ち出し、研究人材としてポスドクの量産を進めた。ポスドクとは博士号を取得した後、公的資金から給与を得る任期付きの研究員で、主に理系分野で研究の人手不足を補う一方、就職難の博士の「受け皿」という意味合いもあったとされる。

 しかし、専任教員の新規採用者数は需要に比べて伸びず、逆に非常勤の割合が増え、16年には3割近くを占めた。国立大の法人化や、私立大では少子化に伴う人件費削減などが影響しているとみられる。「博士号を取得して大学教員に就職する」という進路に乗れないケースが増え、特に99~07年の就職率は54・4~58・8%と低迷した。彼らは大学の非常勤講師やポスドクをしながら、正規職への就職活動を続ける。収入が足りず、塾講師などのアルバイトで食いつなぐ「高学歴ワーキングプア」も少なくない。

 「女性科学研究者の環境改善に関する懇談会」が17~18年に非常勤講師を対象に実施したアンケート調査(回答数711、女性54%、男性45%)では、講師としての年収は50万円未満が21%と最も多く、100万~150万円未満(18%)、50万~100万(17%)と続いた。約半数が、勤務する大学で雇い止めがあると回答。不満として41%が「収入が少ない」、39%が「身分が不安定」を挙げた。

 民間企業の就職も狭き門だ。文部科学省によると、企業の研究者に占める博士号取得者の割合は4・6%(16年)で、オーストリア(17・1%、11年)やロシア(10・8%、13年)、米国(10%、10年)などに比べかなり低い。採用しない理由として「特定分野の専門知識を持つが、企業ではすぐに活用できない」と回答した企業が多かった。

 「高学歴ワーキングプア」などの著書がある立命館大客員研究員の水月昭道(みづき・しょうどう)さんは「国はせっかくお金をかけて博士を増やしてきたのに、能力やスキルを生かすという発想が乏しく、多くの『余剰博士』を生み出した。特にボリュームゾーンのロスジェネ(就職氷河期)世代はもろに影響を受けており、40歳を超えると行き場がなく、うつうつとしている人も多い。民間企業が積極的に採用するなど早急に対策が必要だ」と話している。