映画の感想文 [868] 天国と地獄
【天国と地獄】
製作年:1963年
公開:1963年3月
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、仲代達矢
===== あらすじ(途中まで) =====
製靴会社常務で横浜の高台に屋敷を構える権藤金吾の運転手、青木の息子が誘拐された。犯人は権藤の息子純をさらったと勘違いたのだ。ただちに警察に通報が届き、神奈川県警の戸倉警部らが屋敷にやってきた。
犯人から連絡が入り、間違いに気付いたが、要求を取り下げるつもりはないという。権藤は自分が破産すると知りながらも、妻怜子の言葉にも押され、身代金3000万円の支払いに応じると決断した。指示されたとおり厚さ7cm以内の鞄に札束を入れ、警部らと一緒に特急第2こだまに乗り込んだ。
犯人の巧妙な計画で身代金は奪われるものの、子供は無事に保護することができた。戸倉警部は全力で犯人を追うと部下たちに激を飛ばし、真夏の炎天下、連日の捜査が繰り広げられることとなった。
権藤の屋敷は横浜の高台に建っていた。それを平地の小さなアパートから恨めしげに見上げる男がいた。近くの大学病院のインターンで、名は竹内銀次郎という。
===== 感想 =====
● 天国
あまりに有名な話なので、ここで犯人を明かしてもネタバレにはならないだろう。
誘拐犯は竹内だ!――って、大袈裟な書き出しだな。
天国とは何か、地獄とは何か。
その答えは、直接的には竹内の台詞で語られる。
高台に建つ権藤の豪邸――平地のごみごみした家々を見下ろし、真夏の太陽を浴びて煌めき、きっと室内は涼しく、住人は優雅な生活を満喫しているのだろう――まるで天国のように。
一方、竹内は自分の部屋は地獄の釜のようだと対比するのだが、それはまた後で。
その前に、天国の実態を見る必要がある。そこにいるのは神でもなければ天使でもないからだ。
屋敷の主の権藤夫妻は後述のとおり誠実で高潔な「人間」だし、運転手の青木も忠誠心のある「人間」だ。
ところが秘書の河西や頻繁に屋敷に出入りする役員たちは、どれも欲や妬みにまみれた「人間」だった。彼らは権藤を陥れようと隙をうかがい、裏切りなどもいとわない。権藤邸は亡者が蠢く権力闘争の修羅場となってしまう。
お気楽な天国などではなかったのだ。
● 緊迫
犯人の要求に応じると決めた後、身代金の引き渡しとなる。指示された場所は東海道線の特急こだまの車内。
ここは緊迫した名シーンの連続だ。
現金を詰めた鞄を持った権藤と、戸倉、田口、荒井らの刑事が特急に乗り込み、犯人からの次の指示を待つ。客室は窓が開かない。密室のような車内で犯人はどのように金を受け取り、どうやって逃走するのか――刑事たちも予想がつかないまま、列車は走り続ける。
もうじき国府津というところで連絡が入る。酒匂川の鉄橋を渡ったところで鞄を寄こせというものだが、その方法は――(*1)。
観ていてグイグイと話に引き込まれるし、当時としてはまったくの意表を突くようなトリックの見事さ。誰もが驚いたらしい。
映像もすごい。
犯人から具体的な指示がくるまでの権藤や刑事たちの緊張感、そして指示を聞いて裏をかかれたと知ってからの焦燥感――こうした芝居は迫力満点。
役のうえでの緊張感は半端なものではないが、実は撮影上も必死だったらしい。
というのは、特急を借り切っての撮影なので、失敗すれば撮り直しに数千万円の費用が掛かってしまう。役者もスタッフもNG厳禁の撮影なわけで、ぴりぴりした撮影現場の雰囲気がそのままフィルムに焼き付けられたといえるだろう。
● 太陽
子供が保護されたところで、話は大きく切り替わる。ここが最初のターニング・ポイントだ。
犯人捜しは、手掛かりを求めて真夏の炎天下に刑事たちが「犬になって」町を歩き回ることから始まる(*2)。携帯電話の無い時代、脅迫電話は権藤の屋敷が見える公衆電話から掛けたのだろうと推測し、周囲のものを一つ一つ調べ上げ、地図を塗りつぶして範囲を狭めていく。まさに犯人の居場所を焙り出そうとする捜査だ。
同じ炎天下の太陽の下、竹内は「地獄の釜」のように蒸し暑いアパートから、丘の上の涼しげな権藤邸を見上げていた。
設定上、場所は横浜の浅間台(せんげんだい)と浅間町となっている(*3)。横浜駅から三ツ沢競技場の方に向かって、歩いて20分ほどの場所だ。高台の浅間台が天国、平地の浅間町が地獄ということだな。
一方、運転手の青木親子の活躍や荒井刑事の働きなどで、犯人のアジトが見つかる。江の島の近く、腰越の小さな山の上だ。湘南の美しい景色が見渡せる場所のはずだが、周りは明るい太陽が照りつける天国のようでも、家の中は薄暗い地獄だった。
● 狼煙
2番目の、そして最大のターニング・ポイントは、身代金を収めるのに使った鞄が見つかるシーンだろう。
これも真昼。権藤の屋敷から、眼下の町中に一本の「牡丹色(桃色)」の煙が立ち上るのが見える。あらかじめ燃やすと色の付いた煙が出るよう細工しておいたのだ。
この映像は強烈。この映画の基本は白黒で、ただ煙だけがピンクに着色されている。それは情景の中で唯一の色彩。絶対的な存在であり、他のすべてを圧倒し、否定する。この映画のこれまでのあらゆる要素が引っ繰り返り、まったく新たな展開になることを宣言している。
そして煙は風になびくように横に流れている。この向きも重要だ。下界の地獄から真っ直ぐ上へ立ち昇るものではないということは、カンダタの蜘蛛の糸のような救いの比喩ではないことになる。
この煙は、鞄はここだと告げる狼煙であり、いよいよ犯人との闘いが佳境になることの前触れだ。しかも、そのピンクという色は陰気なものではなく、新たな道筋が開けたという明るい展望を感じさせるものだ。
何度この映画を観ても、この絵を見た瞬間は背筋が震え、鳥肌が立つのを覚える。すごいものだ。
ここから映画の様相は一変する。
場面の多くは、時間が昼から夜となり、場所も浅間台や湘南の陽の当たる住宅地から、吉田町、伊勢佐木町さらには黄金町といった横浜のディープな歓楽街に変わっていく。
いよいよ本当の地獄に入るのだが、その前に――
● 洒落
その前に、ここで監督は一服の弛緩をいれる。
夜の横浜で戸倉たちが総出で竹内を尾行しているとき、竹内が花屋に入る。刑事を誰か一人、店内へ送り込みたいのだが、尾行班の無線係は仲間の顔を見回しながら戸倉に連絡する。
「あいにく花を買いにいくような面(つら)は一人もいません!」
大受け。最初に観た時、僕は椅子の上で飛び上がって大笑いしてしまった。
次いで入るバーの雑然としていること。店の壁には日本語とハングルのメニューが貼られ、客の中には米軍の水兵やインド人もいる。ジュークボックスの曲が代わってツイストを踊る時の人の密度は『生きる』に通じるもの。享楽的な欲望がぎっちりと煮詰まったようなダンス・シーンだ。
しかし、緊迫すべき尾行の場面で、何でこんなジョークのような台詞や活力に満ちたシーンが必要なのか。
この後、この映画の地獄を見ることになるのだが、それに備えての準備ということだろうし、この監督の洒落っけの現れなのだろう。
● 地獄
この映画を語る多くのレビューで完璧に無視されるシーン――地獄の映像。
それは黄金町あたりの怪しい歓楽街だ。安い売春宿が立ち並び、細くて暗い路地が入り組む一画には、薬物中毒で廃人となった男女が群れている。もう人間が人間ではなくなり、ただただ刹那的な快楽や刺激に反応するだけの亡者なのだ。
この監督は『野良犬』や『酔いどれ天使』や『生きる』などでも猥雑な歓楽街を採り上げてきた。人間性の陰の部分が発露する場として描かずにはいられないのだろう。
この監督を語る上で、決して見逃すことのできない要素だと思う。
実は、この映画のシーンの中では、鉄橋を渡る特急よりも、あるいは一筋のピンクの煙よりも、闇に蠢く亡者たちのほうが、僕にはお気に入りなのだ。いかにもこの監督らしい人間性を問うメッセージが、左脳の「理解」や「解釈」ではなく、右脳の「感覚」や「情動」となって、心に響いてくる。
これこそ映画だろう!
● 群像
この映画、前半は権藤金吾の出番が多く、後半は竹内銀次郎の出番が多い。名前も金と銀の対比。二人をつなぐのが戸倉だ。主役は三人のうちの誰だろうか?
クレジット上は権藤ということになる。
権藤は靴職人から叩き上げの役員だ。会社の方針が営利優先で粗製濫造に走ることに苛立ち、自ら経営権を握ろうと画策している。子供が望むような明け透けの正直者ではないが、大人の世界では充分に善良だ。
彼は、おそらく若いころの経験から貧困の辛さを知り、経営陣となってからの様々な葛藤を通じて人間の醜さを知っている。それでも破産を顧みずに人を助けずにはいられない。最も人間性に富んだキャラクターなのだ。
しかし、彼一人が主役なのではなく、この映画に登場する数多くの人物の群像全体が主役なのだと、僕は思っている。
現実は天国のようでもあり、地獄のようでもあり、そこにいる人間も善良であったり、亡者や畜生のようであったり。
権藤役は三船敏郎。ハードボイルドな風貌の善人という役作りが決まってる。
妻の伶子役は香川京子。無垢な天使のイメージが合う。
戸倉警部役は仲代達矢。野良犬のような刑事たちを率いる猟犬そのもの。
誘拐犯の竹内役は山崎努。世の中のすべてに苛立つ熱病患者にぴったり。
秘書の河西役は三橋達也。野心の塊りの俗物というスパイスになっていた。
荒井刑事役は木村功。鋭さと無神経さを併せ持つユトリ風の熱血だな。
ほかにも石山健二郎、加藤武、土屋嘉男、名古屋章らが刑事を演じ、すごく味のある映像になっている。
● 再見
硬質なサスペンスに託して「人間性」という監督が抱く最大のテーマをとことん追求した映画。題材と主題とが見事に溶け合い、高い相乗効果を生みだした作品。
これから何度も観ることになりそうだ。
(*1) 身代金を入れた鞄がポイント。
なお、この鞄は吉田カバンの特注とのこと。渋いっす!
(*2) そのまま『野良犬』の村上刑事を思い出すところ。その映画の犯人役は、今回の荒井刑事役の木村功。
(*3) 竹内の住所は、浅間町4丁目278番地 日ノ出アパート12号室。
黒澤明の映画の感想
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製作年:1963年
公開:1963年3月
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、仲代達矢
===== あらすじ(途中まで) =====
製靴会社常務で横浜の高台に屋敷を構える権藤金吾の運転手、青木の息子が誘拐された。犯人は権藤の息子純をさらったと勘違いたのだ。ただちに警察に通報が届き、神奈川県警の戸倉警部らが屋敷にやってきた。
犯人から連絡が入り、間違いに気付いたが、要求を取り下げるつもりはないという。権藤は自分が破産すると知りながらも、妻怜子の言葉にも押され、身代金3000万円の支払いに応じると決断した。指示されたとおり厚さ7cm以内の鞄に札束を入れ、警部らと一緒に特急第2こだまに乗り込んだ。
犯人の巧妙な計画で身代金は奪われるものの、子供は無事に保護することができた。戸倉警部は全力で犯人を追うと部下たちに激を飛ばし、真夏の炎天下、連日の捜査が繰り広げられることとなった。
権藤の屋敷は横浜の高台に建っていた。それを平地の小さなアパートから恨めしげに見上げる男がいた。近くの大学病院のインターンで、名は竹内銀次郎という。
===== 感想 =====
● 天国
あまりに有名な話なので、ここで犯人を明かしてもネタバレにはならないだろう。
誘拐犯は竹内だ!――って、大袈裟な書き出しだな。
天国とは何か、地獄とは何か。
その答えは、直接的には竹内の台詞で語られる。
高台に建つ権藤の豪邸――平地のごみごみした家々を見下ろし、真夏の太陽を浴びて煌めき、きっと室内は涼しく、住人は優雅な生活を満喫しているのだろう――まるで天国のように。
一方、竹内は自分の部屋は地獄の釜のようだと対比するのだが、それはまた後で。
その前に、天国の実態を見る必要がある。そこにいるのは神でもなければ天使でもないからだ。
屋敷の主の権藤夫妻は後述のとおり誠実で高潔な「人間」だし、運転手の青木も忠誠心のある「人間」だ。
ところが秘書の河西や頻繁に屋敷に出入りする役員たちは、どれも欲や妬みにまみれた「人間」だった。彼らは権藤を陥れようと隙をうかがい、裏切りなどもいとわない。権藤邸は亡者が蠢く権力闘争の修羅場となってしまう。
お気楽な天国などではなかったのだ。
● 緊迫
犯人の要求に応じると決めた後、身代金の引き渡しとなる。指示された場所は東海道線の特急こだまの車内。
ここは緊迫した名シーンの連続だ。
現金を詰めた鞄を持った権藤と、戸倉、田口、荒井らの刑事が特急に乗り込み、犯人からの次の指示を待つ。客室は窓が開かない。密室のような車内で犯人はどのように金を受け取り、どうやって逃走するのか――刑事たちも予想がつかないまま、列車は走り続ける。
もうじき国府津というところで連絡が入る。酒匂川の鉄橋を渡ったところで鞄を寄こせというものだが、その方法は――(*1)。
観ていてグイグイと話に引き込まれるし、当時としてはまったくの意表を突くようなトリックの見事さ。誰もが驚いたらしい。
映像もすごい。
犯人から具体的な指示がくるまでの権藤や刑事たちの緊張感、そして指示を聞いて裏をかかれたと知ってからの焦燥感――こうした芝居は迫力満点。
役のうえでの緊張感は半端なものではないが、実は撮影上も必死だったらしい。
というのは、特急を借り切っての撮影なので、失敗すれば撮り直しに数千万円の費用が掛かってしまう。役者もスタッフもNG厳禁の撮影なわけで、ぴりぴりした撮影現場の雰囲気がそのままフィルムに焼き付けられたといえるだろう。
● 太陽
子供が保護されたところで、話は大きく切り替わる。ここが最初のターニング・ポイントだ。
犯人捜しは、手掛かりを求めて真夏の炎天下に刑事たちが「犬になって」町を歩き回ることから始まる(*2)。携帯電話の無い時代、脅迫電話は権藤の屋敷が見える公衆電話から掛けたのだろうと推測し、周囲のものを一つ一つ調べ上げ、地図を塗りつぶして範囲を狭めていく。まさに犯人の居場所を焙り出そうとする捜査だ。
同じ炎天下の太陽の下、竹内は「地獄の釜」のように蒸し暑いアパートから、丘の上の涼しげな権藤邸を見上げていた。
設定上、場所は横浜の浅間台(せんげんだい)と浅間町となっている(*3)。横浜駅から三ツ沢競技場の方に向かって、歩いて20分ほどの場所だ。高台の浅間台が天国、平地の浅間町が地獄ということだな。
一方、運転手の青木親子の活躍や荒井刑事の働きなどで、犯人のアジトが見つかる。江の島の近く、腰越の小さな山の上だ。湘南の美しい景色が見渡せる場所のはずだが、周りは明るい太陽が照りつける天国のようでも、家の中は薄暗い地獄だった。
● 狼煙
2番目の、そして最大のターニング・ポイントは、身代金を収めるのに使った鞄が見つかるシーンだろう。
これも真昼。権藤の屋敷から、眼下の町中に一本の「牡丹色(桃色)」の煙が立ち上るのが見える。あらかじめ燃やすと色の付いた煙が出るよう細工しておいたのだ。
この映像は強烈。この映画の基本は白黒で、ただ煙だけがピンクに着色されている。それは情景の中で唯一の色彩。絶対的な存在であり、他のすべてを圧倒し、否定する。この映画のこれまでのあらゆる要素が引っ繰り返り、まったく新たな展開になることを宣言している。
そして煙は風になびくように横に流れている。この向きも重要だ。下界の地獄から真っ直ぐ上へ立ち昇るものではないということは、カンダタの蜘蛛の糸のような救いの比喩ではないことになる。
この煙は、鞄はここだと告げる狼煙であり、いよいよ犯人との闘いが佳境になることの前触れだ。しかも、そのピンクという色は陰気なものではなく、新たな道筋が開けたという明るい展望を感じさせるものだ。
何度この映画を観ても、この絵を見た瞬間は背筋が震え、鳥肌が立つのを覚える。すごいものだ。
ここから映画の様相は一変する。
場面の多くは、時間が昼から夜となり、場所も浅間台や湘南の陽の当たる住宅地から、吉田町、伊勢佐木町さらには黄金町といった横浜のディープな歓楽街に変わっていく。
いよいよ本当の地獄に入るのだが、その前に――
● 洒落
その前に、ここで監督は一服の弛緩をいれる。
夜の横浜で戸倉たちが総出で竹内を尾行しているとき、竹内が花屋に入る。刑事を誰か一人、店内へ送り込みたいのだが、尾行班の無線係は仲間の顔を見回しながら戸倉に連絡する。
「あいにく花を買いにいくような面(つら)は一人もいません!」
大受け。最初に観た時、僕は椅子の上で飛び上がって大笑いしてしまった。
次いで入るバーの雑然としていること。店の壁には日本語とハングルのメニューが貼られ、客の中には米軍の水兵やインド人もいる。ジュークボックスの曲が代わってツイストを踊る時の人の密度は『生きる』に通じるもの。享楽的な欲望がぎっちりと煮詰まったようなダンス・シーンだ。
しかし、緊迫すべき尾行の場面で、何でこんなジョークのような台詞や活力に満ちたシーンが必要なのか。
この後、この映画の地獄を見ることになるのだが、それに備えての準備ということだろうし、この監督の洒落っけの現れなのだろう。
● 地獄
この映画を語る多くのレビューで完璧に無視されるシーン――地獄の映像。
それは黄金町あたりの怪しい歓楽街だ。安い売春宿が立ち並び、細くて暗い路地が入り組む一画には、薬物中毒で廃人となった男女が群れている。もう人間が人間ではなくなり、ただただ刹那的な快楽や刺激に反応するだけの亡者なのだ。
この監督は『野良犬』や『酔いどれ天使』や『生きる』などでも猥雑な歓楽街を採り上げてきた。人間性の陰の部分が発露する場として描かずにはいられないのだろう。
この監督を語る上で、決して見逃すことのできない要素だと思う。
実は、この映画のシーンの中では、鉄橋を渡る特急よりも、あるいは一筋のピンクの煙よりも、闇に蠢く亡者たちのほうが、僕にはお気に入りなのだ。いかにもこの監督らしい人間性を問うメッセージが、左脳の「理解」や「解釈」ではなく、右脳の「感覚」や「情動」となって、心に響いてくる。
これこそ映画だろう!
● 群像
この映画、前半は権藤金吾の出番が多く、後半は竹内銀次郎の出番が多い。名前も金と銀の対比。二人をつなぐのが戸倉だ。主役は三人のうちの誰だろうか?
クレジット上は権藤ということになる。
権藤は靴職人から叩き上げの役員だ。会社の方針が営利優先で粗製濫造に走ることに苛立ち、自ら経営権を握ろうと画策している。子供が望むような明け透けの正直者ではないが、大人の世界では充分に善良だ。
彼は、おそらく若いころの経験から貧困の辛さを知り、経営陣となってからの様々な葛藤を通じて人間の醜さを知っている。それでも破産を顧みずに人を助けずにはいられない。最も人間性に富んだキャラクターなのだ。
しかし、彼一人が主役なのではなく、この映画に登場する数多くの人物の群像全体が主役なのだと、僕は思っている。
現実は天国のようでもあり、地獄のようでもあり、そこにいる人間も善良であったり、亡者や畜生のようであったり。
権藤役は三船敏郎。ハードボイルドな風貌の善人という役作りが決まってる。
妻の伶子役は香川京子。無垢な天使のイメージが合う。
戸倉警部役は仲代達矢。野良犬のような刑事たちを率いる猟犬そのもの。
誘拐犯の竹内役は山崎努。世の中のすべてに苛立つ熱病患者にぴったり。
秘書の河西役は三橋達也。野心の塊りの俗物というスパイスになっていた。
荒井刑事役は木村功。鋭さと無神経さを併せ持つユトリ風の熱血だな。
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これから何度も観ることになりそうだ。
(*1) 身代金を入れた鞄がポイント。
なお、この鞄は吉田カバンの特注とのこと。渋いっす!
(*2) そのまま『野良犬』の村上刑事を思い出すところ。その映画の犯人役は、今回の荒井刑事役の木村功。
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