この不思議な色の大地は、資源開発による“汚染”を象徴している

ドイツは環境に優しいエネルギー資源の開発に取り組んでいるにもかかわらず、依然として深刻な環境汚染源である褐炭の採掘に依存している。このパンチの効いた見た目をした液体は、朝食に飲みたいようなものではない。なんと炭鉱から出た酸性の排水なのだ。ある写真家が航空写真で浮き彫りにした資源開発による“汚染”の実態を、写真で紹介する。

The Acid Sludge Streaming Out of Germany's Coal Mines

トム・ヘゲンの航空写真シリーズ『Toxic Water(毒水)』は、褐炭の採掘による影響を受けた大地を写し出している。PHOTOGRAPH BY TOM HEGEN

『指輪物語』の“冥王の国”「モルドール」でオレンジジュース工場が爆発し、流れ出したオレンジジュースが大地を覆っているさまを想像してほしい。トム・ヘゲンが撮影したこの写真は、まさにそんな感じである。

異なるのは、撮影地がモルドールではないということくらいだ。実際の撮影地はドイツだし、このパンチの効いた見た目をした液体は、朝食に飲みたいようなものではない。炭鉱から出た酸性の排水なのである。

The Acid Sludge Streaming Out of Germany's Coal Mines

ヘゲンはドイツ東部のラウジッツにある褐炭採掘地区の上空から撮影した。PHOTOGRAPH BY TOM HEGEN

まるで木星のような色合いの液体は、褐炭の採掘によって生じる。褐炭は柔らかく水分を多く含んだ石炭の一種だ。化石燃料のなかで最も安い部類に入るが、ほかと比較してエネルギーの出力が少ないにもかかわらず、1トンあたりのCO2排出量は多い。

これは地下数百フィートから掘削機で掘り出される。空気に触れると岩石中の硫化鉱物が酸化し、酸と鉄や銅などの重金属を放出する。それらの放出物によって雨や地下水がエーテルの汚泥に変化するのだ。米環境保護庁(EPA)は、この液体が「非常に有毒」である可能性があるとしている。

The Acid Sludge Streaming Out of Germany's Coal Mines

この現実離れした色は炭鉱から出た酸性の排水によるものだ。 PHOTOGRAPH BY TOM HEGEN

ドイツでは2018年に1億6,630万トンの褐炭が採掘された。この数字は米国での採掘量の3倍以上になる。ドイツは国内のエネルギー需要の4分の1を褐炭でまかなっている。褐炭の埋蔵量は約340億トンにも達する。

ドイツは“環境に優しい”国を目指しており、18年には最後の無煙炭の炭鉱を閉鎖した。しかし、褐炭の採掘は2038年まで継続する見込みである。

だが実は褐炭の採掘によって、多くの村や道路、そして森を含む50万エーカー(約2,000平方キロメートル)近い国土が消失している。

19年3月、スウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリはこの惨状に光を当てた。ドイツで最も有名なメディアアワードのひとつ「Golden Camera Award(ゴールデンカメラ賞)」を受賞した際に、ドイツ西部のノルトライン・ヴェストファーレン州にあるハムバッハの森でデモを行う活動家たちに、この賞を捧げたのだ。この森は11,000エーカー(約45平方キロメートル)近くある露天掘り鉱山を拡張するために、まもなく消失する危機にある。

The Acid Sludge Streaming Out of Germany's Coal Mines

ドイツでは約50万エーカー(約2,000平方キロメートル)が褐炭の採掘に使用されている。 PHOTOGRAPH BY TOM HEGEN

ヘゲンの写真は、ドイツ東部のラウジッツにある採掘地区を撮影したものだ。ここではドイツ国内の褐炭のうち約3分の1が採掘される。ヘゲンはこれを見るべく、17年にパイロットを雇い、この現実離れした色と質感をカメラで捉えながら、ヘリコプターで約2時間を過ごした。「まるで別世界のようでした」とヘゲンは語る。

The Acid Sludge Streaming Out of Germany's Coal Mines

ドイツは2038年までに褐炭の鉱山を閉鎖する予定だ。PHOTOGRAPH BY TOM HEGEN

ヒトは地球を、本来あるべきではない姿に、そしてディストピアのような不毛の地に、どんどん変えてしまう。これこそがヘゲンの写真における肝心なメッセージなのだ。

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専門知識不要のゲーム制作ツール「Bitsy」は、ゲームづくりの実験場を生んだ

専門知識がなくとも、ほんの数時間で簡単なゲームがつくれるツール「Bitsy」。シンプルなツールながら、作品を集めた展示や、テーマを決めて短時間でゲームを制作するゲームジャムも開かれるほどコアなファンを獲得している。その魅力とは?

TEXT BY KLINT FINLEY
TRANSLATION BY AKARI NAKARAI/GALILEO

WIRED(US)

Retro gaming

HYPE PHOTOGRAPHY/GETTY IMAGES

つい先日、子どものころの夢がひとつ叶った。自分でヴィデオゲームをつくったのだ。実際のところは、ギリギリのところでゲームの体をなしている何か、といったところではある。

難しいゲームではない。数分でクリアできるし、1ビットのグラフィックスは、往年のアタリのゲームですら洗練されて見える程度の出来だ。それでもとにかく、ゲームをつくった。

数時間で自作のゲームが完成した

若いころにもっと勉強していたら、「BASIC」でプログラミングして、「Zork」のようなテキストアドヴェンチャーゲームをつくれていたかもしれない。しかし、その当時に利用できるツールでつくったゲームなんて、退屈なものだったことだろう。

最近であれば「GameMaker Studio」や「RPGツクール」など、マウスを操作してクリックするだけでゲームをつくれるツールも利用できたことだろう。だが、お金がかかるし、なんだか面倒くさそうではある。

そんなわけで、ヴィデオゲームをつくるという夢は、「死ぬまでにやりたいことリスト」に入ったままだった。ところが、Bitsyという驚くほどシンプルなオープンソースのウェブアプリに出合ったことで、道が拓けた。どんなものか見てみようと少しいじってみていたら、いつのまにかプレイできるものが出来上がっていたのだ。なんと数時間で、自作のゲームが完成したのである。

Bitsyを使えば、小さなピクセルアートゲームをつくれる。主人公が歩き回り、出会ったキャラクターと話をしていくゲームだ。何かをダウンロードする必要はなく、すべてブラウザ上で作業でき、8×8のグリッド内でグラフィックをつくっていく。そのシンプルさにもかかわらず、いや、むしろそのシンプルさゆえに、Bitsyは人々の心を引きつけている。

「このローファイなルックスが大きな魅力でした」と語るのは、Bitsyで「House of the Living」「The World Has Been Sad Since Tuesday」といったゲームを制作したフレッド・ベドナルスキーである。「なかなかいい8×8のスプライト(背景から独立して動く画像)をつくれそうだと思ったんです」

House of the Living

フレッド・ベドナルスキーがBitsyでつくったゲーム「House of the Living」のワンシーン。SCREENSHOT BY KLINT FINLEY VIA FRED BEDNARSKI

Bitsyを使ったゲームジャムや展示も

Bitsyを生み出したのは、ワシントン州シアトルを拠点とするソフトウェア開発者のアダム・ルドゥーだ。

彼は当初、自分のためにBitsyをつくったという。「当時わたしは別のゲームの開発に取り組んでいたのですが、行き詰まっていたんです」と、ルドゥーは振り返る。「スケルタルアニメーション・システムなどの複雑なシステムを長いこといじっていました。開発を先送りにしていたんです」

そこでルドゥーは、自分の興味に集中するためのシンプルなエンジンをつくった。「歩きまわり、出会った人に話しかけ、その場所を探索する」という興味だ。

「ゲームボーイで遊んで育ったので、ポケモンのように町の人たちに話しかけると噂話を聞かせてくれるようなゲームをつくりたかったんです」と、ルドゥーは語る。「ゼルダの伝説」シリーズや、2013年に発売されたゲーム「Gone Home」からも大きな影響を受けたという。

Bitsyのオリジナル版には、グラフィック用のインターフェイスがなかった。ルドゥーはテキストファイルを編集してグラフィックをつくっていたのだ。しかし、初期につくったゲームを妻に見せてみると、彼女もこのツールを使いたがった。「オリジナルのインターフェイスは、彼女を主なユーザーとして想定したものでした」とルドゥーは言う。

Bitsyがリリースされたのは17年のことだ。以来、このツールを使ってつくられた2,000種類以上のゲームが、ゲームホスティングサイト「itch.io」で公開されている

コミュニティの急成長とともに、さまざまなチュートリアルや、コア・プラットフォームに機能を追加するツール、あるいはゲームデザイナーたちがテーマを決めて短期間でゲームを制作する「ゲームジャム」と呼ばれるイヴェントなどが生まれてきた。

18年にはBitsyを使うゲームデザイナー数十人が、ニューヨークのアートギャラリー「Babycastles」で作品を展示した

When I Get Home

Bitsyの生みの親、アダム・ルドゥーがつくったゲーム「When I Get Home」。SCREENSHOT BY KLINT FINLEY VIA ADAM LE DOUX

Bitsyが開いた新しいゲームの世界

Bitsyでつくられるのは、ストーリー主導型の一風変わったゲームが多い。ゼルダの伝説シリーズのローファイ版と言ってもいいだろう。ただし、アクションはBitsyの守備範囲外だ。Bitsyゲームの多くは、「インタラクティヴ・フィクション」という分類がふさわしい。

例えば、クレア・モーリー作の「Cat’s Out of the Bag」では、キャラクターが歩きまわりティーンエイジャーのたまり場や高校での会話を盗み聞きしていくなかで、思わず引き込まれてしまうようなストーリーが展開していく。

とはいえ、伝統的なアドヴェンチャーゲームをつくれないというわけではない。ベン・ブルースの「Realm of the Dread Queen」は、Bitsyゲームのなかでも特に完成度の高い作品で、かなり難しい謎がいくつか登場する。

Bitsyの魅力は、その使いやすさだけではない。そこで生み出されるゲームそのものや、ゲームをつくっているデザイナーたちのコミュニティも、開発者たちを引きつけている。

「新しい世界への扉を開いてみたら、そこでは魔法のようなものがつくられていた、という感じです」と、独学でプログラミングを学んだというモーリーは言う。「Bitsyのゲームは、わたしがここ数年見てきたほかのゲームとはまったく違います」

Cat's Out of the Bag

クレア・モーリー作の「Cat’s Out of the Bag」。SCREENSHOT BY KLINT FINLEY VIA CLAIRE MORLEY

単純さと実験性の高さが、ユニークなゲームを生む

これまでBitsynコミュニティは、何をもってゲームとみなすかという限界に挑戦するようなささやかなゲームを大量に生み出してきた。例えば、ルドゥーが初めてBitsyでつくったゲーム「When I Get Home」は、自宅に帰ってきたほんの一瞬のシーンをとらえた作品だ。ブルースがつくった「Zen Garden, Portland, The Day Before My Wedding」は、結婚式前日の思い出をひとつの場所に集めたゲームである。

こうしたゲームの単純さと実験性の高さがあるからこそ、デザイナーたちは自分の作品をつくって共有してもいいのだと思えるのだろう。

「簡単につくれるので、通常ならゲーム開発者からは出てこないようなユニークな視点をたくさん見ることができます」と話すのは、イベス・ノーヴェルだ。ノーヴェルは、チャットツール「Discord」でBitsyコミュニティの管理人を担当し、Babycastlesの展示でキュレーションを担当したひとりでもある。「パーソナルで、奇妙で、くだらなくて、胸が締め付けられるようなゲームがたくさんあります。こうした作品は、ほかではみつかりません」

そう考えるとBitsyには、インタラクティヴなストーリーをつくるためのシンプルなツール「Twine」に近い部分があるのかもしれない。

Twineからも膨大な数の実験的作品が生まれている。例えば、うつ病患者との暮らしがどんなものか理解できるようデザインされたゾーイ・クインの「Depression Quest」や、ゲームデザイナーのポーペンタイン(Porpentine)によるシュールなゲームなどだ。

Twineでもストーリー内に画像を盛り込むことができるが、Bitsyはよりグラフィカルで、Twineとは異なる体験をプレイヤーとデザイナーの両方に提供する。Twineでは、ストーリーを書いている感じがある。しかしBitsyは、「ゲームをつくっている」感じがより強いのだ。

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