東京2020 祝祭の風景
アスリートや市井の人々の思いに耳を傾けながら、この国の風景を見直す
【論壇時評】AI美空ひばり 死者に語らせる危うさ 中島岳志昨年末に放送された「NHK紅白歌合戦」で、一九八九年に死去した美空ひばりの「新曲」が披露された。これはヤマハの専門スタッフがAI(人工知能)の技術によって美空ひばりの歌声を復活させ、秋元康が作詞を担当することで実現した。曲名は「あれから」。歌の間には「お久しぶりです。あなたのことをずっと見ていましたよ。頑張りましたね。さあ 私の分まで、まだまだ頑張って」という語りが挿入されている。 この曲が完成するまでの過程は、二〇一九年九月二十九日のNHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」で紹介された。放送後、感動したという声とともに、死者を冒とくしているとの批判も湧き上がった。 武田砂鉄は「AI美空ひばりへの違和感」(cakes、2020年1月8日)の中で、「感動させる目的で死者に新しい言葉を与えてはいけない」と批判する。「カリスマ的な故人に、誰かにとって好都合な言葉を新たに獲得させ、その言葉によって感情を揺さぶらせ、『神々しさ』まで感じさせるというのは極めて危うい」 秋元は、NHKスペシャルの中で、曲の間のせりふ部分こそ「いちばん伝えたかった所」と言い、「ひばりさんから『よく頑張ったわね』と言われたら、日本中がまだ頑張ろうと思える」と述べている。武田曰(いわ)く「これは『美空の願い』ではなく、『秋元の願い』」である。 故人の言葉を創作し、自己の願いを仮託して語らせることは危険だ。同様のことが、カリスマ的独裁者やカルト的宗教家を使って行われた場合、その危うさは計り知れない。 生前の美空ひばりと親交が深かった中村メイコは、十二月十七日のニッポン放送「垣花正 あなたとハッピー!」に生出演し、「AI美空ひばり」について語っている。その時の発言が、ニッポン放送のウェブページで紹介されているが(「“AI美空ひばり”は『嫌だ』 親友の中村メイコ語る」2019年12月23日)、記事によると、中村はまず「怖い」と言い、美空ひばりが「離れる気がする」と語ったという。 ここで中村は、AI制作者や秋元に敬意を表しながらも、「一番単純な言い方をすると『嫌だ』。やっぱり本人がここにいて本人が歌ってほしい」と述べている。そして、「心の中にもう一部屋、あの人が作ってくれたの。死んだら隣のふすまを開けるとあの人がいるって思うんです」と語っている。 中村にとって、美空ひばりは心のふすまの向こうに隣在している。故人となった美空ひばりは、いなくなったのではない。死者として傍らに存在している。時に言葉にならない会話を交わしながら生活をともにしている。中村は、常に死者の気配を感じ、死者とともに生きているのだ。 だから、「AI美空ひばり」が何かを語り、何かを歌うことに対して、率直な違和感を表明する。「嫌だ」という言葉を絞り出す。「AI美空ひばり」は、美空ひばりを遠ざける。それは、どこまでも「美空ひばりのようなもの」にすぎない。紛(まが)い物によって美空ひばりが「離れる気がする」。中村は、それが「怖い」のだ。 中村にとって、「AI美空ひばり」は死者を生き返らせる行為ではなく、死者を排除する行為なのだろう。大切な存在が奪われたという感覚を持ったのだろう。 死者はままならない存在だ。不意に厳しい眼差(まなざ)しを投げかけ、私たちに反省を促す。時に意図しない形で私たちを包み込み、安堵(あんど)感をもたらす。死者をコントロールすることはできない。死者は生者の意思によって所有することのできない存在なのだ。 AIによる死者の再現は、死者を所有しようとする行為にほかならない。死者の言葉を創作し、都合のいいように利用することは危うい。死者を利用の対象とするとき、私たちは過去を軽視し、現在を特権化する。今生きている人間が、死者を操作し、改変できると過信する。死者への畏れを喪失した時、死者が積み重ねてきた英知までも、やすやすと破壊しようとする。 私も「AI美空ひばり」が怖い。 (なかじま・たけし=東京工業大教授) PR情報
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