ななまるナンダー · @nanamaru
19th May 2012 from Twitbird Pro
山賀 俺は、庵野先生に会うまでアニメは、よく知らなかったんだよね。
大学に入って、何かアニメが流行っているらしいって感じで、
『ガンダム』を初めて観たんだけど。
その時の印象は「まあ、マンガだよね」という感じ。
ただ流行ってるから「商売になるな」と思ってた。
まあ、なんか映画を教えるような大学に2年通っててね
「日本映画ってロクなもんないしねえ」って思っていたら、
マンガだと思ってた『ガンダム』が松竹の映画館にかかっちゃった。
松竹の小屋にアニメがかかるということの凄さっていうのは、
今の人はわかんないだろうねぇ。
あの『寅さん』の松竹でロボットアニメが再編集でかかるっていうのは、
なんか一種新しい時代のような気がしていたわけですよ。
だから、まあ『ガンダム』に感銘を受けたわけでも何でもなくて、
子供がガンダムプラモを求めてエスカレーターで
将棋倒しになるような社会現象含めて、
ああ『ガンダム』っていう時代なんだなとか思って。
今アニメなんだなとか思って。で、私は、大学の時からアニメを始めたわけだ。
よくわかんないままに、わかんないなりに、
アニメをやってて、なんか違和感があったんだよな。
特に『マクロス』とか、ものすごい違和感あるの。
なんか変なんだよ、何なんだろうなぁと思ってずっとわかんなかったんだけどね、
それが、『逆襲のシャア』を見て判った。
庵野 わかった?
山賀 判った。見た瞬間判ったんだ。
要するにアニメブームってものが起きて『マクロス』作った、っていうのが大抵の人のアニメ史観だよね。
『ヤマト』があって『ガンダム』があって『マクロス』でピークに達したと。
アニメに永遠に続いてもらいたいという希望的観測ゆえに、
そのような世代交代を夢見ちゃうけれども、実際には世代交代してないんだということが判った。
要するに、アニメブームじゃなくて『ガンダム』ブームだったんだって事が判った。
『ガンダム』ブームでしかなくて、『ガンダム』ブームの中でおこぼれ頂戴で『マクロス』があったり、
さらにそのおこぼれをうまいこと使って
宮崎ブームがちょっとその後に起こってるだけであって、アニメブームはなかった。
『逆襲のシャア』見たときに、それがすっごくよくわかったのがね、
「あ、『ガンダム』しかないんだ」と。
結局他はみんな、それの気分みたいな物を真似してやってるだけなんだ。
そりゃ他にもいろんな物好きな人はいるだろう、
例えば『ボトムズ』が好きな人だっているけれども、
結局ブームとしての意味っていうかな、気分っていうものは、
結局、富野さんのあの『ガンダム』でしかなかったっていう。
富野さん自身もね。何やっても駄目なんだ『ガンダム』以外。
だから、その『ガンダム』の気分っていうのが、
そのままあの十年ぐらいずっときて、世代交代せずに年をとってきた形態をみたんだよね、
あの「逆襲のシャア」で。それでよくわかった。
山賀 で、これが受けないっていうのもよくわかる。
だから、ああアニメブームは終わるという。
だから『ガンダム』で始まって『ガンダム』で終わるという。
で、世代交代をしているって言うアニメ史観の人間は
「新しい面白い物が出てこない」というような言い方をするけど、
そんなの当たり前なんだ。ヤマトブームの時は『ヤマト』しかない。
『ヤマト』の気分で『999』があったりとか『ハーロック』があったりとかしたんで、
それはそれで終わってるの。次の山は『ガンダム』で。
で、『ガンダム』のブームがあるだけで、後はみんなおこぼれ頂戴してるだけで、
『ガンダム』のブームも終わってる。
今、『ガンダム』、『ヤマト』に比べればちょっと小さいけれども宮崎駿がいて、
宮崎駿のブームがあるんであって、アニメブームじゃない。
ヤマトブーム、ガンダムブーム、宮崎ブームでしかない。それがすごくよくわかった。
山賀 それまでよくわかんなかった。
アニメって流行ってるわりには、なんか俺が思ってる世間という物と、
このズレは何なんだろう。
ズレをズレとして認識しないまま、みんなやってる。
でも、『ガンダム』やってる富野さんは判ってるんだ、
自分がズレてるってことは。
最近は特にボケててわかんない奴が多い。
とにかくとにかく自分がズレてるってことを
……わかりゃいいってもんでもないんだけど
……なんか遊離しててね、世間ていうか基本的なものっていうか、
わかんないけど。
庵野 一般社会というか、そういうこと?
山賀 社会って言うのかなぁ、なんかねぇ、遊離してるんだ。
『逆襲のシャア』見たときの何よりの大きな衝撃というのは、
ああ普通の社会性みたいな物を、自分の中に持って、
なおかつ動いてる人が、アニメ作ってんなと思った。
庵野 二極性があるという事かな?
山賀 二極性じゃなくって、まっとうであるということ。
目を背けて逃げてない。真っ当なんだ。
小黒 ということは、『マクロス』を作っている人は一般を見ていないで作ってる……。
山賀 うん、そうそう。
小黒 つまり、おこぼれで作ってるから一般性がない。
山賀 うん、だから、おこぼれの中ゆえに、そういう物が作れる位置にいてるだけだ、と。
だから俺は、それは「仕事」じゃないと思う。
あの人達は……って俺もだけど、同人誌活動をしてて、
同人誌活動が単に飯の種になってるだけであって「仕事」じゃないと思う。
小黒 作品づくりではない、と。
山賀 作品づくりかもしれない。作品ってのはいろんな形で作られるから
そこまで否定しない。ただ、あれは「仕事」じゃない。「遊んでる」だけだ。
だから、富野さんのやつ見たときに、大人だ。
大人だから、結婚もしてて、子供もいて、仕事もあって、
社会に参加してちゃんと仕事もしてるんだと思った。
他のアニメがどうも解せんと思ったのは、みんな単に遊んでるだけなの。
ガンダムのミニチュア作って「このガンダムいいでしょ」と言ってる風にしか聞こえないんだ。
「このガンダムもっといいでしょ」とか「枚数いっぱい使ってあるでしょ」とか
「色指定いいでしょ」とか「デザインいいでしょ」とか。
ほんとにガキの「遊び」でしかやってないわけですよ。
それがすごくよく判ったね、『逆襲のシャア』見たときに。
自分が置かれてる状況がよくわかんなかったから。
ああっ、そういう状況で、今仕事してるのかと。
俺は「仕事」してるつもりでいるけどね(笑)。
現実に何も作ってないのは仕事なんか出来る状況じゃないから仕事してないだけ。
庵野 ハハハハ(笑)
山賀 みんな、遊んでるんだから。だから『逆襲のシャア』見て、
「仕事」してると思った。俺も「仕事」の人間だから、共感はすごく感じた。
だけど「この時代じゃないな」と思ったのはそこだな。
そういった意味じゃどんなに「仕事」したって無駄だよ、今の時期は(苦笑)。
遊んでる物が、遊び友達同士お金出し合って、単にそれで経済活動的な物が動いてるだけであって。
庵野 ズレてるというのを判ってないと言うか認識していない。
山賀 だから、そこがまた弱点になってるの。
マンガもそうだけど、売れてるって言うのを盾にして社会に参加しちゃったから、
売れなくなったら社会から押し出されちゃう。売れることが第一命題になっちゃうから。
これはしょうがないよね。
売れてるということひとつだけをとって社会に参加してると標榜してる。
でも、これって売れなくなっちゃったら
「何やってんだよ、遊んでないで仕事しろよ」って言われるだけの話だよね(笑)。
みんなおもしろおかしく生きすぎるんだよ。
そんなんが一番大きかったね。『逆襲のシャア』を見たときのショックは。
小黒 「仕事」してるなって、具体的には?
山賀 具体的なもんはないね。全部そう。
題材の選び方、単純なテクニック、カット割りとか。
例えば具体的にっていう意味でいやあ、ロボットがいて、
宇宙にそれがいて、それが戦争しているという状況をリアルに考えてる
……って言葉だけを使って言うと、
今のアニメだってそのようにリアルにやってるよっていえばリアルだけれども、
そうじゃなくって、それを本当の事として持ってる。
いったん偽物になってくるとどうなるかっていったら、
その土俵を使って遊んでるだけなんだ。
だから、今のロボットアニメ見てても、ロボットアニメの世界を作ってはいるけれども
……なんていうのかなぁ、だから『逆襲のシャア』を見てて思ったのは、
真面目にシャアって奴がいて、そいつが真面目に歳をくって、
30歳過ぎてて、真面目にモビルスーツってもんがあって、
真面目に戦争やってんだっていうことを真面目に考えている。
みんな真面目に考えているよっていうかもしれないけど、考えてる奴はいない。
庵野 富野さんの『逆襲のシャア』は、社会的なリアリティを求めようとしてる?
山賀 うん……でも、リアリティっていう言葉でいうとすごくチャチくなる。
庵野 ああ、そうだね。
山賀 そうじゃなくって、自分の中でホントの事だと思って書いてる。
それは「仕事」だから。遊びじゃない。その中で遊んでない。
庵野 「真摯」とも違うな、なんて云えばいいんだ。
山賀 「本物」なんだよ。見本がないじゃない。それ用の見本が。
だから『ヤマト』を見て、『ガンダム』を作りましたって事はないと僕は思う。
『ヤマト』は『ヤマト』でしかないし、『ガンダム』は『ガンダム』でしかない。
でも、それ以降のアニメは結局、ロボット出てくる奴はみんな『ガンダム』でしかない。
だから、ロボットやったら富野さんでしかない。
富野さんが作った「気分」……約束事だけじゃなくて、
こうだからロボット、こうだから面白いって
……そりゃ俺は『マジンガーZ』見てやったんだ、
『ゲッターロボ』見てやったんだよっていっても、
『ガンダム』以降の作品っていうのは『ガンダム』の気分で作られているんだ。
それが兵器であるとか、そういう風にとらえていく部分や、SF的気分とかね。
そこから一歩も出てないわけで。
山賀 だから、富野さんはそういった意味じゃあ、
あの歳で自分は現役だと思っている人だから、
「何だよお前ら、だらしねえなぁ」とはいわないけれども、
あれが現役を退いたもうちょい年寄りの嫌らしいジジイだったら、
「なんだよおまえら、一歩も俺を越えてねえじゃないか」って威張るような位置にいる。
だから、ロボットと宇宙だけは俺駄目だな。と、見て思ったの。
『ガンダム』を見ちゃっているからね。『ガンダム』でない宇宙はなかなか作れない。
『ガンダム』じゃないロボットは作れない。そりゃ誰でもそうだと思う。
どうやったって『ガンダム』になるし、どういう宇宙を作ったって『ガンダム』の宇宙だと思う。
だから、そういった意味じゃ、あそこまでうまく今のアニメの宇宙を描ける人はいないし、
あそこまでうまくアニメのロボットを描ける人はいない。
発進シーンひとつとったって、カット割りから音響の付け方から音楽の付け方からセリフから何から全部。
山賀 「あ、これが本物なのか」と思って見てただけだったからね。
あと「これの模倣がいっぱい世の中にあるだけなんだな」と。
模倣している人は模倣してる、とは思ってないだけだろうけどね。
ただ、気分としてはそれは模倣されてんだよ。だからこそ、売れてんだよ。
ガンダムブームの中で売れてる物っていうのは、『ガンダム』なんだよね、多かれ少なかれ。
ガンダム度数が高いから売れる。『ガンダム』じゃなきゃ売れないの。
だって実際、『ガンダム』が一番流行っていたときに、
宮崎さんなんてあれだけの質の高い物を作っていながら、結局売れちゃいないんだよ。
みんな『ガンダム』、『ガンダム』って云ってるわけ。
ちょっと好きもんだけが集まって『カリ城』のどこどこがよいと言っていた。
山賀 あれだけ力使ってやっても駄目なんだ。
なんでかっていったら、『カリ城』は『ガンダム』じゃなかったから。
今となってようやく宮崎さんの作品がOKなのは、今が宮崎さんブームだから、
『宮崎駿』であれば何でも売れる。それがすごく判ったね。
だから、『逆襲のシャア』の何処がいいって、もう百点満点だね。
なんでかって云えば、『ガンダム』であるかどうかっていうことしか基準はないんだから。
少なくとも当時はその基準でしか『アニメ』はないんだから。
個人的な気分で百点満点というよりは、スケールの取りようがない。
『ガンダム』がスケールだとしか云いようがない。
『逆襲のシャア』は、全部『富野さん』だし、全部『ガンダム』だし、
何処も欠けてないから百点だね。
いろんな意味で、テクニック的に『富野さん』だよね。
『イデオン』やらなんやらよりもずっと。特にカット割り。
ごく普通の 、要するにモビルスーツが宇宙戦艦から発進するというのは、
これが「本物」かってやつで。だって、普通に考えてそんなん格好いいわけないんだから。
宇宙戦艦だよ、それもセルで描いた(笑)。
そっからなんかスライド式にあんな人型のおもちゃみたいなのが出て行くんだから。
そんなの格好いいわけないんだ。それを格好いい美意識をつかんでる。
本当だと思ってるから、それは。
山賀 あと女性キャラね。女性キャラの使い方が単に賑わしの女性キャラじゃないんだよね。
要するに、なんでロボットをやんなきゃいけなくて、なんでロボットに乗ってる主人公は男の子で、
なんでそこに女性キャラが絡んできて、ってのが全部判ってるっていうかな。
全部そういうような形で出来てる。そりゃ、富野さんが一番はじめにやってる頃には、
なんでロボットかっていわれたら、そりゃおもちゃ屋がいったからロボットだし、
なんであんな色なんだっていったら、おもちゃ売れる色だろうし、
なんで男の子主人公なんだ、そりゃおもちゃの購買層が男の子だから、
女の子出すのもそういう理由でしょ。
そういう消極的な理由から始まっているんだろうけど、
でも、やっぱりブームを作った物ってのは違うんだね。それで出来上がってる。
だから、全部が整合性を持ってる。他はないからね。
だから、(他のアニメスタッフは)口で言ってる理由があの当時の富野さんと全く一緒であっても、
それに対する処し方が全然違う。なんか半分嬉しがってそんなことをいう。
「やあ、女の子出したら売れますから」とか、「やあ、ロボットはこうでないと売れませんから」とか、
「やあ、ファンはこういうのが好きなんですよ」とか。極めて不真面目な業務態度を感じるんだ。
だから、生きていく上でアニメをやるしかなくて、それも今のアニメじゃなくて、
あの当時の「あ、マンガやってんですか」といわれるようなアニメの時代で、
いい歳してアニメなんかやることになっちゃってて、
で、ベテランだの何だのといわれるようになっててもやっぱりおもちゃ会社が偉くって、
おもちゃのデザイナーが作ったやつに真面目に取り組まなきゃいけなくて。
でも、その人生の中はそれしかなくて、結局、人間ひとりが生きていく人生で、
いい歳した大人がいる場所がアニメしかなくって、
それでやってる抵抗感かな、それがすごくいいんだよね。
庵野 抗っている感じみたいな?
山賀 っていうよりは、それに対して闘っているっていう感じ。要するに遊んでいない。
何度も云うけど。大抵の人は同じような愚痴をこぼすけれども、嬉しそうに愚痴をこぼす。
今の人はね。で、遊んでんだよ。どこも辛そうじゃない。
「いい歳してロボットなんかやってますよ」なんていったって、
それは60歳になろうが70歳になろうがロボットやっていたいようなのがいってるわけでしょ。
「おもちゃ会社がこんな事言うから、こんなふうになっちゃうんですよ」とかいってる人は、
おもちゃ会社がなんにもいわなくてもそうなっちゃうんだよ。
まあ、そういう意味では次元が違ってたね。やっぱ、そこですね、何よりも。
庵野 なるほどね。
山賀 だから見た瞬間に、最初の一分ぐらいの間に体が凍り付く感じがあった。
その、男とか女とかの色気とか有るじゃない。
「今度のアニメは色気を表現したいんだよね」とかそういう遊びじゃなくて、
40歳過ぎて50歳になろうという男が生きてて、その中に色気だってあるだろうけれども、
出す場所がアニメしかないっていうことの情けなさっていうかな、それがすごく感じられる。
でも、それしかないから真面目にやってるっていう。
だから、幸運にして昔、純文学やってた人たち……今やってても馬鹿にされるだけだけど
……が、自分の人生の中からの色気やら自分の人生の中の物をそこに移していくことに
誇りを感じてやってきたことと全く同じか、もっと真面目な意識で、
アニメに対してそれをやれる……というより、やらざる得ない状況というのを見てて感じるね。
だから、セル画で描いた男や女に色気を感じる。
なんでセル画に描いた男や女に色気を注入しなければいけないか。
感じてる奴が異常というより、注入している奴の方が百倍異常だから
庵野 僕は富野さんのアニメだけなんですよ。
セル人間が出てきてですね、セックスを感じさせる雰囲気を味わうのは。
あとはないんですよね、所詮は作られたセル人間って感じで。
富野さんのアニメーションだけなんですよ、人の汚さを感じるのは。
一番最初に私が感じたのは、最初の『ガンダム』のランバラルとハモン。
シャアとナナイに関してもなんかそういう気分は有るんですよね。
あと、凄いと思ったのは『ガンダム』のシャアとララアの
ただお茶を飲んでTVを見てるだけなのに、「あ、この人達寝たことあるんだな」という
戯れた雰囲気を味合わせたということは、凄いと思います。たかがセル人間でね。
山賀 富野さんの人生のありとあらゆる物が入ってんだよね。
セックスだけじゃなくてね。スペースコロニーにしたってね。
「今度のやつはスペースコロニーを舞台ということで」という感じじゃやってないんだ。
「スペースコロニー」があると思ってるんだ。
未来にあるとか過去にあるとかじゃなくて、その世界にスペースコロニーがあると思ってる。
そこにモビルスーツがいると思ってる。
凄い単純なことだけど、全然、これはなかなか出来る事じゃない。
庵野 立ってる所が、他の人と全然違う。
山賀 あると思ってやっている。キチガイだけどね、そういった意味じゃ。
そんなのあるわけないじゃん(笑)。島三号なんて計画、聞いただけで鼻で笑うじゃん。
そんな所に人間住めるかって思うじゃん。
でも、真面目に「人間こういう所に住んでんだよ、悲しいんだ」とか、富野さんは考えてんだよ(笑)。
庵野 なんでそんな所に人が住まなきゃいけなかったかってとこまで真面目にやってる。
山賀 それは真似したって真似しきれるもんじゃない。
庵野 スペースコロニーの中に鳥まで住んでるからね。
山賀 想像できない、そんなのに人が住んでるなんて。見たって想像できない。
昔、『ガンダム』見てしばらく経ってから、
自分がスペースコロニーに住んでる夢見たことあったけど、すげえ怖かった(笑)。
もしかしたら、と思って窓を見たら、外が宇宙で
「うわっ、ここ、スペースコロニーじゃねえか!」って。ものすごく怖い。
庵野 それはヤダねえ。
山賀 だから富野さんの人生があそこにあるんでしょ。
『ガンダム』全ての中に。あるっていうのが凄いね。普通ないから。
ありようがない、そんなもの。
山賀 俺は、アニメ知らない人の前でアニメの話するのって大抵恥ずかしいけど、
『逆襲のシャア』に関しては、大抵恥ずかしくないね。
だって、ありとあらゆるいろんな意味での、古今東西の創作の中でもあれは一級品の創作だと思うから。
ああいう姿勢で作ってる物を越える物ってそうはないはずだから。
ピカソだって、あれより真面目にやってたかどうか怪しいもんだと思う。
創作する物がどんな価値があるかっていうのは、
結局社会が決めることだから、あまり関係ないんだ。
ただ、そこんところにどういう形で乗ってるかっていうのは大きいよね。
だって昔だって歌舞伎とか狂言だってさ、昔なんて今のアニメより非道いもんじゃん。
庵野 映画も最初は河原乞食だからね。
山賀 じゃあ、なにがいいのか?やっぱりそういう所だと思うんだよね。
河原乞食がいいんだっていうわけじゃない。下賎な物が結局いいんだっていうわけでもない。
結局、真面目にやってるんだ。
『逆襲のシャア』を見たときにどうしようかと思ったな、真面目に。
だって、アニメでもうやることないんだもん。前からやることなかったんだ。
『ガンダム』のブームにのっかってただけの話。よくわかんないまま乗ってたんだ。
「この行列は何処へ行くんですか」みたいな感じでのっかってたら、
「なあんだ(笑)『ガンダム』の行列だったのか」って。
まあねえ、『王立』なんて、勿論、それを思いつく前に作ってるわけなんだけど。
『王立』の時にわかんないままこうやるんだろってやってた事って、
「あ、全部これ『ガンダム』だったんだ」なんでそうやるかわかんないけど、
アニメはこうなんだっていうのがあるじゃない。
庵野 アニメーションの定義みたいな?
山賀 もうほとんど、アニメだからセルに色塗るんだよみたいな。
例えば、セルの色って凄いドぎついでしょ。ドぎついけどOKなのはアニメだからでしょ。
だから、そういうぐらいの認識されていない、定義となってる。
庵野 つまり、当たり前のこととして『ガンダム』があるという。
山賀 カット割りにしても、レイアウトっていう概念にしても、
コンテって概念でも、なんでもそう。だから真似っこしてただけなんですよね。
だから、そのあとに『ガンダム』引き受けたの。どうせ真似なんだから、もう遊ぼうと思って。
俺、遊んだだけだから(笑)その距離を見てみたいのもあったけど。
やって判った。もう全然。あんなのやってもしょうがないよ。
小黒 富野さんじゃない『ガンダム』をやってもしょうがない。
山賀 うん。富野さんがやってもしょうがない場合も多いけどね。
俺、今の『Vガンダム』もしょうがないと思ってるけど(笑)。
本人がその本人を越えられるか越えられないか、そりゃわかんないよ。
まあ、そういった意味じゃ『逆襲のシャア』で終わってるような気がするから『ガンダム』は。
庵野 うん。
山賀 なんか終わったなぁって感じがしたから。これは感覚的な問題で。
庵野 僕も。あれみたとき、あ、ケリつけたな、と思った。
山賀 だって少なくともアムロとシャアの出てこない『ガンダム』はない、と思った。富野さんがやってるやってないよりも。
庵野 やはり、あの「二人」ですか。
山賀 そうでしょう。だからこそ『逆襲のシャア』はああいう形なんでしょ。
あれ、論理的にいったらああいう風になんないんだもの。
理屈で作れないストーリーだもの。台詞にしても。
だから、人を感動させようとか、これで売ってやろうとか思って脚本書いてたら、
「ララァは私の母になる人だったんだ」なんて書けない……書かないって(笑)。
でも、そうしかないんだもん。
庵野 いわゆる、セオリーからかなり外れた物を感じるね。
山賀 観ている時に、ノレてないと「はあ?」って感じでしょ。
ノレていると判るけど。そこまで行くかぁ……でもそこまで行くよなって。
結局ギリギリまで攻めてって、終わらせようって思ったけど、終わらせらんなかった。
だって真面目な自分の話で、自分は終わってないわけでしょ。
自分っていう人間に決着が付いてないから、自分に近い作品ほど決着は付かない。
でもギリギリまで粘ってるのが凄く判る。そこまで粘れる人はいないから。
庵野 うん。僕は今の宮崎さんが連載している
最近の『ナウシカ』にも同じような物を感じて好きだよ。どろどろしてて。
山賀 全然駄目だよ、あんなの。
庵野 でも、宮さんもここまで今来てるのかっと。
自分で何描いてんだかわかんないくらい混乱してるし、あれはいいよ。
私はなんだかんだ云っても宮崎シンパで(笑)。
山賀 富野さんってみっともない所があるよね。人間ってみっともない物だから。
宮崎さん、結局格好付けるところで、うまいとこ老後を見つけてるから。
庵野 エエ格好しいで、ちゃんと老後のことも考えてる。
山賀 同じ歳じゃない、富野さんと宮崎さんて。
同じように一時代を築いてる……っていうよりは、むしろ富野さんの方が大きかったわけだ。
それが、これから富野さんは「みっともない年寄り」になっていく。宮崎さんは格好いいもの。
「俺、格好いい年寄りやってくんだ」って言って、真っ赤な三輪車買って(笑)。
庵野 所詮はブルジョア(笑)。
山賀 宮崎さんが「格好いい中年」で売ってた時に、
「格好悪い中年の『ガンダム』」なんてもん作ってた、富野さんの一番顕著に出てたのが、
やっぱ『逆襲のシャア』だと思う。
庵野 『逆襲のシャア』と『紅の豚』を比べる?
山賀 いや、『紅の豚』というより、あの時期だから『トトロ』。
格好いい年寄りになってく宮崎さんと、あの歳になってもまだ『ガンダム』やってる富野さんっていうのは、
だから、劇中のあの歳になってもまだロボット乗ってるシャアとかアムロとかってのは
……いい歳になってて真っ赤なモビルスーツ乗って(笑)、
あれには、やんなきゃいけないことの照れを感じる。それは、富野さんの照れなんだよね。
セリフの中に「意外と早かったな」とかあるじゃない。
アクシズにやってくるロンド・ベルの連中を待ち受けてて。
そのポロッと言うセリフが、みんななんか醒めててね、「俺もよくやるよな」って言うセリフに聞こえるんだ(笑)
真面目にやってない……そういうと、さっき言ったことと違うけど
……真面目にやりきれない、しょうがない。どっか「なんか馬鹿な人生だよな」と言うね。
困惑と諦めのない交ぜな感じが。
庵野 露骨な卑下じゃないと思うし。
山賀 まあ、それしかないからね。選択肢がないわけだから。
昨日見直してみたときに、アムロがずーっとクエスのα・アジールに向かって行くじゃない。
で、α・アジールがガンダムは倒せないけど、他のジェガンとかはガンガン墜としてるじゃない。
でも、アムロのセリフは凄い醒めてて、「子供にはつきあってられるか!」とかいうんだけど、
でも考えてみたら、そこでバリバリやられてる奴は自分の同僚なわけじゃない。
でもそういう感覚は全部「ない」んです。
あの「ない」感覚って何なんだろうと思うとねぇ。
こういう状況に身を置いてることの諦め、っていうの?
なんかシラケみたいなのがあってね、気分がいい。
見てて、判る判るって感じ。
庵野 すごく第三者的にとらえてる大人の冷静な目を感じるんです。
山賀 諦めてるのかな。でもそれしかない。
庵野 達観してるのかもね。
山賀 何とも言えないね、あれはね。
庵野 うん。ニヒリズムとはちょっと違うような感じがする
……押井さんはニヒリズムだけど。
山賀 なんか深い……深い蒼い気分っていうのが。なんだかわかんない。
なんか凄い宗教的な何かを感じる。
だから、結局、アムロが、いかにドラマの中で
シャアに対して熱いキャラクターを演じていても、全然熱くない。
庵野 すっごい冷たい人生観だね。
山賀 シャアもすっごい……これで地球に核の冬が来るとかいって、凄い醒めてる。
二人とも冷たくなっちゃってんだけど、やっぱりモビルスーツの操縦者でしかないっていう。
それ以外の道はないっていうね。
それはちょうど、富野さんのアニメ……もう醒めちゃってて、
大人っていうよりはもうオジちゃんになっちゃってて、ふっと振り返ってみるとアニメしかないし、
アニメやってるっていう感じ。それが凄くシンクロしてる感じがある。
小黒 アニメで、しかも『ガンダム』……。
山賀 だから富野さんは、正直にそうやってるとこに、宮崎さんはなんか児童文学の方にいっちゃうからねぇ(笑)。
庵野 ありゃキタナイよねぇ(笑)。
山賀 まぁ、若い頃からそっち狙ってんだから、それはそれでいいんだろうけど。
だから僕らが話し合うのは、富野さんじゃなくて宮崎さんだという。僕らは宮崎さんの一派なんだよ。
すごい表面的な部分でしかやっていない。表面のうまい奴がうまいように振る舞ってる作品なんだ。
庵野 うん。(と、頷く)
山賀 だから、上手いか下手の話でしかなくなっちゃうんだよな、
富野さん以外のアニメ作ってる人間見てると。年寄りから若い奴含めて。
そりゃ『ヤマト』の時の松本零士に対しても感じたことだし。
まあ、『ヤマト』で真面目にやってたのは松本零士の他にもいたかもしれないけど、
松本零士のあの感じ、『ガンダム』は富野由悠季のあの感じ……。
あの感じというのはないよね、今。
庵野 ないね。
山賀 で、今アニメは宮崎ブームになってるったって、宮崎さんも勿論そんな感じじゃないからね。
結局、おこぼれの中からいかに効率よく名声とお金を得てるかというところに来てる。
だから、もうアニメは終わっちゃうんですよ。
この次が出てくるか?って、力無いもん。宮崎さん。大将があれやってるんだから。
みんなそれでいいと思ってる。いや、いいんですよ、そういった意味では。
人間は「幸せに生きる権利」が、あるんだから。
富野さん見てて美しいとは思うけど、もう一つ同時に思うのは、
人間は「幸せに生きる権利」があるはずだ、と(笑)。
みんな幸せにやってるのは、美しくはないけど、いいことだと思う。悪かない。
庵野 悪くはないね。
山賀 ただ美しいと、そういうことはやっぱ違うな。
小黒 『パトレイバー2』はいかがでした?
山賀 あんなの最たるもんじゃないですか、今言ったやつでいえば(笑)。
まあお友達ですから、宮崎さんとか押井さんとか僕らは(笑)。
小黒 あれ、押井さんは自分にとっての『逆襲のシャア』だといってるらしいんですけれども。
山賀 だって甘いんだもん、あの人、人生観自体が。
『格好悪い自分』っていうのを自分でいっときながら、
『格好悪い自分』を実は格好いいんだ、って思ってる。
それは『格好悪い』ってのとは違うだろって思うよね。
一生懸命な……真摯な態度感じないな。逃げてる。
庵野 うん。
山賀 じゃあ、あの歳であの感じでああいう押井さんが『パトレイバー2』を作ること格好悪いと思わないもの。
いや、格好悪いことやればいいっていうわけじゃないけど。なんだろうなぁ。
宮崎さんほど巧妙にやってる形ではないけれども……かといってねぇ。
あんまり押井さんに対しては言葉を持たないな。わかんない。
ただ、あれが何であるということでもないと思うな。だって本人が一番作品褒めてんだもん(笑)。
庵野 確かに(笑)。
山賀 他人はいうことないもん。そうなると(笑)。
庵野 開き直りを感じてなんかちょっと、素直な雰囲気が……
山賀 開き直りじゃなくって、自画自賛でやってる。
だから8ミリ愛好家の親父みたいな感じがする、ホントに(笑)。
庵野 あらかじめ逃げ道を作って闘ってるようなもんだから。
山賀 趣味でやってるとしか思えないね。だから仕事じゃない。あれは。
コミケで同人誌売ってるのと全然かわんない。
プロとアマチュアって意味で、プロが偉いとかそんな風には思わねえけど、
俺だってアマチュアだと思ってるけど、なんかなぁ、中途半端なものはやっぱり美しくないと思う。
いや、楽しいことは勿論中途半端になっちゃうはずだから、美しくはなくなる
……楽しいことと美しいことは背反しちゃうもんだと思う。
美しいものを良しとする世界観で行けば、やっぱり中途半端なものは駄目なんだ。
庵野 うん、僕も思う。美しさはかなり厳格な冷たさとか、そういう……
山賀 いや、苦しさだと思うね。いやぁ、もっとあれだな。「なんで生きてんの」といいたくなるような何かだ。
だから、『ガンダム』なんてやりながら中年になっちゃうような
……アニメファンが単に歳取っちゃうっていうのと全然違うような気がする。
歳取っちゃわないからね、大体オタクは。
庵野 そう。
山賀 同じ位置にいるからね。
庵野 そういう意味では60過ぎても、たぶん今のままだと思いますよ。
子供が産まれて20歳過ぎて、孫が出来てもやっぱり同じで、全然変わんないと思う。
山賀 『逆襲のシャア』を見て……それはもっと、前から思ってはいたけど、
はっきり言葉になって判ったのは、ああ、やることないな、『アニメ』はって思っちゃったから。
何やったって結局みんな、晴海で遊んでるものと全然変わんないんだもの。
そういった意味じゃ、俺、アニメで遊んでも、あんまり楽しくないし。
楽しい人が楽しんでんのはいいかもしんないけど、俺はどっかでやっぱり
……俺は悔しく生きてる人間だから。楽しめないね、何やったって。
アニメぐらいじゃ楽しめない、全然。
そういった意味じゃ、富野さんとはなんか電撃が走るんだよね。こう、額からビビッと(笑)。
一回しか逢ったことないけど。逢ったとき額からスパークが走ったね。
庵野 そういう意味じゃ、僕は宮さんっすね。
宮さんとは、なんかピピッと発射しましたからね。
富野さんには、『ああはなれない』から、なんか憧れを感じてしまう。
かなり僕の意識というのは『宮崎駿』という人に近いです。
山賀 そういった意味じゃ、ガイナックスが面白いのは、
『宮崎駿』と『富野由悠季』がいるからだよ。(既に酔っている)
一同 (笑)
山賀 酔ったついでにえげつないことをいう(笑)。
庵野 確かに、酔ったついでにいうなら(笑)、
僕は『ガンダム』は出来ないけど、『ナウシカ』なら出来るような気がするな(笑)。
山賀 そんな……の、俺、『ガンダム』は出来ねえよ(笑)。
あれは凄いわ。引きずられるのもヤだな。
『0080』は脚本書いてて「遊び」だと思ってやってたからいいけど。
自分も関わってて、友達もやってるし、
何よりも師匠が監督やってるからこんなのいうのもあれだけど、やっぱりクズだと思うね(笑)。
別に、俺は輝かしいもの汚すのに何の躊躇も感じないし、
何も悪いこととは思わないけど、輝かしい『ガンダム』の歴史を汚す悪い作品だと思うんだよね(笑)。
一同 (笑)
山賀 でも、富野さん本人がつまんねえもん頻繁に作ってるから、そん中に混ぜといてもらってもいいとは思うけど(笑)。
「あんなもんが『ガンダム』だと思ってもらっちゃ困るねぇ」というほど
『ガンダム』のファンでも何でもないはずなんだけどねぇ。なんなんだろうねぇ。
なんか肩入れしちゃうね、富野さんの、あの『逆襲のシャア』を見ちゃうとね。
最初の『ガンダム』の時は何にも思わなかったけど。
たぶん、富野さん自身も最初の『ガンダム』の時にはいつもの仕事のひとつだったんだろうと思うけど。
庵野 うん。そうだと思う。最初の『ガンダム』は、まだまだ薄いからね。
安彦さんのカラーの方も強いし。『逆襲のシャア』は全部自分を出しちゃったかな?
山賀 だから、『ガンダム』はあれで終わったんでしょ。ということはアニメも終わったんですよ。
みんなまだなんかやってる。いや、まだなんかやるのはいいんだけどね、勿論。
全然悪くない。勿論、いいんです。ただ……、なんか考えりゃいいのに、もうちょい。
考えたら『あんなもん』作らねえと思う。
庵野 まあ、確かに終わっちゃったんだね……そういう意味では。
アニメやってる人で、新しいもの作る気ない人、多いから。
山賀 庵野も新しいもん作んないとダメだよ。
でも、悔しいのは「人は幸せになる権利を持ってる」とまた同時に思うから。
こりゃ、また遠回しないい方をすりゃ、そうだけどね。
みんながそんなことをする必要はない、とは思うけどね。
ただ、自分の立場からいえば「やめたら?」とか思っちゃうよね。やることないんなら。
庵野 でも、みんな今のあの程度で結構充分幸せなのでは(笑)。
山賀 だからいってるじゃん、幸せになる権利があるから、幸せになるのはいいけどね。
確かにね、楽しきゃいいよ。そりゃ全くもってその通りであるが。
庵野 みんな楽しい中に水を差すのもね。
山賀 うーん、だから……ってホントに酒が回ってる間しかしゃべんない(笑)。
だから、別に「未来は暗い」といってるわけじゃないんですけどね。
みんな明るいものを望みすぎてるんじゃないの?、逆に云えば。
こんな次から次に快感求めて動いていてね、絶対、罰当たるよ。
もう少し真面目に生きたらどうかなと思っちゃうよな、いっぱいそういうの見ると。
小黒 あの、山賀さんから見て今、ガイナックスがここ何年か作ってる作品はどうなんです?
山賀 え、そんなんいうた通りですよ。全くもって、いった通りだなぁ(笑)。
まあ、ウチがイイのは、ガイナックスが面白いのは……こりゃもう商売になっちゃうけどね
……『宮崎駿』と『富野由悠季』がいる所だよ(笑)。
だから人はそれぞれあるな、という部分は。
そういった意味では、俺は庵野がやってることには不干渉なんで。
小黒 と、いわれておりますが?
庵野 いや、そう思いますよ。
山賀 だから、一緒にやろうと思うとお互いしんどいんだよ。
こないだの『ウル』もそういった意味では、なかなかしんどいんだよ。
庵野 僕は、面白かったよ。
山賀 面白かったといわないで、まだまだあるんだよ(笑)。
小黒 あ、まだ続くんすか。
山賀 だって私は『ウル』やるしかない
……そういったら、富野さんが『ガンダム』やらなきゃいけない以上に私は『ウル』やるしかないんですから。
庵野 『ウル』は、現在凍結中です。で、私も、いまはとにかく次を作ろうと。
結局、巨大特撮ヒーロー物って、最初の『ウルトラマン』を越えることは無理なんですよ、今のところ。
あれを越えた作品っていうのはありません。ありゃエポックですね。
で、怪獣映画っていうのは最初の『ゴジラ』を越える物はないんですよ。
で、ロボット物っていうのは二つ種類があって、
まず、いわゆる子供向きの単純明快な勧善懲悪ものとして『マジンガーZ』という敢然たる作品がありまして。
で、次のエポックは『ガンダム』しかないんですよ。
庵野 そして、社会に認知されたアニメーションというと『ヤマト』と『ガンダム』と……今ちょっと『宮崎アニメ』。
でもこれは、日本映画が今もうホントにつまんないんなら、
みんなもうハリウッド映画かアニメを見るしかなくなっちゃったんで、宮さんのアニメを見てる。
市民権が来たというよりも他の奴が落ちてきたら、その分だけ浮上して、市民権を得たような感じですよね。
本当に自らの力で奪い取った市民権っていうのは、僕は『ヤマト』と『ガンダム』しかないと思うな。
で、僕が宇宙物をやろうとしたら、どうしても『ヤマト』を越えることが今んとこ無理だろう。
そこで開き直って作ったのが『ナディア』です。
で、今ロボット物やってるんですけど、これも俺、『ガンダム』っていうのは越えられないんじゃないか、と思う。
でも、出来る限りアレにケリを付けてみたいというか、ロボット物という物に自分なりにケリを付けたい。
つまり『ガンダム』を殺してですね、自分は「父親」になりたい、という意識だけが働いて、
今、ロボット物のTV企画をやってるわけです。
今、友達が『ヤマト』をやってますけど、かなり苦労しています。
でも最初のを越えるのはまず無理でしょう。僕らの世代では難しいと思うんですよ、何にもないですから。
大した事してないんだよね。そういう意味では最後に物を作れるのって、富野さんと宮崎さんの世代ぐらいだな、と思う。
押井さんはもう、ダメかな(笑)。難しいんじゃないかな、もう。
……こんなんが載るとまずいかな。
山賀 載せていい、載せていいよ(笑)。押井さんはもっといじめられなきゃダメだよ(笑)。
庵野 そうだよねぇ。東京見捨てた卑怯者だからね(笑)。
山賀 ダメだよ、まだ若いんだから。イジメなきゃダメだよ。
まあ、そういった話……自分の話からいえば、ほんとに『王立』を作ったとき、
何も判らず行列に並んでたとはいえ、ロボット物やんなくて、ホントによかったわ(笑)。
一同 (笑)
山賀 でも、『王立』やって、なんかマイナーな感じが出せましたから、
あたしもマイナーメンバーの一員ですから、私にもなんかあるだろうと。
でも、自分でなんかやるには、結局『王立』のあの感じだろうねと。
で、今やってる『ウル』なんですけどね。
だから、ロボットアニメやんなくてほんと良かった。
『王立』の時はホントにわかんなかったんですよ。
みんなが「映画ってこうだ」っていうから
……もちろん、あん時アニメ考えた中にはロボットアニメのネタもいっぱいあったんだけどね。
『王立』の時何となくやってく中で、自分の「一般的でない部分」っていうのが、
なんかどっかにあったんじゃないかな、というところで。
それはどういう所かっていうと、『ガンダム』じゃない部分もどっかにあったから良かったね、
まだ「商売続けられるね」ってやつで。
庵野 まあ、アレは何処をどう切っても山賀のもんだからね。
山賀 だから、そういった意味で自分の仕事に関しては全然問題がない。
勿論売れる売れないの問題はあるだろうけどね。
でも俺はそういう面で見てないから。『ガンダム』ですら売れないんだから。
売れる事自体がもうなんかの間違いで、売れてるもんは絶対どっかおかしいよ。ひがみでも何でもなく。
俺は売れたいと思ってるわけでも何でもないから。今は充分そういう意味ではOKなんだ。
ただ、そういう意味でいくと『逆襲のシャア』を見たときに、
逆に自分の中でいらない物がはっきりと判った。
いらない物っていうか、あ、これ借りてました、
富野さんにお返しします……って返したわけじゃないけど、
借りてた物がよく判った。
そういう意味では『逆襲のシャア』は、なかなか良かったですね。
……という風に締めるという私もなかなか、切れ者ですね(笑)。
庵野 最後は『切れ者ですね』ね。相変わらず御自愛な奴(笑)。
1993年11月8日 吉祥寺にて