中国で発生した新型肺炎が拡大している。本書『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)は、病気の世界的大流行によって多数の死者が出た「パンデミック」の歴史をたどり、ウイルス研究、ワクチンや治療薬の開発、感染への社会的取り組みなどの最前線を紹介する。オールカラーの図版も豊富。中学や高校の図書室にはぜひ置いておきたい一冊だ。
誰もが思い出すパンデミックの代表はペストだ。ペスト菌による感染症。黒死病とも呼ばれた。罹患すると皮膚が黒く変色するからだ。死亡確率は50~70%。本書によると、ペストによるパンデミックは6世紀、14世紀、19世紀と3回もあった。中でも14世紀は大流行、世界で死者1億人と言われた。当時の世界の人口4億5千万人が3億5千万人に減ったという。中国では人口が半減、イタリア北部はほぼ全滅したそうだ。
最後の大流行は1894年。香港から広がり中国とインドで1200万人が亡くなった。このとき日本から香港に派遣された調査団に細菌学者の北里柴三郎がいた。到着2日後にペスト菌を発見したことは有名だ。現在、ペストについては抗生物質が著しい治療効果を上げているが、耐性菌も出現しているため、油断は禁物だという。
人類が根絶させた感染症としては天然痘がある。天然痘ウイルスによる感染症だ。紀元前1万年以上前から何度も出現してきたが、ジェンナーによって世界初のワクチン、天然痘ワクチンの種痘が開発され、各国で実施されたことにより、1980年にはWHOが根絶を宣言した。
20世紀に入ってからもパンデミックは続いている。その代表がインフルエンザだ。4回のパンデミックが記録されている。中でも有名なのが1918~19年の「スペイン風邪」だ。世界で5億人が罹患し、4000万人が亡くなったという。日本でも約2300万人が罹患し約38万人が亡くなった。当時、インフルエンザの原因ウイルスはまだ発見されておらず、有効なワクチンや抗ウイルス薬もなかった。
このスペイン風邪は、同時期の第一次世界大戦と因縁がある。大戦の死者総数よりもはるかに多くが亡くなったので、「第一次世界大戦の本当の勝者はスペイン風邪」と言われたりする。もともと北米のアメリカ軍兵舎で発生。感染した兵士が欧州戦線に派遣されたことで罹患地域が拡大した。参戦国は自国民に大量の被害が出ていることを報道管制で隠していたが、スペインは非参戦国だったので、情報を公開。スペインで流行していることだけは明らかにされたので「スペイン風邪」と呼ばれるようになったのだという。
インフルエンザはその後も「アジア風邪」(1957~58)、「香港風邪」(68~69)と流行が続いた。「アジア風邪」では世界で約200万人、日本で約7700人、「香港風邪」では世界で約100万人、日本でも2000人以上が亡くなった。21世紀に入ってからも2009年、新型インフルエンザが発生し、世界で2万人近くが亡くなった。
本書は「序 章 パンデミックとはなにか」「第1章 現代の感染爆発はウイルスが起こす」「第2章 病原性ウイルスの素顔と特徴」「第3章 体の中の戦い 免疫とワクチンと抗ウイルス薬」「第4章 感染拡大を防ぐ社会的取り組み」「第5章 感染を防ぐひとりひとりの防衛策」という構成。監修は、東京大学医科学研究所感染・免疫部門ウイルス感染分野教授の河岡義裕さんら二人。河岡さんはロベルト・コッホ賞を受賞するなど、インフルエンザウイルス研究の世界的権威だ。
近年のパンデミックの主役はウイルスだ。細菌の10分の1から100分の1。地球上でもっとも小さい微生物で、電子顕微鏡でしか見ることができない。自分自身では成長も増殖もできない。他の生物の「細胞」に感染し、その細胞の材料を借りてウイルス自身の複製をつくる特殊な生命体だ。ウイルスの正式発見は19世紀末だというから、研究もまだ発展途上。「スペイン風邪」のウイルスも1990年代後半になって、アラスカの永久凍土に埋葬されていた罹患者の遺体を発掘、その肺組織からウイルス遺伝子を増幅して解読したのだという。
スペイン風邪より強力なウイルスが出現した場合、航空機などで地球上の人の動きが活発化していることもあって一気に広がり、世界で1億8000万人から2億5000万人が死亡するとみられているそうだ。
本書ではインフルエンザウイルスの仕組みや怖さについてたっぷり解説されている。ゆっくり読めば基本的には文系でも理解できるレベルだ。
SARS(重症急性呼吸器症候群)ついても書かれている。2002~3年、中国で発生した。重症肺炎を引き起こすSARSコロナウイルスによる感染症だ。罹患者8098人、死者774人。日本では症例がなかった。今回の中国の肺炎も、このSARSとの関連が指摘されている。有効な治療法は確立されておらず、対症療法が中心となる。
本書を読んで痛感したのは、こうしたウイルス研究の大変さだ。研究しないと新事実がわからないが、きわめて慎重な扱いや対応が必要。一歩間違えば「バイオテロ」の研究にもなりかねない。河岡さんのグループがアメリカでインフルエンザウイルスの合成に成功したときは、CIAの関係者が訪ねてきたという。
何かと悪役視されるウイルスだが、病原性のないウイルスが子宮頸がんや乳がんの細胞を破壊したという報告もあるそうだ。ゆえに、がんに対するウイルス療法の研究も盛んになっているという。また、病原性ウイルスを攻撃するウイルスの研究もされているという。この辺りも含めて、本書は理系を目指す中高生には参考になるのではないか。
なお、パンデミックの類似語に「アウトブレイク」がある。こちらは特定地域や集団内の爆発的な感染を指す。地域が限定された状態の「エボラ出血熱」などが相当する。