エルラッハ分艦隊が文字通りに抜け駆けして前進、旗艦本艦隊の真正面を横切り第2艦隊側面へ突進するという珍事が起きたとき、ワイドボーンは確かに笑っていた。
それはそうだろう。こうも簡単に計略に引っかかるとはつい笑い出したくもなる。
「全艦隊に告ぐ! 艦隊速度、全速! 急速回頭!
「全艦隊! 長距離砲戦用意! 短距離砲戦の準備も怠るな!!」
☆☆☆
現在の各艦隊配置模式図
→
↑ ↑ 2 ↓←第2艦隊
○ □ 1☆→ ↑→↑ ←
3→→↑
☆→ヤン直轄艦隊、○→メルカッツ航空分艦隊、□→ファーレンハイト高速分艦隊、1→シュターデン分艦隊、2→フォーゲル分艦隊、3→エルラッハ分艦隊
実際にはエルラッハ分艦隊は図上では斜め右上方向にヤン艦隊の進路を横切るように突進、第2艦隊は斜め左下方向へエルラッハ艦隊の右側面を突くように動いていた。
そして始まったのは一種の咄嗟戦、あるいはいびつな交差砲戦だった。
「
ワイドボーンの号令の元、最初に火蓋を切ったのは第2艦隊だった。
三連続で放たれた艦隊統制射撃は真横ではないが右側面斜め上方よりエルラッハ分艦隊に突き刺さった!!
☆☆☆
「ぜ、全艦回頭! 急げ! 敵へ艦首を向け反撃するんだ!!」
相手の左側面を突くつもりが逆に右側面を突かれ、エルラッハはよほど慌てていたのだろう。
本来なら彼の分艦隊は今の全速を維持したまま前方へ駆け抜け回り込み、第2艦隊の後方へ喰らい付くべきだった。
だが、よもや敵の集中砲火に晒されている中、艦隊機動で一斉回頭など明らかな無茶であろう。
回頭するためには艦隊は足を止めるとは言わないまでも減速せねばならず、そして機動中は攻撃も出来ず撃たれたい放題の無防備状態となってしまう。
何よりまずかったのは……
「直撃、来ます!!」
「なあっ!?」
エルラッハには語義どおり
確かにワイドボーンは艦隊三連射を命じたが、それは分艦隊に火線を集中させるように命じただけであり、特に分艦隊旗艦を識別して一点集中で狙い撃ったわけではなかった。
つまりエルラッハの乗艦”ハイデンハイム”が減速して回頭しなければそもそも命中しなかったのかもしれないのだった。
そして三連射で旗艦を仕留めた後、エルラッハ艦隊は悲惨だった。
そもそも敵艦隊はメルカッツの戦闘艇群の痛打を浴びたとはいえ、未だ1万隻以上の艦隊だったのだ。
エルラッハの想像通り奇襲で側面を突ければまだ混乱をさせられただろうが……奇襲する側がされる側に転落すれば、さらにどうにもならなかった。
4倍の敵から側面への集中砲火を受けた分艦隊は、熱湯にカキ氷を放り込んだときのように容易く消えた。
ただカキ氷と違うのは、大量の残骸が発生したことだろう。
そして付け加えると、エルラッハ艦隊はヤン本艦隊の進路上、ないし射線上を
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「やられたよ。見事なもんだ」
アドミラル・シートで天を仰ぐヤン。
「わき目も振らずに離脱しましたね」
そう相槌を打つキルヒアイス。
彼の言葉通り第2艦隊はその場で砲撃戦を行い戦果を拡大するような真似はせず、壊滅したエルラッハ艦隊の横をすり抜けるように最大戦速で駆け抜けた。
また艦隊同士の最接近ポイントで狙い済ましたように、擦れ違いざまの居あい抜きじみたタイミングで未確認の新型長射程ステルスミサイル……おそらくは同盟が持ち込んだ新兵器を乱射しエルラッハ分艦隊への駄目押しとしたが、それ以外はひたすら逃げの一手だった。
「まったく……呆れるほど徹底してるよ」
しかもご丁寧なことにミサイルの弾頭は個別誘導多弾頭型のレーザー水爆……まともに反撃できない瀕死の群れに、自己誘導するレーザ-水爆の散弾を浴びせられたようなものだ。
「良将っていうのはねジーク、逃げ方が上手いんだよ。引き際を間違えないからね。むしろ負け戦でいかに被害を抑えられるかが、良将の条件なのかもしれないね」
変に実感のこもったヤンの言葉にキルヒアイスは頷く。
「メルカッツ提督とファーレンハイト提督の艦隊が追撃をかけてますが……」
ヤンは苦笑し、
「尻尾だけでも踏みつけられたら上出来だよ。先輩の艦隊は攻撃レンジは広いけど艦隊の足は標準的、ファーレンハイトの艦隊は普通なら追いつけるかも知れないけど……」
「飛び散ったエルラッハ艦隊の
ヤンは疲れたように頷き、
「艦隊配置から伏兵に高速艦隊があることを見抜き、見越してあの場所とタイミングで撃ったのなら……エル・ファシルの英雄コンビとやらは本物の天才、私がどうあがいても勝てる相手じゃないよ。もし偶然だとしたら……」
「だとしたら?」
ヤンは降参するようにおどけた感じに両手を挙げ、
「もっとお手上げだよ。私がどうあがいても勝てない”武運の持ち主”だってことさ」
「でも閣下、あそこでエルラッハ少将が抜け駆けするとは普通は考え付きません。それは聊か過大評価し過ぎなのでは?」
キルヒアイスはどうにも面白くない。
元々高いワイドボーンとラップの評価を、ヤンが更に引き上げたように見えることにだ。
「いや、そんなことはないさ。実はねジーク、私は敵艦隊の初動の前進が”
「えっ?」
「だが敵は私を誘ってるように見えた。だが私はそんな誘いには乗らないし、あえて逆利用しようと乗ったとしても相手の出方が見えなかった。仮に私が釣り出されたとしても、彼らにとっては包囲が固まるだけだからね。だけど違ったのさ……」
ヤンは肘掛に頬杖をつき、
「釣り出そうとしていたのは、最初から私じゃなかった。左右の分艦隊だったんだよ」
キルヒアイスが驚きで大きく目を見開いた。
「私はエルラッハ少将とフォーゲル中将を最初から”有効な戦力”として見てなかった。言い訳になってしまうが、出兵直前になって無理に押し付けられた戦力と思って、指揮権掌握を徹底させることを怠った。背中から撃たれさえしなけりゃ上出来ぐらいに考えていたんだ」
少し後悔を滲ませた瞳で、
「別の言い方をすれば、彼らの心の動きを把握してなかったってわけさ。そして敵のほうが遥かに二人の心理を深く読み、行動を予想していた……つまりはそういうことだよ」
ヤンはふと深いため息をつき、
「結局、私もまだまだ読みが甘く青臭いということか。人は中々成長するのが難しい生き物だって思わないかい?」
「やはり私には閣下が大きな失敗をしたようには思えませんが……これからいかがなさいますか?」
「できることはさほどないよ。敵ももう逃げてしまったしね。後は先輩とファーレンハイト君が戻ってくるまでの間、エルラッハ艦隊の要救助者を回収して、船も連れて帰れるものを選別して、敵艦で鹵獲できそうなものを見繕えれば上出来。あと例の最後に放たれたミサイルは新型だろうから、現物を拾えればなおいいね……それが終われば撤収準備だよ」
常に味方の救助を最優先に考える相変わらずのヤンにキルヒアイスは嬉しそうに微笑みながら、
「”
キルヒアイスの言葉にヤンは少し渋い顔をして、
「最終戦で一弾も撃ってないんだ。しかも相手はおそらく逃亡に成功するだろう。とても凱旋って気分じゃないさ」
「ですが敵3個正規艦隊を相手取り、分断しつつ各個撃破。3個艦隊中2個艦隊を壊滅せり……十分な戦果だと思われますが?」
「まあ、そういう見方もできなくはないか」
「普通はそういう見方しかしません」
「ふむ……まあ下手に欲をかいて自滅するより、現状の戦果に満足を見出すほうが確かにまだ建設的だね」
キルヒアイスは困ったように笑う。
本人は「自分が欠点だらけの人間だ」というが、キルヒアイスにしてみればヤンの数少ない欠点の一つは「自分のなしたことを過小評価しがち」だということだ。
だが、ふと思う。
それは単純な過小評価でも卑下でもなく自虐でもなく、純粋にこの生涯の師とも呼べる男がどれほど高い場所を見ているのだろうかと……
”できれば自分も同じ高みを見てみたい”
キルヒアイスはそう願わずにいられなかった。
なんとも微妙な幕切れだが……こうして純軍事的と呼ぶにはいささか不純な理由で勃発したアスターテを巡る戦いは、終わりを告げるのだった。
この戦いが歴史にどんな意味をもたらすのか?
それを語れる者は、まだこの銀河どこにもいなかった……
皆さん、ご愛読ありがとうございました!
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やたら長かったアスターテも終わり、次回からは……はて?