「あら、おしゃれなアッパッパ」など、つい古語が出てしまうのはJJ(熟女)あるあるだ。
コンディショナーをリンスと言い、セールをバーゲンと言い、リボ払いを月賦と言うJJたち。女友達が「ガビーン」と言った時に「それは古すぎる」と指摘したら、ガビーンとなっていた。
かくいう私も「よっこいしょういち」が口癖の43歳で、自分が17歳の時の母と同じ年齢になった。そして、母も原付をラッタッタと言ってたなあ……と思い出したりしている。
新刊『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』が2/7に発売になる。この本には、母の変死、父の自殺、弟の失踪、借金騒動、子宮摘出……等について綴ったコラムも収録されている。
10年前に死んだ母のことを書いた「VERY妻になりたかった母の死」は、公開当時バズってツイッターのトレンド入りもした。母は有名になりたかった人なので、草葉の陰で喜んでいるだろう。
セレブ願望の強かった母は、23歳の時にお金持ちのお坊ちゃんだった父と結婚。その後、私と弟を有名私立に通わせて、VERY妻っぽい暮らしをしていたが、父に離婚されて何もかも失った。
そして59歳の時、拒食症でガリガリに痩せて入院した。数年ぶりに対面して「バタリアンのオバンバみたいになっとる……!」と息を飲んだ私。
ICUで管につながれた母は意識障害を起こしていて、私のことを「中曽根さん」と呼んだ。とっさに「やあ大統領、ロンと呼んでいいかな?」と中曽根さんらしく振舞った私。
私が誰かわからない母を見て「今の母なら愛せる」と思った。今の母なら私を傷つけないから。
その後、回復した母は男性医師に「男の人を紹介して、お医者さんと結婚したいの」と頼んでいた、バタリアンのオバンバみたいな状態で。
それが母を見た最後の記憶になった。退院から数か月後、1人暮らしのアパートで母の遺体が発見された。
こういう場合は変死扱いになるらしく、私も現場の捜査官から事情聴取を受けた。父が自殺した時も事情聴取を受けたので、親が遺体で発見されがちな人生である。
検死の結果、母の死因は心臓発作だった。退院後も無茶なダイエットを続けて、体が弱り切っていたのだろう。
生前の母の手帳には「目指せ32キロ♡」と丸文字で書かれていた。またアパートの壁一面に20代のギャルが着るような服がかかっていて、ホラーみの強さにガビーンとなった。
それから10年の時が流れて、母に対する恨みや憎しみは薄れていった。また自分がJJになったことで、1人の女性として母の人生を考えるようになった。
高校生の時、母がコンビニから不機嫌な顔で帰ってきて「コピー機の使い方がわからなかった」と言った。それを聞いて「この人は本当に1人じゃ生きていけないんだな」と思った。
23歳で専業主婦になって、キャリアもスキルもなく、コピーすらとれない「おばさん」になった母。そんな生き方は絶対したくない、10代の私はそう思っていた。
でも彼女はそれ以外の生き方を選べなかったのかもしれない、40代になった今はそう思う。
祖父母は子煩悩な親だったが、大正生まれの彼らに「経済的に自立できるように娘を育てる」なんて考えは当然なかっただろう。
「女に学問はいらない」「結婚して子どもを産むのが女の幸せ」という時代で、社会的に女が働いて自立するのは無理ゲーだった。
「早く娘を片付けないと、売れ残りになったら困る」と言われる女たちは、完全に男に買われるための商品だった。
そんな時代に生まれた母が「若くて美しい、商品として最高値のうちに金持ちと結婚しよう」と目論んだのは、自然なことだったのかもしれない。それ以外の女の幸せのモデルなど見たこともなかっただろうし。
それで金持ちと結婚して「勝ち組」になったかと思いきや、40手前であっさり夫に捨てられて、そりゃメンもヘラるわな、という話である。
思春期の私は酒や自傷に溺れる母に振り回されて、死ぬほどつらかった。でも母もつらくて不安で死にそうだったのだろう。
「だから許すよ、お母さんありがとう」なんて言う気はさらさらないが「まあ、気持ちはわからんでもないよ」と思う。そして「若く美しい女が男に選ばれて幸せになる」という呪いにかかったまま死んだ母を可哀想に思う。
「この年になって母のことを考えると、可哀想に思う」と語るJJは多い。という話を前回の『アルテイシアの59番目の結婚生活』で書いた。
「いつも不機嫌でイライラをぶつけてくる母を好きじゃなかったけど、それって父からのストレスが原因だったみたい」と振り返るJJたち。
「誰が食わせてやってるんだ!」とキレるのは昭和の父親仕草だが、専業主婦は離婚すると食っていけないから、耐えるしかない。
夫は妻にあたることでストレス発散して、妻のストレスは一番弱い存在である子どもにぶつけられる。
「毎日ため息をつきながら洗い物をする母を見て、こんな人生は絶対イヤだと思ってた。でも生まれる時代が違ったら、母は違う人生を生きられたのかなって」
このコラムを読んだ当連載の担当JJが、こんな感想を送ってくれた。
「うちの母も専業主婦だったけど、私が小学生の時に地元のミニコミ誌を作る会社でパートを始めたんですね。その時に『仕事ができない』とバカにされたらしく、母が『悔しい』と私の前で泣いたんですよ。その姿が今でも忘れられません」
「母は料理も家事も完璧で、本が大好きな頭のいい人で、生まれる時代が違ったら『仕事のできる人』だったと思います。でも結婚して亭主関白な夫に従うしかなくて……そんな母を見て育ったから、私は専業主婦になるのが怖すぎます」
子どもの頃の私は、専業主婦の母を見て「楽そうな人生送ってるな」と思っていた。でも実際は夫に生殺与奪を握られて、檻の中で飼われている奴隷だったのかもしれない。
家事育児をどれだけ頑張っても金にはならず、出世もしない。さんざんタダ働きさせられた挙句、夫という雇用主にクビを切られたら、退職金も失業保険も出ない。とらばーゆ(転職という意味の古語)も簡単にはできない。そんなもんブラックすぎるじゃないか。
実際、かつて日本の女は奴隷だった。女は三従(結婚前は父に、結婚後は夫に、夫の死後は子に従え)と言われ、妻は家政婦・保育士・看護師・介護士・娼婦の五役を担当させられた。そんなの北島マヤだって「無茶言うな!!」と泥まんじゅうを投げるだろう。
それが先人たちの努力のおかげで、ようやくここまで来たのだ。現代日本も女にとってクソゲーだが、その時代に比べたらマシである。現代女性は選択肢が増えたから悩むと言われるが、選択肢がないよりはずっといい。
ここまで必死で戦ってくれたおばあさんたちよ、ありがとう。
母も生きていれば「ややおばあさん」ぐらいの年齢である。子どもの私は彼女を「めっちゃアホな人」と見下していたが、私もあの時代に生まれていれば、母のようになっていたかもしれない。
そもそも20代の私なんて相当アホで、ゴミみたいな男とクソみたいな恋愛ばかりしていた。だから23歳の母が男選びを間違うのもしかたない、と激しく同意する。
しかも私は幸い不美人であるが、母はドチャクソに美人であった。面食いの父は母に熱烈アプローチして、お姫様のように扱ったという。それが結婚後にモラ夫に豹変して、挙句にポイ捨てられたら「冗談はよし子さん!!」と暴れたくもなるだろう。
そんなわけで、私は父の仏壇に「お父さん、来世は性別のないウミウシに転生するといいですよ」と線香をあげている。
父と母はモラハラとメンヘラの夫婦で、自己愛の強すぎる者同士だった。子どもの私はえらい目に遭ったが、父は自分しか愛せない男で、母は愛するよりも愛されたいマジでな女だったと思う。
私は母に一度も「かわいい」と言われたことがない。七五三やピアノの発表会でおめかしした時も、母は不機嫌な顔で私を見ていた。
よしながふみの名作『愛すべき娘たち』にこんな場面がある。
主人公は子どもの頃にピンクの振袖を着るが、あまりに似合わなくて落ち込む。そんな娘に母親は「ほら笑ってごらん、可愛いから」と言い、「可愛くないもん!」と娘が返すと「とっても可愛いわよ、世界一可愛いお母さんのお姫様」と微笑む。
大人になった主人公は「不思議ね、とってもうれしかった。振袖はやっぱりあたしに全然似合ってないのは分かってたのに」と振り返る。
この場面を読んだ時、びっくりするほど涙が出た。私は母にかわいいと褒められたかったんじゃなく、愛されていると感じたかったのだ。
そして今、猫を育てながら「一度もかわいいと言わないって逆にスゲーな」と感心する。猫がどれだけ白目を剥いていても、寝顔がチュパカブラにそっくりでも、私は「かわいいかわいい」を連発する。猫は「かわいい」を自分の呼び名だと思っている。この「かわいい」は「いとしい」と同義語である。
母は誰よりも愛されたい人間だったのだろう。いろいろ問題を抱えた人間が必死に生きようとしたけど、うまくいかなかったんだな。いつかどこかで母に再会したら「あなたも大変だったのね、お疲れ様」と言ってあげよう、今はそんなふうに思っている。
そんなふうに思えるのは、母が死んで10年たつからだ。JJの忘却力でイヤな記憶もだいぶ忘れているし、なにより死んだ母は二度と私に迷惑をかけてこないから。
生前は母のことを考えるとダークサイドに飲みこまれそうだったが、今はごく普通に考えられるし、ふとした瞬間に過去の記憶を思い出す。
高校生の私の前で、母は深夜に無言電話をかけていた。「だってナントカさんが私の悪口言うんだもん」とか言いながら。その時は嫌悪感で殺しそうになったが、母は中身が子どもだったのだ。
そんな母に振り回されて、私は子どもでいられなかった。自分より子どもな親には反抗もできなくて「早く大人になって家を出なければ、じゃないと死んでしまう」と切羽つまっていた。
あの頃の母と同世代になって、心から理解できる。あれだけ精神的に幼い人に、母親らしい愛情を期待しても無理だった。母は私を嫌いだから愛さなかったわけじゃなく、それは彼女自身の問題だったのだと。
そんなふうに考えたら、いろいろ納得がいってスッキリした。JJになると親をただの不完全な人間として見られて、毒親デトックスがしやすくなる。加齢ってやっぱりすばらしい。
同じく加齢した友人たちは「最近、後ろ姿が母親に似てきた。背中の肉がヤバいからカーブスに通おっかな」「私は体臭が父親に似てきて、たまに自分がすげえクサい」と語り合っている。
うちの母は中身はアレだったが、女優さんみたいに綺麗でお化粧のいい匂いがした。もし来世があるなら、中年太りしてカーブスに通って長生きしてほしいと思う。
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アルテイシアの熟女入門
人生いろいろ、四十路もいろいろ。大人気恋愛コラムニスト・アルテイシアが自身の熟女ライフをぶっちゃけトークいたします!
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