酒造りの歴史は炭鉱とともに
栗山町にある道内最古の酒蔵「小林酒造」。
四代目の社長を務めるのが、小林米三郎さん(57)です。
主力の日本酒ブランドは「北の錦」。
創業した初代の思いが込められた名前だと話します。
「創業者が北前船で北海道に渡ったときに、厳冬のこの厳しい大地で錦を飾ろうと決意したんです」
“小林米三郎”の名前を代々受け継いできた「小林酒造」。
酒蔵の歴史は、炭鉱とともにありました。
初代・小林米三郎が創業したのは、今から142年前。明治11年のことです。最初に蔵を構えたのは、札幌でした。
明治33年、炭鉱景気に沸いていた夕張に商機を見い出し、今の栗山町に移転しました。
「炭鉱の仕事は、過酷な労働です。生死を懸けて命懸けで石炭を掘ってるわけですから、労働の疲れと、あすへの活力を奮い立たせる意味でも、当時炭鉱労働者は浴びるように酒を飲んだそうです」
炭鉱とともに急成長をとげ、最盛期には1500キロリットルを生産。
18棟を構える全国有数の酒蔵となりました。
その立役者が、二代目・小林米三郎です。
“政治の才”に長け、各地の炭鉱で独占納入権を獲得しました。
「町の人たちからはみんな大将と呼ばれてました。事業拡大も積極的に行い、参議院議員として政界にも進出した。そんなおじいちゃんです。夕張炭鉱の繁栄とともに会社もどんどん大きくなり、自分のやりたい放題のことができた。時代もよかったんだと思います」。
しかし三代目・小林米三郎の代になり、会社は廃業の危機に直面します。
相次ぐ炭鉱の閉山で、需要は最盛期の半分以下に激減。
さらに、“炭鉱の安酒”というイメージが根強く、消費者からも敬遠されました。
「炭鉱労働者に愛されたお酒ではあるんですが、どちらかというと“安かろうまずかろう”というイメージがあったんだと思います。一時ラベルから夕張郡栗山町の“夕張郡”というのを消した時代もあったんです。夕張の持つ負のイメージを払拭したかったんだと思います」。
蔵の未来を託された四代目の小林米三郎さん。
まず取り組んだのが、“北海道の炭鉱を支えた酒蔵”としての誇りを取り戻すことでした。
使用する原料を100%北海道産に。
さらに“安酒”というイメージを破ろうと、生産する酒はすべて「特定名称酒」、いわゆる高級酒に切り替えました。
「夕張の炭鉱の歴史そのものが小林酒造の歴史なんだと考え直したんです。そういう歴史をすべて引き受けて、私たちは覚悟を持ってここで酒を造っている」。
“錦を再び飾ろう”と、海外への輸出もはじめました。
2年前にはフランスのコンテストで金賞を受賞しました。
国の有形文化財でもある、酒蔵の建物群。
いまも残る炭鉱用のレールは、炭鉱とともに歩んだ“栄枯盛衰”の歴史を物語ります。
「すべての原点は炭鉱の開発とともにあったわけです。そういう意味で、北海道の開拓の歴史のなかで、炭鉱を忘れてはいけないんだと思います。私はいま四代目ですが、やはり北の大地に錦を飾るという初代の固い決意はいまも私の胸の中に生きています。そしてこれからは世界を舞台にして、世界で錦を飾るという決意で挑戦していきたいと思っています」。
▼施設情報
所在地 :夕張郡栗山町錦3丁目109番地
見学 :記念館/入場無料 蔵/10名以上から可能(要予約)
問い合わせ:0123-76-9292
開館時間 :4月~10月: 9時~17時
11月~3月:10時~16時
休館日 :年中無休