ヤプログ!がサービスを終了するということで、約12時間後にはこの文章もろとも僕の生きた証はすべて電子の藻屑となって消え去りますので、最後に口上を述べたいと思います。
…といって、本当に読者のいないブログでした。
あらためて見直してみると、開設が2004年の10月で、そこから2006年8月まで途切れ途切れに更新してましたね。
元ヨメとの婚姻状態が徐々に耐えられなくなってきた頃。
僕の生活におけるあらゆる局面をすべて元ヨメに監視されているように感じていて、監視の目の届かないフィールドを創出したかった。
結局、秘密にし続けることが難しかったし、そういう「秘密にしていること」が存在することそのものが元ヨメを不機嫌にさせるので、早々にブログの存在は暴かれ(自分でバラしたのかもしれない)、僕は安住の地を創りそこねた。
そのことは更新頻度に表れています。
それでもなんとか婚姻状態を維持するための動機づけを自分自身に対して行なうために、大阪市の南の方に分譲マンションを買って2005年の8月に引っ越しました。
同年12月のJ1リーグ最終節でセレッソ大阪がリーグ優勝を逃したブログ記事を、新しいマンションの部屋で書いた日の事をはっきり覚えてます。
そして2009年のお正月に復活。
Twitterで以前、元ヨメとのなれそめから崩壊までを連ツイで綴ったことがありますが、僕が大阪市中央区役所へ離婚届を提出したのは2008年の大晦日。
つまり年が明けて、自分の事を、自分の書きたい事を、自分の好きなだけ書けるようになったので、再びこのブログに帰ってきたのですね。
…やっぱり誰も読んでくれる人はいなかったけど。反応がないとモチベーションが維持できないですよね…
しばらくは旅先から写真付きの記事を投稿する感じで更新していました。
このスタイルが自分の中でしっくりきて、現在のTwitterアカウントの運用に繋がっています。
(平日は日常の日記+週末は旅日記)
ブログ開設は16年前といっても27歳の時ですから、言うほど黒歴史でもありません。
もちろん良識ある社会人として働いてましたし、旅日記のテイストは現在もそのまま引き継がれています。
たぶん、僕と同世代の人なら共有できる感覚だと思いますが、10代の頃にインターネットが無くて本当によかった…
こんなものがあったら、「文章を書きたい欲」がここに全力で注入されて、それはもう大変なことになっていたはずです。
(紙にはたくさん文章を書いていましたが、それはここでは触れません。)
10代の頃から考えていることはずっと同じです。ああ、もっとおもしろい文章が書けるようになりたい。
というわけで
ネットの世界の片隅にひっそりと咲いた食虫植物は、誰にも気づかれることなくその生涯を閉じるのでした。
それでは皆さん さようなら