創設をめぐって
国民体育の普及とオリンピックへの選手派遣を掲げ、1911年に大日本体育協会を設立。初代会長として日本のスポーツの発展に力を尽くした嘉納治五郎。そんな嘉納が明治神宮の創建に際し、当局に働きかけて実現させたのが明治神宮外苑競技場の創設でした。
創設にあたっては「いだてん」にも登場する野口源三郎、可児 徳ら東京高等師範学校関係の体協メンバーらが助言。当時の新聞には、明治天皇を奉る聖域に設けられる競技場で、アンフェアなことはできないという論調の記事が残っています。嘉納自身「東京に於て此度明治神宮の外苑と云うものが出来る。其外苑の一部に大きな運動競技場を造って貰いたいと云うことを先般建議したのである。(略)明治天皇の如き偉大な総ての国民が崇拝する其お方の記念の為に出来た外苑において、年に一回位国民全体の競技大会が行われると云うような事は結構と思います」(※1)と記していますが、日本初の本格的陸上競技場の創設にあたっては、やはりフェアプレーの精神が養われる場所を意識した部分もあるのではないかと思いますね。
※1 嘉納治五郎(1917)国民の体育に就て、愛知教育雑誌356号,p15-16.より
─「いだてん」では ─
ベルリンオリンピックの開催が中止となり、失意に暮れる治五郎と四三。そんななか、治五郎は日本に本格的な陸上競技場を造り、東京オリンピックを招致するという新たな目標を掲げました。
関東大震災の避難所に
1919年に着工した明治神宮外苑競技場ですが、完成を控えた1923年9月1日に関東大震災が起こります。震災によって工事は頓挫。ドラマでも描かれたように、竣工前の競技場を広く罹災者に開放し、外苑バラックが建てられました。このころ、罹災者を元気づけるため、上野公園や芝公園など、東京の各所に建てられたバラックで慰安運動会が行われており、この史実をモデルに「いだてん」でも復興運動会が描かれました。明確な資料は残されていないものの、外苑バラックで11月3日の明治節の日に砂を撒いて東京市主催の陸上競技大会が開かれたという説があります。これが本当ならドラマで描かれたような光景が、実際に繰り広げられていたかもしれませんね。
その後、震災から約半年後の1924年3月、罹災者の退転に伴い、工事を再開。明治神宮外苑競技場はようやく10月25日に竣工式を迎えます。
─「いだてん」では ─
清さんが自治会長となった外苑バラック。四三の発案で復興運動会が開かれ、つらいことをひととき忘れて、皆でスポーツを楽しみました。
スポーツの殿堂
竣工後は日本のスポーツの殿堂として、年に一度、明治神宮競技大会を開催。女子を含めた競技もあり、女子スポーツも取り入れられていることが分かります。まさに国民体育の発展を目指したこの大会は、のちの国民体育大会のルーツのひとつになりました。
同競技場では華々しい日本記録も数々記録されています。アムステルダムオリンピックで三段跳びに出場し、日本初のオリンピック金メダリストとなった織田幹雄は、早稲田大学の1年生のときに東京市民体育大会に出場。初めて日本記録を出し、注目されることになりました。学生競技者と一般の部に分けて、さまざまな競技が行われた同大会は、まさに嘉納治五郎が提唱した国民体育の発展を体現するものであったのではないかと思います。
出陣学徒壮行会の舞台に
1930年代後半になると、明治神宮外苑競技場は軍国主義の波に飲み込まれていきます。明治神宮競技大会も1939年の10回大会からは、国防競技が採用されることに。行軍競争、障害通過競争、手榴弾投てき突撃、土嚢運搬競争、牽引競争など、戦争を意識した種目が記録に残っています。
そして1943年10月21日、出陣学徒壮行会が明治神宮外苑競技場で行われました。当時の詳しい資料はほとんど残されていないため、77校2万5千人ともいわれる出陣学徒の正確な人数は分かりませんが、国民のための競技場で総力戦を意味する象徴的な式典が行われたことは、国民体育の普及を目的に誕生した明治神宮外苑競技場には、皮肉な運命でした。
─「いだてん」では ─
冷たい雨が降る中、りく、四三、スヤが出陣学徒となった小松 勝を見送るシーンが描かれました。田畑ら招致メンバーもオリンピックとは真逆の光景を目の当たりにし、悔しさをにじませます。
受け継がれる歴史
戦後は進駐軍に接収され「ナイルキニック・スタジアム」と名前を変えた明治神宮外苑競技場。返還後、1958年の第3回アジア大会の開催にともない、新設されることとなった国立競技場へとその役目を引き継ぐことになります。1924年の創設以来、日本スポーツの発展を支え、激動の歴史に翻弄された明治神宮外苑競技場の跡地に建った国立競技場は、1964年東京オリンピックの開会式の会場として広く国民の記憶に残っています。そして来年開催される2020年東京オリンピックのメイン会場である新国立競技場へと、日本のスポーツの殿堂として歴史をつなぎました。
─「いだてん」では ─
オープニングタイトルにも登場する、1964年東京オリンピックの開会式。今後、どのように国立競技場が描かれていくのか、お楽しみに。