いだてん

IDATEN倶楽部

2019年628

口が「いだてん」?
オリンピックにささげた田畑政治の猪突ちょとつ猛進な人生

子どもから老人まで楽しめる身近な生涯スポーツとして国民に愛されている水泳。いまや多くのオリンピックメダリストを輩出する水泳大国日本の礎を築いたのが、田畑政治です。水泳界の発展に心血を注ぎ、1964年の東京オリンピック招致を成し遂げた田畑とは、いったいどんな人物だったのでしょうか。

せっかちで早口なガキ大将
クセは強いが、愛されキャラ

来年2020年に開催される東京オリンピック。56年ぶりに日本で開催される夏季オリンピックを心待ちにしている人も多いのではないでしょうか。世界の注目を集めるスポーツイベントであるオリンピックが初めて日本で開催されたのは1964年。今も多くの人の記憶に刻まれています。

日本の戦後復興を象徴する大会となった1964東京オリンピックの招致を実現させたのが、オリンピックに人生をささげた男・田畑政治。幼少期から日本泳法に親しみ、のちに水泳大国日本の礎を築きます。

人並み外れたせっかちさで、いつも早口で何かをまくしたてていたため、相手は意味がわからなくなることも。タバコを逆にくわえたり、会合に行ったときには間違えて誰かの靴を履いて帰ったりなど、ユーモラスな逸話も残されています。勝ち気で親分肌、にぎやかなことが大好きで、道化を演じて周囲を和ませることもあったという田畑。そんな愛される人柄で周囲を巻き込みながら、大望である東京オリンピック招致を成し遂げていきました。

新聞社の仕事は副業!?
政治部記者としての人脈をフル活用

田畑政治は、旧制浜松中学を経て東京帝国大学(現・東京大学)へと進んだ超エリート。しかし、大学在学中も競泳指導に情熱を傾け続け、月に何度も浜名湾に通っては後輩の指導にあたっていました。

卒業後は朝日新聞社に入社、政治部の記者となってからも、水泳優先で欠勤や遅刻を繰り返す毎日。しかし、晩年になっても仲間から「まーちゃん」と呼ばれて愛された性格からか、同僚たちはそんな田畑を苦笑しながらも大目に見ていたのだとか。
田畑は入社からわずか半年ほどで、1924パリオリンピックの直後に発足した大日本水上競技連盟の理事に就任。嘉納治五郎率いる大日本体育協会の会合に、水連の代表として顔を出すようになり、雄弁な物言いと押しの強さで次第に頭角を現していきました。

そして、4年後の1928アムステルダムオリンピックまでに「日本の競泳選手を世界と戦えるレベルに押し上げる!」という目標を掲げ、精力的に資金調達を始めます。政治部記者としての人脈をフルに生かし、当時、内閣書記官長を務めていた鳩山一郎にコンタクト。鳩山の紹介で時の大蔵大臣、高橋是清と面会を果たし、補助金支出の約束を取り付けることに成功しました。このとき、田畑は若干30歳。鳩山一郎、高橋是清といった大物政治家に恐れることなく談判し、その後も目をかけられるようになるのは、あふれる情熱はもとより、憎めない人柄が幸いしたのかもしれません。

綿密な計画に裏打ちされた夢の実現
情熱だけでは語れないリーダーの資質

オリンピックで予選さえ突破できなかった日本の競泳界を世界レベルに押し上げ、さらには東京オリンピック招致を成し遂げた田畑の功績は、枚挙にいとまがありません。その裏には、水泳に対する情熱だけでは語ることのできない、先を見通す力がありました。
1932ロサンゼルスオリンピックを控え、「オリンピック第一主義」というスローガンを掲げた田畑は、当時世界一を誇ったアメリカに勝つために、いくつかの作戦を立てました。

そのひとつが、乱立していた日本の水泳団体をひとつの組織にまとめあげること。大日本水上競技連盟(現・日本水泳連盟)の発足によって選手強化の方向性が統一され、競技レベルが飛躍的な伸びを見せることになりました。さらに国際基準を満たしたプールの建設、早期の監督選定、そしてアメリカベストチームとの日本での対抗戦など、勝利への布石を打っていきます。こうした綿密な計画が功を奏し、ロサンゼルスオリンピックでは見事、全種目でメダルを獲得。田畑は「いつかは日本でオリンピックを」という夢を抱くことになります。

また、第二次世界大戦で数々の競技団体が解散するなか、田畑は戦後を見越して大日本水上競技連盟を温存。戦争中は息をひそめていました。そして終戦後まもなく、海外遠征を行うための渡航許可をGHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーに直訴するなど、国際オリンピック委員会(IOC)に再加盟するために行動を開始。田畑の怖い物知らずの行動力は健在だったようです。
こうした田畑の猪突猛進さが、やがて日本人の心に今も残る1964東京オリンピック招致の大きな原動力となりました。口が頭に追いつかないほどの明せきな頭脳と分析力、誰にも負けない水泳愛、そして憎めない人柄。その全てをオリンピックにかけた田畑の怒とうの人生。これから始まる物語をどうぞお楽しみに。

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