「大河ドラマ」の挑戦
「いだてん」は明治から昭和にかけての近現代を舞台にしていますよね。そして主人公は金栗四三さんと田畑政治さんの2人。僕が金栗さんについて知ってるのは、名前とオリンピック選手だったということくらいだし、田畑さんのことも、ほとんどの視聴者はどんな生涯を送った人なのか知らないんじゃないかな。そういう意味ではチャレンジングな作品なのかもしれないなぁ。
そうは言っても「いだてん」だけが特別なわけではないよね。大河ドラマはこれまで58作作られているそうだけど、ひとくちに歴史ドラマを描いてきたというだけではなく、実はいろんな挑戦をしている。女性を主人公にしたり、夫婦を主人公にしてみたり、現代を舞台にした作品もいくつかあったでしょう。
僕が初めて手がけた「独眼竜政宗」では、当時まだ駆け出しだった渡辺 謙さんを主役に抜てき。主人公・政宗の重臣役でいかりや長介さんをキャスティングして、少し笑いを取り入れました。「八代将軍 吉宗」では進行役として近松門左衛門を登場させ、現代語を交えてドラマを解説させたんですよ。それに「葵〜徳川三代」は主人公が3人という異色なもので、これは脚本を書くのに苦労しましたね(笑)。
ほれ込んでいけるようなキャラクターに
キャスティングで挑戦したり、仕掛けを作ったりすることはドラマ制作に必要なことですが、結局、ドラマというのは“ディレンマ”(ジレンマ)だと僕は思っているんです。どっちに転ぶか分からないという状況には、ドキドキしますからね。あと、人というのはウソをつくから、しゃべっていても途中で気が変わったり、お世辞を言ったりするんだよね。そういった人間の裏表を見るのっておもしろいじゃないですか。
「いだてん」でいえば、ひたすら真面目だった金栗四三が初めてブラックな部分を見せたり、本音を吐露したオリンピック前後のシーンは良かったんじゃないかな。やっぱり、登場人物の特徴や性格が描かれてこそ、見る人もひきつけられると思いますから。そうやって人物像を深めていけるシーンがこれからも描かれるといいよね。見る人が金栗にほれ込んでいく。あるいは「自分と同じだ」と思ったりするようになれば、物語により埋没できるんじゃないかな。
それから「いだてん」のテーマになっているスポーツとオリンピック。そもそも近代オリンピックの父・クーベルタンが発案したころにはきっと、人間が本来持っている闘争本能を、戦争ではなくスポーツで発散させようという狙いがあったと思うんだよね。国と国との覇権争いもまた、スポーツに置きかえて競おうではないかって。そういう部分から、歴史や人間の本能みたいなものが見えてくるといいなぁって気がするね。
嘉納治五郎は、そんな精神に共感して、日本のオリンピック参加に尽力したんでしょう。僕らの世代では、黒澤映画の影響かもしれないけれど、嘉納治五郎というと立派な人、憧れの人というイメージ。そんな人物が昭和の初期まで生きていたことに「いだてん」を見ていて気づいたんだよね。もっと昔の人だと思っていたなぁ。
大河で感じる懐かしさ
僕の両親はストックホルムオリンピックが開催された1912(明治45)年生まれ。そして1964(昭和39)年の東京オリンピックのとき、僕は30歳で、アベベが優勝するのを国立競技場で見ていました。そう思うと何だか縁を感じるなぁ。
僕が生まれたのは昭和になってからですが、満州で生まれて子ども時代に戦争が始まったので、命からがら日本に引き揚げてきたんです。小学生時代に終戦を迎え、突然、世の中がすっかり変わってしまう経験をしましたが、それこそ世の中がひっくり返ったようでしたね。その当時の日本を思うと、人々の考え方も風景も何もかもが今とはかけ離れたものでした。
僕が覚えている時代ですらそうなのだから、まして親たち世代の日本人の感覚は想像もできないくらいですよね。だから、金栗さんたちが国の威信を背負ってオリンピックを戦ったときの決意や、敗れて帰国するときの覚悟はいかばかりだったかと思います。そんな部分にも思いを馳せながら見るとドラマに奥行きが増しますね。
「いだてん」で描かれるのは、そんな僕や僕の家族が生きた激動の時代。人びとはどんな格好をして、どんな娯楽に興じ、どんな恋愛や結婚をしていたのか。さまざまに移り変わる風俗からも、自分自身が経験してきたことはもちろん、親や祖父母がしていた話から、昔の風習や考え方などさまざまなことを思い出します。
僕だけでなく、ご覧になる方の多くもそんなふうに感じるのではないでしょうか。懐かしいと思える風景や事柄、子どもの遊びなど、かつてを思い出せる映像づくりをしていただけるとうれしいですね。金栗四三や田畑政治の物語を通して、懐かしい日本にも出会える。そういった点もドラマに引き込まれるポイントになるのではと思います。
ジェームス三木
1935(昭和10)年、旧満州奉天(瀋陽)生まれ。小学生のときに大阪府に引き揚げる。高校を経て、劇団俳優座養成所に入る。55年、テイチク新人コンクールに合格し、13年間歌手生活を送る。67年に「月刊シナリオ」コンクールに入選。野村芳太郎監督に師事し、脚本家の道へ。NHKでは連続テレビ小説「澪つくし」、大河ドラマ「独眼竜政宗」「八代将軍 吉宗」「葵〜徳川三代」をはじめとするヒット作を数多く手がけている。