いだてん

IDATEN倶楽部

2019年1013

“森山未來・中村七之助・仲野太賀、3人のすべてがマッチした”(大根 仁)

第2部前半のクライマックス、第39回「懐かしの満州」。《vol.1》では、演出を担当した大根 仁さんに、熱いお話をうかがいました! 演出家としてのこだわりや見どころ、さらには撮影時の裏話まで。森山未來さん、中村七之助さんのコメントとともに、第39回を振り返ります。

Q.第39回を描くにあたり、こだわったところ、見どころなどを教えてください。

大根 仁

間違いなく「いだてん」を撮っているのに、全く別の物語を撮っているようでした。ものすごくスペシャルな回であり、なおかつ第1回からつづってきた若き志ん生物語の完結編でもあります。プロデューサーから「宮藤さんが『いだてん』でいちばん描きたかったのはこの回」と言われて、ある程度の心構えはしていたのですが、脚本初稿から尋常じゃない熱を感じました。戦争を「戦場」「兵隊」ではなく別のアングルで、また「重く暗い」だけではない、日常とともに戦争を描いた作品はこれまでもありましたが、宮藤さんはさらに「笑い」「ユーモア」を軸に書いてきた。酒飲みたさに満州にやってきた落語家と脱走兵という設定に加えて、戦中・戦後の満州というカオスなシチュエーションで、笑いを交えながらたことのない“戦争ドラマ”を描くということに演出家として心躍りました。第37〜38回が戦争に突入する日本という、重苦しい物語だったので、できるだけポップに、そしてエンターテインメントとして見せるぞ。という気持ちもありました。

見どころはやはり、志ん生・圓生・勝、すなわち森山未來・中村七之助・仲野太賀の初共演とは思えぬ、俳優としてすべての相性がマッチした演技……いや、僕は途中から演技とは思えませんでした。僕はもともと、男同士のいわゆる“バディもの”が大好きなのですが、男女の関係性とは違う、役者同士の間に独特の色気が漂うんですよね。うまく説明できないのですが。フロイトが説いた【人間の根源的な欲求=エロスとタナトス(生への欲求と死への希求)】、大げさかもしれませんが、3人の演技からはそんなものまで感じてしまいました。圓生の『居残り佐平次』から志ん生の『富久』、そして勝が走り出す流れは、もともとの宮藤さんの脚本も見事だったのですが、役者・演出・スタッフの「脚本を超える!!」という思いが一つになったシーンだと思います。

Q.勝の登場シーンを演出されての印象や、仲野太賀さんの演技についてお聞かせください。

大根 仁

最初は分からなかったんですよね、“勝がなぜ志ん生の『富久』の途中で走り出すのか”が。脚本にもそこは詳しく書いていなかったので(※脚本には、勝が命を落とすシーンは「機関銃の音」としか書かれておらず、走り出すまでの勝の心理についての描写もない)。宮藤さんに直接聞くこともできたのですが、それも悔しいので脚本を何度も何度も読み直して、『富久』を何度も何度も聞いて、ある瞬間に気づいたんです。『富久』の久蔵が浅草から芝へ向かって走っているところを見て、自分も走りたくなったんだって。それで、志ん生が演じる『富久』の“久蔵が旦那のところに向かう走りの描写”に、勝に教わった走る姿勢や「スッスッ、ハッハッ」を足して、太賀には「これを見ているうちに足がムズムズしてきて衝動的に外に飛び出していく」という説明をしました。足踏みをしたり、感極まって涙が出てくるのは太賀のアイデアというか、自然とそうなったんだと思います。あの若さで、森山未來・中村七之助という桁違いのスキルを持つ演者にまったく引けを取らないどころか、対等に渡り合えるのは本当にすごい。

Q.ドラマの軸となった『富久』について、森山未來さんのお芝居はいかがでしたか。

大根 仁

未來にはいつも、細かい演出をするのが恥ずかしいので、よほどのことがなければ何も言わないのですが、「『富久』の後半の、芝から浅草に戻る久蔵の走りと、勝がソ連軍に追われて撃たれるシーンがカットバックされるから」という説明はしました。まあ「だからエモーショナルにやってくれ」ということなんですけど、「わかっとるわ」というカンジでした(笑)。いやまあ最高の、いやそれこそ絶品でしたね。あと『富久』の前に圓生の『居残り佐平次』を撮ったのですが、七之助くんが本当にすばらしかったんですよね。エキストラのお客さんたちがガチでき込まれている様子を見て、未來も火がついたんじゃないかな(笑)。勝が撃たれる直前に志ん生の「そこに俺の家があるんだ、帰りてえんだ」というセリフがカットバックされますが、あそこは脚本にはなく、未來と「『富久』の後半の久蔵が自分の家に向かっていくところをやっておこう」と相談しました。未來のことはあまり褒めたくないのですが(笑)、たまには言います。“森山未來の芝居は絶品”。
良い意味での開き直りが生まれたのかな
森山未來 それまでドラマの中に細く長くというか、飛び道具的にぽんぽん入らせていただいていたのが、第39回はいきなりほぼ全編が志ん生・孝蔵のシーンになっていて単純に驚きました。ここまでの話の中でばらまかれていた壮大な伏線の回収がここで行われるというのは、すごいなと思います。よく出来ている本だなと。

芸事はなんでもそうですが、噺家はある程度のところまでは技術を鍛錬できるけれど、その先はその人の人生みたいなものが表現に表れると古今亭菊之丞師匠がおっしゃっていて。満州が大きなターニングポイントになるのであれば、やはりここで何かが確立されなければいけないんですよね。

やぶれかぶれな芸風だといわれている志ん生さんだけれど、満州で自分の人生を決定づける何かが生まれてしまう。それまではふらふらしていて飲む打つ買う…まあそれは今後も続くのかもしれないですけれど、ここで根っこに重たいものがずしっと下りるのかなと。

師匠の円喬さんのようなかっちり緻密な芸風に憧れて、でもあまりに人間が危うすぎるからそうはできなかった。勝手な妄想ですけれど、満州で「生きてるだけで丸もうけ」というか、「これでいいじゃねぇか」っていう良い意味での開き直りみたいなものが生まれたのかなと思います。
苦しいなかにもわずかな希望を
中村七之助 今回、僕が演じさせていただいた圓生さんは洒脱しゃだつで芸事に達者な方だったそう。義太夫や踊りもでき、持ちネタの数も相当だったとか。義太夫の経験から落語で演じる女性がすてきだと評判だったようなので、歌舞伎で女方を演じる僕の持ち味が生かせていればいいのですが…。とはいえ、落語はおいそれとできる芸ではないので、できるだけ落語家らしく見えるよう気を付けて演じました。

実は出演が決まる前から「いだてん」のファンで毎週欠かさず見ていたので、出演することになって、先に台本を読むのがちょっと嫌だったんです。ちゃんとリアルタイムで放送を見たいなと(笑)。ですが、第39回の台本を読んだとき「ここで『富久』にひっかけてくるんだ」という展開に驚かされました。第1回からの伏線をこんなふうに回収するとは、宮藤官九郎さんの脚本はやっぱりすごいですね。

第39回は畑は違えど、縁あって満州で出会った志ん生、圓生、勝の間に絆が生まれる様子が描かれます。日本が負けたという極限の状況下で、それでも日本に生きて帰りたいという思いを同じくする3人。そんななかで一番若い勝が命を散らしてしまったことは、あまりにも残酷で目を覆いたくなるような出来事でした。一方、それまであまり仲良くなかった志ん生と圓生の間にも、お互いを尊敬し合う気持ちが芽生えます。人間としても同じ噺家としても認め合う、そんなふうに見えるよう演じられたらと思っていました。

実際に志ん生さんも圓生さんも、満州から引き揚げたあと、ドンと芸が深まり、名声も上がったといわれています。苦しいなかにもわずかな希望がある、そんなふうに第39回をとらえていただけたらいいですね。

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