Q.第39回を描くにあたり、こだわったところ、見どころなどを教えてください。
Q.勝の登場シーンを演出されての印象や、仲野太賀さんの演技についてお聞かせください。
Q.ドラマの軸となった『富久』について、森山未來さんのお芝居はいかがでしたか。
良い意味での開き直りが生まれたのかな
森山未來
それまでドラマの中に細く長くというか、飛び道具的にぽんぽん入らせていただいていたのが、第39回はいきなりほぼ全編が志ん生・孝蔵のシーンになっていて単純に驚きました。ここまでの話の中でばらまかれていた壮大な伏線の回収がここで行われるというのは、すごいなと思います。よく出来ている本だなと。
芸事はなんでもそうですが、噺家はある程度のところまでは技術を鍛錬できるけれど、その先はその人の人生みたいなものが表現に表れると古今亭菊之丞師匠がおっしゃっていて。満州が大きなターニングポイントになるのであれば、やはりここで何かが確立されなければいけないんですよね。
やぶれかぶれな芸風だといわれている志ん生さんだけれど、満州で自分の人生を決定づける何かが生まれてしまう。それまではふらふらしていて飲む打つ買う…まあそれは今後も続くのかもしれないですけれど、ここで根っこに重たいものがずしっと下りるのかなと。
師匠の円喬さんのようなかっちり緻密な芸風に憧れて、でもあまりに人間が危うすぎるからそうはできなかった。勝手な妄想ですけれど、満州で「生きてるだけで丸もうけ」というか、「これでいいじゃねぇか」っていう良い意味での開き直りみたいなものが生まれたのかなと思います。
苦しいなかにもわずかな希望を
中村七之助
今回、僕が演じさせていただいた圓生さんは洒脱で芸事に達者な方だったそう。義太夫や踊りもでき、持ちネタの数も相当だったとか。義太夫の経験から落語で演じる女性がすてきだと評判だったようなので、歌舞伎で女方を演じる僕の持ち味が生かせていればいいのですが…。とはいえ、落語はおいそれとできる芸ではないので、できるだけ落語家らしく見えるよう気を付けて演じました。
実は出演が決まる前から「いだてん」のファンで毎週欠かさず見ていたので、出演することになって、先に台本を読むのがちょっと嫌だったんです。ちゃんとリアルタイムで放送を見たいなと(笑)。ですが、第39回の台本を読んだとき「ここで『富久』にひっかけてくるんだ」という展開に驚かされました。第1回からの伏線をこんなふうに回収するとは、宮藤官九郎さんの脚本はやっぱりすごいですね。
第39回は畑は違えど、縁あって満州で出会った志ん生、圓生、勝の間に絆が生まれる様子が描かれます。日本が負けたという極限の状況下で、それでも日本に生きて帰りたいという思いを同じくする3人。そんななかで一番若い勝が命を散らしてしまったことは、あまりにも残酷で目を覆いたくなるような出来事でした。一方、それまであまり仲良くなかった志ん生と圓生の間にも、お互いを尊敬し合う気持ちが芽生えます。人間としても同じ噺家としても認め合う、そんなふうに見えるよう演じられたらと思っていました。
実際に志ん生さんも圓生さんも、満州から引き揚げたあと、ドンと芸が深まり、名声も上がったといわれています。苦しいなかにもわずかな希望がある、そんなふうに第39回をとらえていただけたらいいですね。
見どころはやはり、志ん生・圓生・勝、すなわち森山未來・中村七之助・仲野太賀の初共演とは思えぬ、俳優としてすべての相性がマッチした演技……いや、僕は途中から演技とは思えませんでした。僕はもともと、男同士のいわゆる“バディもの”が大好きなのですが、男女の関係性とは違う、役者同士の間に独特の色気が漂うんですよね。うまく説明できないのですが。フロイトが説いた【人間の根源的な欲求=エロスとタナトス(生への欲求と死への希求)】、大げさかもしれませんが、3人の演技からはそんなものまで感じてしまいました。圓生の『居残り佐平次』から志ん生の『富久』、そして勝が走り出す流れは、もともとの宮藤さんの脚本も見事だったのですが、役者・演出・スタッフの「脚本を超える!!」という思いが一つになったシーンだと思います。