アパグループの懸賞論文優秀賞(社会人部門)
題名【日本は負けていない】
~超経験者しか知らない真実~
著者 中松義郎博士
http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html昭和20年8月15日正午、その日は天文台によると33度で特に暑かった。
突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)の正装にて至急整列すべし」との館内モールス信号で校庭に集合し、直立不動で汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機58期生(昭和20年に海軍兵学校と合併)は、最後の帝国海軍将校生徒として整列し、ラジオから流れる玉音放送を聞いた。
海軍機関学校の入学試験の体格検査で75センチだった胸囲が、入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か3ケ月で104センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。
しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。
当時の日本人は全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。
現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。
原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い、濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、
陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。 特にハワ イには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。
この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから、陛下の衝撃は大きく終戦する一つのきっかけになったと思われる。
しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。
軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。
しかしそれは陛下の御意向に反しているので、原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。
元来日本は武士道を基に戦争を行ってきたのである。
陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。
米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。
このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。
これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。
日本は負けていないのに終戦したのである。
これを文章にしたのが終戦の詔勅、
~~~~~~~
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所
眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ
尚 交戦ヲ継続セムカ
終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ
朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ
~~~~~~~
であって、終戦の理由は負けたからではない、という意味である事を読み取ってほしい。
翌日の八月十六日には、帝国海軍航空隊による米本土突撃大作戦が予定されており、その猛訓練が行われていたことを陛下はご存知なかっただろう。
この作戦が実行されていればドゥーリトルの東京空襲によりミッドウエイ海戦の日が繰り上がったのと同じに米軍は、十月予定の本土決戦を急濾九月に繰り上げた結果、天候の条件も加わり日本が勝利する展開になったのではないか。
いつどこに敵が上陸するか、日本陸軍参謀本部と海軍軍令部の想定は、時期は九月又は十月、上陸地点は九州南部(「陸軍作戦名「決号・第6号」海軍作戦名「天号」。さらに翌年関東の九十九里浜に上陸)。
この日本軍側推定は米軍上陸作戦計画(米軍名「オリンピック作戦」(九州)「コロネット作戦」(関東)の「ダウンフォール作戦」)とピッタリ一致して日本は見事米軍の動きを見透していた。
陛下は侍従武官を九十九里浜に遣わして防衛体制を調べさせたが、侍従が「防衛は全くされていません。」との報告をお聞きになったことが終戦を決断された一因と伝えられる。
この時九十九里浜で訓練していた三千人の「伏龍」隊は、シールドにかくれていて侍従武官に見えなかっただろうし、又、米軍は九州を先に攻めると想定されたので、日本軍の陣立は九州南部を先に固め、そのあと九十九里を固めようとしたのであるので、陛下に上奏された終戦を決定する情報の一部に重大な誤りがあったのは残念だ。
これは開戦時の宣戦布告をワシントン大使館の怠慢により米国務長官への提出が遅れ、日本の騙し討ちという口実を与えてしまったことと同じ位に大きなミスだ。
本土決戦の火蓋がきって落とされた後をシュミレーションする。
先ず米軍は上陸地点の南九州に原爆を落とすだろう。
しかし陸軍参謀本部堀少佐率いる特殊情報部が原爆コールサインを五時間前に傍受していたので、近くの海軍大村基地の紫電改が発進し、B29を太平洋上で撃墜。
ついで艦砲射撃するため日本に近づいた米軍の日本本土上陸作戦に対する日本軍の準備は、完成した三千機の特攻専用機「劍」が、上陸しようと集まった敵艦艇に突っ込み、多くの敵艦を撃沈撃破し、水中からは千隻の特殊潜航艦「蛟竜」(海軍兵学校校歌「江田島健児の歌」の「地に潜む「蛟竜」からとった名」から泡の航跡が全く残らない日本海軍の世界に先駆けた発明九三式酸素魚雷が発射されて、敵艦艇は次々に轟沈する。
この猛攻撃からしぶとく残った敵艦に対し、岩陰に隠れていた海軍兵学校六十九期満野功大尉率いる第六十七震洋隊江ノ浦(静岡三津浜)など三千隻の「震洋」爆突特攻艇が轟々と暁に発進し、残る敵艦や上陸用舟艇に勇猛果敢に体当たり。それでも残る敵艦艇からかろうじて発進した敵の上陸用舟艇に対しては波打ち際の水中に展開する五式撃雷を待って潜む予科練出身者や海軍陸戦隊古兵の精鋭から成る三千人の「伏龍」隊が上陸用舟艇を爆沈させて波打際に寄付けないようにする。
それでもかろうじて上陸した敵兵を、五重の陣地で固めた世界最強の本土決戦部隊が米戦車より強力な新開発五式重戦車と共に待ち構える。
敵戦車に対しては最新鋭の「ロタ砲」で、敵戦車M2を遠方から撃破し、更に敵が近づくと「櫻弾」で厚い装甲を撃ち破り、もっと近づくと決死隊がチビ(ガラス球に人った青酸がス)を戦車のスリット窓にぶつけて操縦者の目潰しをし、次にキャタピラ破壊扁平爆弾を敵戦車のキャタピラの下に挿入してキャタピラを破壊し、敵戦車を動けなくし、止まった戦車本体の下に戦車爆雷を挺身突撃隊が放り込んで擱座させる。
一方、上空の敵機には大東亜戦争決戦機として開発された世界最強(戦後アメリカの実験で時速最大六九〇kmを記録し最高傑作機と評価された。)の中島飛行機製二千馬力四式戦闘機「疾風」や、ゼロ戦の次世代戦闘機堀越二郎設計の三菱製「烈風」が敵グラマンF6F、ノースアメリカンP51を次々と撃ち落す。
更にB29キラーとして海軍空技廠設計九州飛行機先尾翼型機首と強力三十ミリ機関砲四門搭載の「震電」が時速七百粁以上という、米軍戦闘機、B29より早い世界最速スピードで敵戦闘機に追い付き、敵機を一撃で撃墜する。
又、B29の前方上空に廻り込んで四門の砲でアッという間にB29を撃墜する。
種子島海軍大佐が開発し石川島重工業製の世界初のジェットエンジン搭載の双発ジェット戦闘機「橘花」がB29を攻撃。
甲液「過酸化水素オキシノリン・ピオリン酸ソーダ」と乙液「水化ヒドラジン・メタノール・銅シアン化カリウム」を一〇〇対三六でミックスした脅威の推進力で、今迄達しなかった一万二千粁の成層圏まで従来型の飛行機では十数分かかったのを僅か三分五十秒で急上昇できる時速九百粁の画期的無尾翼型ロケット戦闘機「秋水」がその先頭部に搭載する強力三〇ミリ機関砲二門が火を吹きボーイングB29を一撃で次々と撃ち落すとして行く。
運よく残ったB29も新開発の二万米に達する新高高度高射砲で撃墜されて行く。
だがこれら最新戦闘機を動かす燃料はどうするのか?
そもそも大東亜戦争が始まったきっかけは軍艦や航空機に必要な石油を米英蘭三国が対日輸出禁止して日本経済を窒息させようとし、これに対してワシントンに交渉を行った甲案提示の野村海軍大将(大使)と東郷外相の秘策乙案を持った来栖大使が追いかけて米側と交渉。
ほぼアメリカが合意し日米和平が実現しようとしたのに対し、その翌日引っくり返り「日本の全権益放棄とシナ大陸からの日本陸軍の全面撤退」を要求する蒋介石の言い分を通した文章を共産主義者でソ達のスパイであったアメリカ国務次官補が草稿を書き、ハル国務長官がそれに署名した「ハル・ノート」の回答に、これでは日本は到底合意できないので日本が大東亜戦争を始めたというのが第一の理由だ。
この戦争を始める理由になった燃料については、私の先輩で百歳の長寿を全うした帝国海軍機関学校第四十期生木山正義機関中佐と、又、私の先輩東京帝国大学工学部桑田勉教授の研究により、南方からの油を頼る事なしにパイン・ルート・オイルから終戦直前十年分の燃料を創り出したのだ。
これに加えて更に「太陽と水と大地」があれば永久に生産出来るバイオ燃料を創り出す事に成功した。
しかも空襲に耐えるため蒸留工場を全国に分散して建設し、製造した。
この蒸留装置製造を実現できたのは海軍艦政本部が木山中佐の依頼に全面的に協力し蒸留装置を急速に造り全国に設置したからである。
これで日本は永久に戦える燃料を終戦前に用意できたのである。
本土決戦では日本は必ず勝つとすべての陸海軍参謀は確信していた。
一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し
「米軍は上陸に三回失敗しただろう。上陸に三回失敗すれば米軍の戦力はほとんど消耗し、戦争はベトナム戦と同様な状態となり、アメリカ国内で戦争反対の世論が起こりベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は日本から敗退せざるを得ない。もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を申し出るしかなかったであろう」と述べている。
ポツダム宣言を発した米国大統領トルーマンは、急死したルーズベルトから戦争を引き継いだとき、
「日本の国土は九十%が山森であり、攻めるのが非常に困難な地形である。しかも廻りは海で近づきにくい「不沈空母」である。地形のみならず無傷の七百五十万の世界最強(マッカーサーが議会で証言)の日本陸軍が本土と東南アジアに展開し、この敵とどう戦いどうやって打破する事が出来るか見当もつかない。」と溜息して日記に書いている。
実は日本を空襲したB29から「アメリカは鉄が不足して船をコンクリートで造りはじめたり、男のパイロットが不足して女が飛行機に乗ったりしてアメリカは青息吐息だ。日本人よ、もう少しでアメリカが参るから、ガンバレ」というビラが撒かれた。恐らく乗っていた日系二世が日本上空から撒いたと思われる。
一方、昭和二十年五月にベルリンに居た藤村義朗海軍中佐がスイスでルーズベルトの代理人キャノンと交渉し、米側は「満州、朝鮮、樺太、千島列島(北方領土)は日本に残す。
台湾は蒋介石と交渉してくれ。この条件で停戦しないか。和睦は急いでやりたい。」と驚くべき提案をして来たが海軍軍令部はこれを受けなかったと藤村中佐自身から私は聞いた。
これを継承したトルーマン大統領は、日本を降伏させるのは不可能で、どうにも打つ手が無く、手づまりだから「ポツダム宣言」というフェイントのような宣言を出した。
これは又、原爆投下をする言い逃れにもしたのである。
なぜフェイントのようかというと戦後、米、英、支のポツダム宣言の書類の実物を見ると、トルーマンしか署名していない事が判った。
イギリスもシナも署名していなかった。
これから見るとトルーマンの一人芝居だったことが史実として判明した。
そしてドイツ攻撃用に急いで実験的に作ったファットマンとリトルボーイの一つづつの二つしかない原爆を投下し、同時に数百個の原爆があるとウソの宣伝をして日本をおどした。
このフェイントのようなものに、まんまとお人よしの日本政府は引っ掛かってそのままのんでしまった。
これにはろくな返事も来ないだろうと思っていたトルーマン大統領自身もビックリした事だろう。
陸軍参謀総長、海軍軍令部総長という戦う陸海軍の責任者は前述のように本土決戦は勝つ見込みが充分あるから、天皇陛下の御前会議でもポツダム宣言受諾に絶対反対し戦争継続を主張したのであるが、天皇陛下が終戦の御聖断を下されたのである。
この会議室の入口で、特攻の海軍現場責任者の海軍軍令部次長の大西滝治郎中将が「あと特攻機が千機あれば勝てます(実際は既に三千機が用意されていた)。」と意見具申したが拒否されたので、大西中将はこれに抗議して切腹した。
切腹の介錯も頼まなかったのは怒りの表現であろう。
一方本土決戦の帝都の空の護りとして厚木にある無傷の帝国海軍航空本土防衛隊は、零戦設計者堀越二郎の新設計の四翼プロペラ延長回転軸式新型迎撃戦闘機「雷電」や川西航空機製「空戦フラップ」付の新鋭機「紫電改」などの一万機が厚木航空隊に温存され、強くて米軍から恐れられたラバウル海軍航空隊などから集められた歴戦のベテランパイロットが手ぐすねを引いて待っており、厚木海軍航空隊小園司令は終戦命令に絶対反対で最後まで降伏しなかった。
右の如く終戦時には「日本は負けていなかった」のは歴史的事実である。
そして「終戦」の実態は「負ける」どころか「血気にはやり、戦いたい」陸海軍や士気旺盛の国民に終戦を説得し抑えるのが大変だったというのが歴史的事実である。
しかしポツダム宣言に対して日本政府は「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。
アメリカの新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と事実とちがう報道を行った。
アメリカの提示したポツダム宣言自体、八つの条件付であり、これに加えて日本政府は「国体護持」という条件付きで受諾したので、計九つの条件付和睦で「無条件降伏」は事実に反するのである。
又、ポツダム宣言にも日本の国としての無条件降伏とは一字も書いていない。
戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか「日本が無条件降伏した」と思っているのはまことに嘆かわしい。
さて日本は歴史上負けたことがなく、前例が無いので終戦のやり方が非常にまずかった。
通常どんな契約でも必ずネゴをして味方の条件を良くするものだ。
現に藤村中佐のスイス交渉では、ルーズベルト大統領が「満州、朝鮮、樺太、千島列島は日本に残す。台湾は蒋介石と交渉してくれ。」と言っているのだから、この線に戻すことは可能性大だったのだ。
だが今も昔も変わらぬ外国との交渉下手の日本政府はネゴをしなかった。
ところが和睦の条件の武装解除をして日本に武力を無くすると、アメリカは次のステップとして、日本の陸海軍を廃止させた。
これはポツダム宣言に入っていない。
更にアメリカはハーグ国際条約に反してアメリカ原案の憲法を日本政府に呑ませ、日本の政治家は一人として抵抗する「男」がいなかった。これは今日迄統いている。
又、進駐の翌朝から進駐軍は軍政を敷き、B円という占領軍貨幣を使わせ、日本経済をコントロールしようとしたが重光外務大臣と側近の岡崎氏の命を懸けた交渉でこれだけは阻止した。
軍政と通貨は、ポツダム和睦条件に入っていないのだ。
あたかも徳川家康が大阪冬の陣の和睦条件に外堀を埋めることとし人のよい豊臣方が呑んだら、内堀も埋められて、次に難癖をつけられ夏の陣で滅ぼされてしまったのと同じ手法だ。
先に述べたようにアメリカは国際法で禁じられている行為、占領軍による憲法制定を強引に日本政府に呑ませ、占頷下で手も足も出ない日本政府は屈服した。
軍人は切腹したのに政治家はこの不法行為に抵抗する「男」が誰もいなかった。
一方、ソ進は日本との不可侵条約が厳として存在しているのに、日本が終戦の仲介を依頼しているのを知りながらノラリクラリとこれを無視し続け、日本に宣戦布告をした。
樺太や千島列島の日本軍は上陸するソ進軍を撃退し、又、関東軍と朝鮮軍は旺盛な士気で朝鮮半島北部でソ連軍を待ち構えていた。
しかしソ進軍は、終戦後不法に北方領土を占領したのみならずChina大陸にいた六十万人もの純心な日本兵を「帰国させる」と偽って貨車に乗せ、シベリアに拉致し、重労働させた上、洗脳されないものは帰国させないと脅して共産主義教育を叩き込み、共産主義に洗脳された兵のみ帰国させ日本の教育界、マスコミ界、労働組合、演劇界にもぐり込ませた。
そしてGHQと共に日本を左傾させ、学生も勉学そっちのけで革マル、中核、赤軍派など学生運動を繰り広げてこの学生が今や成人して政治家となり偏向した現政府の幹部となって日本を動かしている。
そして産業も沈滞し道徳は乱れ、これらは現在日本が弱体化している基本的要素となった。
この「終戦」の実情、つまり「戦意旺盛の陸海軍や頑張っている全国民をいかに説得してやめさせるか」が終戦にするには大変な事で、「敗戦」どころの状態ではないのである。
この実態を知らない最近の日本人は「終戦」を「敗戦」と言い変えているのは史実に反する。
右に事実を説明したように実際に負けていない「終戦」と、負けたという「敗戦」は全く違うのだ。
昭和一桁初期以降に生まれた若い人は右に述べた本当の歴史を知らない。
だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う「太平洋戦争」に言い換えたり、日本政府の正式名称「China事変」を「日中戦争」と言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」又は「シナ」と言わず相手におもねって、又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と言っている。
「China事変」は日本政府が正式に国家間での戦争と認めていないのだから、日本政府は「事変」と言っているのであり、この事実に反しているのを知らないで「戦争」というのは理論的にも誤っている。
又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。
占領軍は日本占領中新聞や手紙の検閲を行って「大東亜戦争」の使用を禁止し「太平洋戦争」を公文書に使うよう強制したが日本は独立している今もって間違った表現の「太平洋戦争」という名前を使って占領軍のトラウマに囚われているのだ。
さて終戦の詔勅の文章を協議する会議で詔勅原案の中に「戦勢日に非にして」という文章があり、某大臣から「日本は勝ったのか負けたのか?」と質問が出たのに対し阿南陸軍大臣は「勝ち負けの定義を「日本が支配している地域の大きさと兵の士気」とすれば、日本が戦争を始めたときの面積と現在(終戦時)の面積を比較すれば、現在(終戦時)の面積の方が大きい。
つまり日本はこの戦争で勝っていることになる。
しかも兵の士気は旺盛で日本は最後には必ず勝つと信じている。」と答え、詔勅原案「戦局日に非にして」は「戦局必ずしも好転せず」と訂正された。
阿南大将は「本土決戦をやれば日本は負けないので、本土決戦のあと講和を結ぶ」との陸軍の主張が聞き入れられず、御前会議で終戦が決定されたので、いさぎよく切腹した。
これは計画されていた大掛かりな陸軍のクーデターも抑える効果もあった。
介錯も断った見事な切腹だった。
この様な信念と責任感旺盛で主張が通らなければ、最後には自分の命を堂々と切腹して絶つという大臣は現在の日本の大臣に誰一人いないのは、日本人が終戦後いかに堕落してしまったかを示すものである。
右のように終戦時は日本軍に停戦を説得するのが大変で、まして敗戦ではないのが事実だ。
終戦の詔勅について私の小学校も大学も同じ迫水久常書記官長(現在の官房長官)と私は公私ともに非常に親しく迫水さんから終戦の御前会議の模様など色々重要な話しを直接迫水さん本人から問いた。
御前会議でおっしやった天皇陛下のお言葉をラジオで全国民に伝える正式な勅語の文章作成を迫水さんが任され、迫水さんが一高で教わった漢文の先生である漢学者川田瑞穂に文章作成を依頼され原案を作成した。
これを大東亜省顧問の陽明学者安岡正篤が手を加え、とくにこの詔勅の原文の中に「義命の存する所」という言葉が重要であった。
全大臣が終戦の詔勅の文章を協議する会議が十一日夜から十三日夜迄続き、訂正箇所が四十ケ所もあり、特に重要だった「義命」という言葉が某大臣から「辞書にないから「時運」にしよう」と提案があって書き直されてしまった。そして「義命の存する所」が「時運の赴く所」に変更され正式の終戦の詔勅になった。
私の名前は「義郎」だが、この「義」という意味は「道徳に基づく人として行うべき正しいこと」の意味で「義命」とは「信以て義を行い、義以て命を成す」意味であり 『「義命」の存する所』とは普通にいわれる大義名分よりもっと厳粛な意味を持っている。
国の命運は義によって造られて行かなければならない。
その義は列国との交誼においてもその治政においても信でなければならない。
その道義の至上命令に示す所によって終戦を選ぶのであり敗戦ではないという意味である。
簡単に言えば『日本はこれからは道徳に基づく正しい方向を行くべきだ』との意味であるが『「時運」の赴く所』は「時の流れのままに」という意味で、全く違う意味になってしまった。
だから今日でも日本は「時運の赴く所」つまり世に流されフラフラ流されてリーダーシップがなく国是も定まらない誇りのない国になってしまった。」と迫水さんが私に嘆いた。
又、終戦の御前会議で東郷外務大臣が陸軍が主張したソ連を仲介者にするという案に猛反対し、仲介者を入れるなら「蒋介石を仲介にしたらどうか」と提案があったが、近衛文麿が「蒋介石を相手にせず」という声明を出し「汪兆銘による南京政府」が日本によりつくられているので「蒋介石仲介はまずい」と横槍が入り、それではと不可侵条約を結んでいるソ連を仲介者にした。
結果はご存知の通り最悪で、ソ連は不可侵条約を結んでいる日本にかくれてヤルタで米英支と日本をやっつける会談(ヤルタ会談)にこっそり参加し、日本からの情報はソ連を通じ連合軍に筒抜けになっていた。
毛沢東の中共軍と戦っている蒋介石は、中共に勝つため日本に助けてもらいたいので日本に非常に有利な条件で仲介しようと考えていた。
戦後蒋介石は「なぜ自分に相談しなかったのか。自分に相談したならもっとよい条件で日本が終戦出来たのに」とくやしがったという。
先般あるテレビ番組で「中国戦線で敗走する日本兵」というコメントと映像が出た。
私の記憶ではChina事変で日本が負けた戦線は知らない。
そこでその担当者を呼び「どこの戦線で日本が負けたのか」と質問したが、返事がなくごまかすので再度追求すると、結局「根拠がありませんでした」と白状し「おわび」が回答だった。
国の権威に関わる事実無根な「日本軍の敗走」を国民に誤報して、これを放送で訂正せず口頭の回答で「おわび」でお終いにしている無責任さ。
歴史を知らないのである。
元大蔵大臣の塩じいこと塩川さんもChina大陸に従軍し「China戦線で武器を持っていなくても日本軍の軍服を着ているだけでChina兵は逃げた」と体験談を話している。
ところで私は最後の海軍将校生徒であり、又、最後の東京帝国大学生でもある。
戦時中の東大総長は世界に誇る一万トン重巡の設計者平賀造船中将だったし、東京都知事は陸軍教育総監の西尾寿造大将(その長男は現在ドクター中松創研の取締役営業部長)だったが、終戦時も日本のエリートは追放され、
戦後の東大は、左翼の南原総長になり、
占領軍によって、
「ゼロ戦」を作った東大航空工学科、世界一の戦艦「大和」を作った東大造船学科、
戦後の米軍テストで米最新型グラマン戦闘機より命中精度が高かった事が証明されたゼロ戦の機関砲を追った西村教授の東大造兵学科など、
日本を強く支えた研究の学科が強制的に廃止されただけではなく、東京帝国大学正門にあった「菊の御紋章」がはぎ取られ、名前も「東京大学」となり、「東京帝大」が「東大」になった。
名前だけではなくこの新制東京大学の学力レベルは、旧制東京帝国大学よりも四年以上下に学力レベルを下げてカリキュラムが組まれた。
麻布時代の成績が下の方の私の友人でも実際新制東京大学に人っている。
私達東京帝国大学学生十人に対して二十人の教授陣が取囲んで最高レベルの教育をし、最高の実験装置を持つ東京帝国大学は世界のトップレベルだったが、新制東京大学の世界ランキングは今年は世界二十四位までに落ちている惨状だ。
又、東大の学生自治会は完全に左だった。
私は中立の丁友会理事として学生の健全化に努めた。
日本は軍隊の強さも世界一(マッカーサーが議会で証言)だったが、戦後経済でもスイス、イギリス、ドイツを抜きGDPはアメリカに次ぐ二位となり、次にアメリカも抜く勢いで、アメリカでは日本を恐れて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本も出たくらいだ。
そして一九九三年には日本人の個人所得はアメリカ人を抜き世界一になった。
戦争にもビジネスにも強かったのは当事の日本人が青年時代に兵隊に行き、気力も体力も鍛えられ、又、まじめに高度な勉強をした昭和一桁初期の日本人(これを私は「超経験者」と言っている)による努力の結晶なのだ。
しかし占領軍による日本弱体化政策により戦後育ちは勉強も怠り、徴兵にも行かず、体力も気力も鍛錬されていないので、体力的にも気力的にも弱く知識経験も少なく、国際競争に勝てない。最近の日本の男はすぐ泣く。
山一證券倒産の時に社長が泣いたのはその象徴だ。
最近の若い男は草食系と言われ、やる気がなく泣き虫で、私が教えているハーバード大学やMITに日本人留学生がいない。
最近の日本人は留学するファイトもないのだ。
シナや韓国人が多数外国一流大学に留学しているというのに。
そして日本のGDPも二位から三位に後退し、日本人の個人所得もかつての世界一から現在二十七位に落ち込んでいる。
日本はこの状況から脱却せねばならぬ。
それには「超経験者」を指導者にして次世代若者を十五歳から全寮制で肉体と気力を鍛え、道徳修身を勉強させ更に世界より高いレベルの教育をしてゆく事が日本再生の基本なのである。
戦争中、私の家の玄関ドアに鍵をかけなくても泥棒が入らなかった。
しかし終戦後、同じ私の家で厳重な鍵をかけても何回も泥棒に入られたことでも判るように戦時中立派だった道徳心が高い日本人に比べ、修身を廃止した戦後の日本人の道徳の疲弊は驚くべきものがある
もう一度言う。
「日本は負けていなかった」
これを裏付ける賀川豊彦のマッカーサーヘの終戦直後の手紙の一部を添付する。
『マッカーサー総司令官閣下』
陛下の詔書の一分前まで全国民の戦意は燃えに燃え陸海空三軍の銃口が一様に貴官各位の胸に向けられていた事も事実なのです。
総司令官閣下
貴官は去る28日の厚木進駐の指揮者から進駐が平和的に日本側の満足すべき心づかいの中に先遣部隊の進駐を終了した報告を受けられたでしょう。
そして閣下は多数の日本人を眼前にされたでありましょう。
そしてまたその日本人が口をキッと結んでいる表情に気がつかれたことと思います。
日本人は最後まで戦うつもりでいました。
おそるべき原子爆弾がやがてわが身に落下するということを予想し覚悟しなかった者は只一人もありますまい。
またたとえ身は焼かれても粉砕されても戦争は陛下の指揮のあるまで続けてゆかなければならぬことを毛程も疑った日本人は一人もなかった事も事実ですが、それが、陛下の詔書によって戦争から平和へ完全に変向しました。
その決意の固さと新しい理想へ出発への努力が閣下の見られる日本人のキッと結ばれた口もとの表情なのです。
この様な民族が、国家が他に例を見ることができたでしょうか。』
最後に日本全国民が、もう一度「終戦の詔勅」を読むことを提案する。
そして負けていないのに終戦した無念さを思い起こし、そこに書かれている陛下が示されたこれからの日本の指針「総力を将来の建設に傾ける事」「正しい道を進みその心を堅持」「国体の真髄を発揚」「世界の流れに遅れを取らぬよう」を全国民が実行することが、我が国を立派だった古き良き日本に甦らせることなのである。
繰り返すが今迄「敗戦した」と殆どの人が思っている事は間違いであり、史実は「日本は負けていなかったのだ」という事を再認識し、これからの各人の行動を百八十度転換する事が日本再生の第一歩であることを確信し、日本が立ち直る起爆剤にするために本論文を発表したのである。
=============
いかがでしたか?
最近、8月15日を「終戦」と呼ばず、「敗戦」という語句を使う人が増えています。
とんでもない話です。
あくまでも日本が主体的に戦闘を終わらせたのです。
だから「終戦」なのです。
本土空襲を繰り返した米軍のB-29は、高度1万メートルという、日本の戦闘機では届かない高高度を飛ぶ爆撃機でした。
当時にあっては、まさに世界最強の「空の要塞」です。
けれど、その高度的に届かない筈の高さを飛ぶB-29を、陸軍の上坊良太郎大尉は、(高度が届かない筈の)戦闘機で12機も撃墜してしまっています。
さらに高高度を飛ぶことのできる飛行機を日本が完成させていたら。
戦況はまるで逆転です。
ちなみに、あれほどの脅威を誇ったB-29を、戦後米軍は、あっという間に廃棄処分しています。
役に立たなくなったからです。
なぜかといえば、ジェット戦闘機が開発された。
ジェット戦闘機の前に、B-29は、まるで空に浮かぶ間抜けな「的」できなくなってしまったからです。
そしてそのジェット戦闘機を、日本は戦時中、すでに開発していた。
そして一番大切なことは、原爆を落とされた日本が、実は原爆を持っていた、ということです。
その日本が、報復のため米国にもし原爆を投下したら。
それは、十分にあり得ることです。
それだけの技術が日本にはあったし、当時日本は戦争をしていたのです。
軍は、「勝つため」に戦争している。
けれど原爆の打ち合いが、まさに人類を崩壊させるものとなるということも、容易に想像できることです。
そして陛下の終戦の詔勅は、本文は原文のままでしたが、口語訳すれば
~~~~~~~~~
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、
わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
~~~~~~~~~
この一文に込められたメッセージは、たいへん重要です。
「この上、なお交戦を続けるであろうか」
という一文には、原爆に対する報復措置としての米国への日本の原爆投下をする、というメッセージが込められている。
そうなれば、戦いには勝つかもしれないが、「朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。」と陛下は述べられているのです。
国家間の戦争に勝つということは、どういうことか。
世界的名著である、クラウヴィッツの「戦争論」によれば、戦争とは、「国家の目的を達成するための究極の手段である」と述べられています。
日本が大東亜戦争で目的としたものは、「世界の平和と繁栄」です。
日本は、良心のために戦った。
だからこそハーグ陸戦条約を堅持し、日本は、一般市民に対する虐殺行為を一切やらずに戦い抜いたのです。
その日本が、一般市民を巻き込む原爆投下を行ったらどうなるか。
なるほど日本は戦いには勝つかもしれない。
けれど、陛下は、虐殺を行ったという事実を、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に、如何にして謝れば良いのか、と述べられているのです。
そして日本は、主体的に戦いを終わらせたけれど、その日本が巻いた種によって、戦後、世界の被植民地諸国は、次々と独立を果たし、経済的繁栄を遂げるようになってきた。
考えてみると、それら諸国の国民は、すくなくとも戦前までの支配者側だった白人たちよりも、いまでははるかに良い暮らしをしています。
ちょうど、戦前なら、よほどの大金持ちか大臣でしか乗れなかった自動車に、いまでは主婦や働く人たちが、当時の車よりもはるかに安全性、居住性の良い車に乗っているのと同じように、です。
国家の行う戦争は、戦闘行為自体が目的ではありません。
目的のために戦争をするのです。
そしてその「目的を達成」した国家が、戦争に「勝利した」ことになる。
日本は、間違いなく、戦争に勝利したのです。
参考:終戦の詔勅
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-569.htmlよろしかったらクリックを。
↓ ↓
終戦の詔勅 (玉音放送) ~完全版~
【メルマガ会員募集中】
ねずブロのメルマガを購読し、ご一緒に日本の良い話を拡散しませんか?
購読のお申込は
↓コチラ↓から。
http://www.mag2.com/m/0001335031.html
- 関連記事
-
終戦イコール敗戦と信じていました。日本は負けたのだと思っていました、というか思わされていました。
日本は敗戦したのではなく天皇陛下の御意思で終戦された(戦争を終わりにする御決心をなされた)ということがよく分かりました。勇気ある陛下の御英断であったのだと、日本人恥じるところは少しも無いではないですか。
正しいことを言える天皇制(世界の未来の姿を想定して原爆の開発を停止させた)と、自分の立身に有利な判断しかできない大統領制(原爆強いなら使って日本に勝つこと優先)、どちらが優れたシステムかもわかりました。
戦後洗脳教育、洗脳メディア恐るべしです。
まだまだ勉強することがありそうです。いつもありがとうございます。
俺も頑張る!
日の本は美しかりや。
東大は戦後史を出題しないとかあったのも、こういうことだったとか、少しわからされたかもしれません
大学生活どうすればいいか、この社会の現実を知りながら、何を動けばいいのか、選挙に行く くらいしか知らないのが現実です。そういう部分、少し具体的な今の生活において、どうしていくか、各々が考える部分の手助け、そしてその実行の手助けがあれば、今はどうすればいいかどうすべきかあまりわからない自分のような人も、もっと前に進めると思いました
無論、目の周りの筋肉も緩み体の水分が目から出てきました。
また我が日本が大好きになってしまいました。
自虐的教育を小中高大と受け、天皇陛下は何をしているのか?
税金で生活できて羨ましいなどとサヨク思想でいたのが
恥ずかしくてなりません。
ネットで真実を知り今や日本の正しい歴史を日々学んでいます。
この事を自分の子供や孫たちに伝え、誇り高い日本を取り戻したいです。
少なくともまだまだやれる段階で"戦略的"敗戦あるいは人道主義的敗戦を日本は選んだのだな、という事実に驚きです。
軽く言えば『マジでっ!?』って言う位の事実です。
しかし、
ねず先生には僭越ながら、
Dr中松の言う通り実際そんなに本土防衛戦が上手くいったかはさてどうなのだろうか?と思います。
燃料の劣化、質の悪いガソリンに訓練不足のパイロット。
各種の資材の不足。
この辺、幸福党から立候補した(カルト宗教から出てるあたりまともな判断力を失っている?)Dr中松の考えが妥当かどうか正直疑問です。
が、重要なのはそこではなくて先人が世界の平和(というか植民地の解放と民族の独立)のために散ったという事実。
日本というのは素晴らしい国だったのだと改めて思います。
ところで、かねがね気になっていたのですが『零戦の秘密』だったか
という本で対談本だったのですが、そこで『日本は精密工作機械が自前で作れずに欧米から輸入するしかなかった、それで負けた』という言い方をしているのですがこれは真実の一面を言い得ているのでしょうか?
その本はそのあと、日本は世界の主流から負けつづけている。
今は金融やITが主戦場だがそこでも日本は遅れを取っている、
と続くものだったんですが。
ことが教えられたらしく、・・・・・うざがられてしまいました。
小学校ではありませんが、カナダですと違うようです。
娘は高校か大学時代にWWIIの歴史について学習したようで、
真珠湾はもちろんのことGHQや共産党について色々話してくれたのですが、残念ながら、自分の方がそこまで到達していませんでしたので、話がかみ合いませんでした。やっと最近になって娘の言おうとしていたことが理解できました。娘はそのままカナダ在住ですので、話し合う機会がありません。多分、彼女はもっと知っているはずです。
先ず米軍は上陸地点の南九州に原爆を落とすだろう。
しかし陸軍参謀本部堀少佐率いる特殊情報部が原爆コールサインを五時間前に傍受していたので、近くの海軍大村基地の紫電改が発進し、B29を太平洋上で撃墜。』
私の父は長崎の海軍大村航空隊で整備を行っていました。当時17の少年兵でしたが、大好きな飛行機でお国のお役に立てると言うことだったようです。その父から生前少しだけ話しを聞いたのですが、詳しくは話をしてくれませんでした。父の最後のお勤めは大村基地が爆撃を受ける事を察知し、紫電改のエンジンを守れと言うことでした。命令は父と同様な十代の少年兵数名でエンジンを山の中に隠す事です。この時父達には大村基地が爆撃を受けるとは聞かされておらず、エンジンを隠す理由も分からず命令どおりに荷車を人力で押して山へ入って隠し、帰る途中に上空からグラマンが父たちを射撃し、逃げる途中で転び道端から転げ落ちて命拾いをし、基地へ戻ってみると爆撃を受けた基地は使えない状態になっていた様です。この話を聞いたとき、私は「どうしてエンジンを隠したの?」と質問したのですが、父は答えず、代わりに母が、上官が少年兵の命を惜しみ助ける為にそうさせたと後で教えてくれました。しかし、今回のこのドクター中松氏の論文で深い部分で分かりました。別の意味が有り父は返答しなかった。紫電改は故障が多く最悪だと説明されていますが、実際にはハイテクの塊で不足しがちな資材のせいで故障を直すことができず、この様な評価になっていると思われます。一例ですが、敵銃弾でエンジンブローするとオイルを吹き出し、キャノピーを汚し前が見えない事を解決する為に生ゴムでエンジンを包んでいるとか、そのような事を父が言っておりました。
もし、南九州へ原爆投下のコールサインが出されていたら必要な紫電改を死守するのが命令の意図だったんですね。母の説明だけでは、なんか敗者の寂しさとしか解釈出来なかったのですが、父は爆撃されても基地は直ぐに直してやる気満々だったようで何となく母の説明では腑に落ちなかった。ただ、そんな父でもボロになった零戦を修理して特攻機を準備するのは辛かったようです。何故ならば、ジュラルミン製の機体にベニア板を無理やりつけて何とか飛べるような状態の機体が多くあり、さすがにパオロットに申し訳なかったと言っておりました。
そして、終戦を迎えるのですが、父は降参しておらず、紫電改のエンジンを穴に埋めて近くに陣取り、米兵が奪いにきたら刺し違えて死ぬつもりで、サーベルをヤスリで凸凹に削り、切り傷が容易に治らない、止血できない傷を相手に負わせるように準備して、数日飲まず食わずでふらふらになり、食料を調達しようとしていた所を捕獲されて父は終戦を受け入れた様です。
そして、時はだいぶ経て九州上空に零戦が飛来するイベントが有ったのですが、独特のエンジン音を聞いた瞬間飛び出していき、突然大泣きしたので、私はびっくりして父を見てました。すると、母が私を連れていき「一人にしてあげて」と言われたのを思い出しました。父の涙を見たのは最初で最後でした。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17336800
私の拙文への兵藤様よりのコメントかと勘違いしました。
申し訳ございませんでした。
本土決戦は冷徹に分析すると結果的には日本が対峙する相手は米国を筆頭とする連合軍となり緒戦に大戦果をあげても人的被害を全く意にかえさない露軍の侵攻により日本軍は逐次撃破され、一億総特攻の末、甚大な人的被害を被り、連合国による五分割統治となる状況も考えられました。
しかし時のベクトルが国体護持という日本の根幹となる流れに向かい、甚大な人的被害を回避できた事は天祐に価するものでした。
これは恒久的な世界平和を標榜とした天皇陛下が自らの御身を滅しても国民の安泰をとの御聖断を下した故の賜物の他なりません。
我々は天皇陛下の赤子として日本国に日本人として生まれた事を僥倖と思い、高い民度を継承し、より高尚な人類となるべく未来の子孫に申し継ぐ義務があります。
航空隊に実戦配備されていた機体は高性能を誇っていましたが、実情は高性能航空燃料のクオリティーが米軍のそれより劣り実力を発揮できないなかで善戦していました。
但し本土決戦となればそれまで温存されていた航空機が特攻攻撃を敢行し、米上陸部隊に甚大なる損害を与えるものだと思われます。
巷で言われるような航空燃料の枯渇も実際は艦隊を全廃した海軍は油の殆どを航空燃料に転換したので量的問題は発生しませんでした。
海空の特攻攻撃から辛うじて上陸した米海兵部隊も水際作戦による座標で弾着を定めた砲撃による十字砲火で全滅に近い部隊が続出する事が予測されますが、勇猛果敢で退去は有り得ないとする海兵隊精神で予備部隊を逐次投入し、量的アドバンテージを確保せんとしても迎え打つ側の帝国陸軍の方が遥かに量的に圧倒し、内陸作戦つまりゲリラ戦に持ち込れた米海兵部隊は随所で孤立分断しますが、その間にも戦端のロジスティクスを定石通りに実行する米軍は上陸部隊を支援する基地を僅かな期間で各所に新設し、後方から無尽蔵とも言える戦略物質や戦力を水揚げしてその戦術を短期決戦とするものと思われます。 しかし硫黄島攻略時の例のように陸海空の戦力比で質量共に日本守備隊を遥かに凌駕した兵力で攻略作戦に臨み結果は日本側を上回る戦傷者を出しているので日本攻略による人的被害は米軍の許容点を超えたものとなって
、その事実が米国民に届く事で厭戦に近い世論が発生した可能性もありました。
米軍は自軍の損害を百万人と推定していましたが実際には、その数倍に登る事は容易に想像が付きます。
本土決戦の是非には計り知れないものが あるようです。
なかなかおもしろかったです。
DR中松氏に怒られますね。
確か、チャーチル自叙伝でしたか『日本軍が真珠湾を攻撃したと言う電報に始めて深い眠りに付くことが出来た』私の文章は確かではありませんが内容は確かです。
真珠湾攻撃が始まるずっと以前からイギリスのチャーチルとフランクリン.ルーズベルトとの間では戦争に参加するという約束が交わされていた。
『戦争はしない』という公約で選挙を二期続けて当選したルーズベルトは『戦争に参加しなければならないだけの大義名分が必要だった』 1929年の大恐慌以来アメリカは戦争を必要としていた。この戦争でドンタクの資金を得たことは確かです。
真珠湾には破壊されてもいい軍艦だけを置き、必要な軍艦はあらかじめ沖に出されている。
日本は嵌められたのです、そして日本人が大嫌いな人種差別主義者のルーズベルト大統領はパールハーバーの約2千~3千の米軍人を生け贄にしたのです。
史実をもっと詳しく勉強してください、ルーズベルトの娘婿の出した本など信憑性が高いでしょう。
アメリカの『学校で真実は教えられません、知られたら困ることですから嘘で毎年洗脳し続けなければならないのです』
あなたのお子さん達は今後も同じ体験をします、子供達を正しく導くことが出来るのはあなただけです。成人するまで『真実の史実を学び親子だけの秘密』 という感じで正しい知識を持つことができたらしっかりしたお子さんになることは間違いないと確信します。
他国で暮らす日本人にはそれなりの覚悟と対処方法、智慧を生かし日本人としての尊厳を失うことがない心構えが求められます。『あなたなら出来ますよ!!!』
んな当たり前のことが言えないのかと憤りを感じます。
選ばれし日本国の国民がこうも虐げられてよいわけがない!
強い国を作らねばならなかった時代を蔑んではならない。
誰かが言わねばならぬことを言ってくださり感謝の極みです。
是非これからも真の正論というものを掲げて頂きたく思います。
6年生の歴史の時間に第二次世界大戦や真珠湾攻撃の
ことが教えられたらしく、子供は落ち込んでいました。私は、ハルノートのことや真珠湾攻撃のときにアメリカのレーダーが追っていたことを話したのですが、うざがられてしまいました。夫が教えられてきた歴史と、私がネットで得た歴史には大きな隔たりがあり、また、日本に根付く道徳は
到底夫には理解できないようです。
結婚自体を否定するつもりはありませんが、結婚前にネットがあって、もっと米国のことを知っていたならば、と残念です。でも一般の米国人は習慣はちがうものの、キリスト教のせいか謙虚で道徳が高く、良い人たちが多いのも事実です。彼らも言いかえれば政府の犠牲になっているのでしょう。
自分のやるべき事を精一杯やる事にします。
日時 11月17日(木)21時~(1時間程度)
場所 自民党本部Cafe Sta
放送 ニコニコ動画 http://live.nicovideo.jp/gate/lv71081561
中曽根弘文Webサイト:http://www.hiro-nakasone.com/
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111117/dst11111714270010-n1.htm
反日売国韓政権の汚染腐葉土拡散のニュースは福島第一原発爆発事件発生後の比較的早い時期に
流れていた。 このニュースは韓内閣が組織的に放射性物資を広域拡散を企みばら撒いていた事を
裏付ける証拠となる。
【東日本関東大震災の真相は!の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj13.cgi
証拠記事を集めた簡約版はこちらをカッチとね
11月17日9:00~
予算委員会(参)審議中継を見ていますhttp://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?sin=1239&mode=LIVE&un=c8a2188542b63dd2345733e943ce6c1d&ch=n&pars=0.48217404650773726
11月17日11:55~
ブータン王国国王ジグミ・ケサル陛下及び同王妃陛下(国賓)歓迎会中継を見ています
URL未定
11月17日14:00~総務委員会審議中継を見ています
URL未定
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
関汽交通労組はハラスメントに対応しろ!
● 職場に苦手な人がいて、朝、会社に行くのがつらい・・・・
● あの人の顔を見ただけで、何か言われるかとドキドキしてしまう
● 自分はいったい、どんな悪いことをしたのだろう・・・
● 仕事がうまくこなせず叱られてばかり、自分はダメな人間だと思ってしまう
● なぜ上司はあんなに酷いことを平気でするのだろう?
もしあなたがこんな感じで、職場の人間関係で辛くなってしまっているとしたら、それはモラル・ハラスメントが原因かもしれません。
職場のモラル・ハラスメントとは、静かに・じわじわと・陰湿に行われる精神的ないじめ・嫌がらせです。大人げない態度や、きつい言い方であっても、一見、指導などの形態でなされるモラル・ハラスメント。 周囲はもちろん、言われている本人も、それが 「ハラスメント」とは気づかず、その本人自身が 悪いと感じていることがほとんどです。
ひとつひとつの行為自体は、他人から見ると微妙なもので、本人がどんなにつらくても、「気にしすぎ」「自分の性格の問題」等々、周囲にその感情を理解してもらえないところが、このモラル・ハラスメントの難しいところです。
あなたは、職場で下記のような言動で苦しんでいませんか?
言葉の例
●人格・能力を否定する言葉を使う
(例:「生きている価値がない」「何をやってもダメなヤツだ!」)
●コンプレックスを持っている弱点・欠点をあげつらう
(例:「デブ」、「ハゲ」、「メタボ」)
●聞こえよがしに嫌味を言う
(例:「自分の仕事もできないのに、人の世話を焼いているヤツがいるよ」)
●家族を非難する
(例:「おまえの親なら、どうせろくでなしだろう」)
●退職を促す
(例:「イヤだったら、いつでも辞めていいぞ」「まだ会社にいる気か?」)
態度の例
●罵声をあびせる
●あいさつや会話をしない(無視)
●肩を突く、胸ぐらをつかむ
●目の前でヒソヒソ話をする
●書類や物をなげつける
●舌打ち・鼻を鳴らす
●執拗な注意・叱責をする
●悪い噂を流す
●人前で土下座させる
●仕事を取り上げる、新しい仕事を与えない
●不正行為を強要する
●必要な備品を与えない
●宴会や旅行などへの出席を強いる
●昇進を妨害する
これらはモラル・ハラスメントで見られる典型的な攻撃例の一部です。実際には、これだけの情報では判断しきれませんが、もし、継続的にこのような言動を受けているなら、あなたは、「モラル・ハラスメント」に苦しんでいるのかもしれません。
http://amotoyamatotake.blog.fc2.com/blog-entry-66.html
こんにちは。
中松氏の論文、拝見しました。
中松氏が選挙活動をされているときに、何度かお姿を拝見していましたが、このような方とは存じませんでした。
当時の日本人の意識が如何なるものであったのか、その片鱗が伝わってきたように思います。
血肉に力がみなぎりました。
今も、反日左翼や外国勢力が、TPPなどで日本を壊滅に追いやろうとしています。
一人でも多くの日本人に事実を知って貰うために、みんなで協力して拡散しましょう。
改めて我が国は凄いと感じました。
天皇陛下万歳
早速、購入致します。
ねずきちさんの発信力は、とても高いです。
これからも、頑張ってください。
自然と涙が流れて来ました。
今の日本人に必要な事が凝縮されている事だと思いました。
一人でも多くの方に読んで欲しい記事です。
11月16日9:00~
決算行政監視委員会行政監視小委員会審議中継を見ています、世界最速スパコンが議題に成っています。
2番ではだめなんです。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmp.asx?deli_id=41431&live=yes&media_type=wb
11月16日10:00~
予算委員会審議中継を見ています
URL未定
【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
2011年の東京都知事選は無所属で立候補されてましたよね。
本文と関係ないですが、ちと気になりました。
私は、本件論文は、あくまでの氏の「論」であり、政党や党利党略、あるいは宗教とは何の関係もないものとして、掲載、ご紹介させていただいています。
そんなことよりも、もっと重要な、なぜ「終戦」なのか、という大きなテーマが書かれた、とても内容の濃い、論文だと思うからです。
ブログ今後もよろしくおねがいします
ブログは永遠に残ります
正義を日本に植え付けてください