蒲原鉄道3

19843

 

 

村松からモハ61に乗車して加茂へ向かいます。

 

車内からスナップした2枚をご覧いただくまでもなく、沿線はさすがに、雪・雪・雪、です。果たしてこれがどの辺の風景なのか?乗り心地や車内の様子を含めて全く記憶に残っていません。ネガの順番から想像すると村松~七谷間である事は確かです。このトンネルは土倉~冬鳥越でしょう。

 いまさら書くまでも無く、蒲原電鉄は五泉~村松・村松~加茂、と村松を境に電車の運用が分かれていて、直通列車は臨時列車以外では存在しなかったと記憶しています。五泉~村松は1列車運用で途中交換はありません。村松~加茂は2列車運用で途中の七谷で上下列車が交換します。『鉄道ピクとリアル』No.431甲信越・東海地方の私鉄 特集、を読むと、閉塞は五泉~村松、村松~大蒲原、大蒲原~七谷、七谷~東加茂、東加茂~加茂、の5区間に分かれているそうです。

 

 

 

七谷駅での列車交換

 

「七谷と釜清水(北陸鉄道金名線)の雰囲気が良いんですよ」と聞いたのは、私がサイトを始めた2000年になってからでした。確かにいろいろなサイトに載っている写真を眺めていると、その鄙びた雰囲気が良く解ります。幅の狭いホームや貨物側線を持っていて、ホームから線路を渡って駅舎へ向かう感じは、如何にも地方私鉄の交換駅のイメージにピッタリくるように思えます。

撮影した当時は、そのような印象を受ける事無く、単なる交換駅としてしか認識していませんでした。車両しか見ていなかったとも言えますね(苦笑)。釜清水が或る程度の人家密集地域で、朝夕のTc増解結が行われていたのに対して、七谷は人家まばらで閑散とした雰囲気でしょうか。

この時、モハ61と交換したのはモハ12でした。確か8月に出かけた時もモハ12を使っていましたので、この程度の小型車両で間に合うほどの旅客者数だったのでしょう。言うなれば加茂~村松専用車ですね。

 

 

 

何事もなく加茂に着きました。

 

いつもと同じように加茂を発車していく列車を見送ったこの1枚が、私にとっての最後の1枚、ラストカットになりました。加茂~村松の廃止は1985年(昭和60年)331日です。この訪問時から数えてほぼ1年先の話になります。

 

2011417日 記

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