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今年1月27日には
iPadが発売されてから10周年目を迎えましたが、初代モデルの開発にキーマンとしての役割を果たした2人のインタビューが公開されています。イムラン・チャウドゥリー(Imran Chaudhri)氏はiPhoneの画期的なユーザーインターフェース開発を主導したことで知られる人物であり、ベサニー・ボンジョルノ(Bethany Bongiorno)氏は2008年に入社してiPhoneのプロジェクトマネージャーを務めていた人物です。2人とも初代iPadの開発が本格始動した初期の段階から、それぞれヒューマンインターフェースのデザインディレクターとソフトウェアエンジニアリングディレクターとして深く関わっていたとのことです。
特にイムラン氏はAdvanced Technologies Group(アップルの最先端技術研究所。1986年に設立され、97年に閉鎖)のインターンとしてアップルで仕事を始め、同社がNeXTを買収した後にスティーブ・ジョブズ氏が復帰した当時から彼と密接に協力してきた間柄です。
そのイムラン氏によれば、そもそものiPad開発はiPhone以前に遡り、そのプロジェクト名は「Q79」と呼ばれていたとのことです。Q79はマルチタッチを中心に構築を目指した製品であり、コンピューティングを進歩させ、Macの問題を解消するために「マルチタッチを通じて、より直接的でレスポンスに優れた入力をどのように実現するのか」という観点から模索されたもの。
もともとはマルチタッチスクリーンをMacラップトップに持ち込むことが検討され、具体的には当時のiBookをベースにした製品が考えられていたとされています。それは超高価なコンピューターになる可能性がありましたが、実現は叶いませんでした。
その後にiPhoneが登場し、iPadもiPhoneをベースとして再出発することになりました。その辺りは
現役アップル幹部のフィル・シラー氏が語った話の再確認となりますが、ベサニー氏はハードウェアのコード名は「K48」で、ソフトウェアは「Wildcat」だったと述べています。
iPadをどういった製品にするのか、どういった使用シーンを想定するのかの展望は、やはりジョブズ氏が提示していたとされています。まずNew York TimesやWall Street Journalといった新聞が読めるアプリケーションを構築する必要があるとして「これが最優先であり、これが未来だ」と語ったとのこと。そうした言動から「彼は製品を作るだけでなく、顧客体験がどちらにいくかの確かなビジョンを持っていました」と振り返られています。
興味深いのは、iPadの主な用途の1つとしてはデジタルフォトフレームが想定されていたにもかかわらず、初代iPadにはカメラが非搭載だったことへの言及です。実際、ベサニー氏はiPadを持って歩き回り写真を撮る人々がいるとは思わなかったと述べています。しかし写真を何らかの方法で取り込む必要があると考えたため、デジカメやSDカードからインポートできるオプション機器iPad Camera Connection Kitが開発されたわけです。
第2世代のiPadからカメラが搭載されたものの、やはりそれほど多くの人が使うとは考えていなかったとのことです。ところが実際は外にiPadを持ち歩き、休暇中に写真を撮っている人を見かけるようになりました。イムラン氏がはっきり覚えているという光景は、2012年のロンドンオリンピックでのこと。
スタジアムを見渡せば多くの人達がiPadをカメラとして使っており、彼らは概して視覚上の理由からより大きなファインダーを必要とする人でした。それを見て、私たちはiPadのカメラエクスペリエンスを再設計したーーイムラン氏はそう振り返っています。
ほか、iPadのマルチタッチによる写真の拡大縮小が健康状態の悪化していた晩年のジョブズ氏を楽しませたこと、既存のプラットフォームや既存のエコシステム(iPhone)の「重力」の制約からiPadを独自に進化させる難しさが示唆されるなど、様々な思い出や心残りが語られています。iPadに思い入れのある方々は10周年の節目に、インタビューの全文をじっくり読まれてみてもよさそうです。