いだてん

IDATEN倶楽部

2019年614

レトロかわいい女子体育黎明れいめい期の体操着

女子スポーツという概念すら世の中に浸透していなかった100年前の日本。「いだてん」では金栗四三や二階堂トクヨらの尽力で、女子スポーツが少しずつ広がりを見せていきます。そんな歩みとともに進化していったのがスポーツウエア。ドラマでも描かれる女子の体操着の変遷について、「いだてん」で衣裳コーディネートを担当している宮本まさ江さんのお話を交えてご紹介します。

袴に革靴、たすきがけ

大正時代の美人の代名詞といえば花顔柳腰かがんりゅうよう。「運動したらブスになる」と言われていた時代、“手足をあらわにすることなどもってのほか”と、女性は袴に革靴、たすきがけの姿で運動をしていました。
宮本
ドラマでは竹早の女学生には都会的なイメージで銘仙の着物などを合わせ、その対比として人見絹枝たち岡山高等女子の生徒には、地味な黒っぽく見えるしま模様の着物を着せています。

足袋

周囲の目を気にしながらも、衝動を抑えきれずに走り始めたシマ。窮屈な女性の生き方から脱却するかのように、「苦しい」と帯を投げ捨てるシーンが印象的でした。意を決して走り出すシーンでは、着物の裾をからげた姿に、足元は四三が愛用する播磨屋の足袋でした。
宮本
作中、女性で足袋を履いて走ったのはシマが最初。四三さんの影響で竹早の女学生たちも金栗足袋を愛用するようになります。

制服ぶるま

シマが学んだ東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の体操着として取り入れられた制服ぶるま。袴の裾を短くして絞ったスタイルで、シマも授業で着用していました。
宮本
袴の裾をつぼめた感じの制服ぶるま。裾をほどくと向こうずねが隠れるくらいの長さがあります。二階堂トクヨの帰国以降は、ぶるま派とチュニック派に別れていったようです。

チュニック

トクヨが留学先のイギリスから持ち帰ったのがチュニック。「女子の体育は女子の手で。子を産み母となる体を作るために優雅なるダンスを学ぶのです」そう語ったトクヨが目指す女性らしさが感じられる体操着がチュニックでした。
宮本
チュニックはトクヨさんが設立した二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)の制服でした。学校に当時の制服が残っていたので、見せていただき、シャツの素材のみ化繊から綿に変更しています。昭和に入っても同じデザインの制服が受け継がれていたので、かつての生徒さんたちにも懐かしくご覧いただけているようです。

竹早の体操着

四三が勤務する東京府立第二高等女学校(通称・竹早)。お茶の水と並ぶ名門女学校で、四三の赴任当初は永井がときどきテニスを教えに来る程度で、体育と呼べる指導はほとんどされていない状態でした。女子体育の普及を目指す四三の指導でスポーツの楽しさに目覚め、当初は袴にたすきがけで運動をしていた女学生たち。やがて「T」の頭文字が印象的な体操着が取り入れられます。
宮本
竹早の体操着はかつての写真をヒントにしています。襟元のデザインは私のオリジナル。胸に付けられた「T」の頭文字は辛作のアイデアという設定で、これも番組独自のものです。制服ブルマの進化形という感じ。演出上、ブルマは短くして太ももまである長靴下を脱ぎやすくしています。上着も簡略化されてより動きやすくなっています。

村田梶原式ユニフォーム

富江と梶原がハリマヤ製作所の2階で手作りし、全国的に大反響のあった村田梶原式ユニフォーム。実際、日本の女子テニス黎明期に選手として活躍し、全国的に人気を博した女学生が着ていたユニフォームをもとに再現しています。
宮本
富江と梶原のテニスウエアは、古い資料をもとに作りました。増野が勤めるデパートのショーウインドーに飾ってあったものは、当時、海外の選手が着ていたユニフォームを参考にデザインしたものです。
宮本まさ江
千葉県生まれ。1985年第一衣裳入社。独立後、映画、CM、テレビドラマ、舞台の衣裳を多数手掛ける。主な映画作品 として、『夢二』『顔』『GO』『ハッシュ!』『阿修羅のごとく』『北の零年』『図書館戦争』『舟を編む』『駆込み女と駆出し男』など。NHKでは、土曜ドラマ「トットてれび」「64(ロクヨン)」の衣裳を担当。

IDATEN倶楽部トップへ