繁華街を歩く。夜の街をぶらつく。島々を訪ねる。そんなとき、沖縄は鮮烈な色にあふれた地だと実感する。亜熱帯という気候ゆえであろう。日本本土と異なる歴史や風土が色を帯びて目に飛び込んでくるような感覚も覚える
▼沖縄の色は芸術家を魅了した。画家の藤田嗣治は色と描線で沖縄の異国情緒を表現した。戦後を代表する写真家、東松照明はカラフルな色をまとった基地の町に「戦争のもう一つの顔」を見た
▼与那覇幹夫さんは生まれ島・宮古の成り立ちと苦難の歴史、島人の運命を赤と青で描いた詩人だった。1983年の第1詩集「赤土の恋」に収めた詩編が発する色は読む者の目をくぎ付けにする
▼人頭税やソテツ地獄を描いた。根底にあるのは差別と貧困である。「土くれ」と題した作品はこう結ぶ。「青ん天空んした/貧土の赤土が まぶしいん/宮古/明るくって 明るくって 愛(かな)しいんね」
▼古層から現代にやってきたような風貌。発する言葉は時に辛辣(しんらつ)で、こちらを身構えさせた。それでいて子どもっぽい笑顔を振りまいた。周囲を驚かせながらも、引き付ける人だった
▼与那覇さんの訃報に接し、「今の沖縄の色に何を見ますか」と問うべきだったと改めて思う。島人を苦しめた差別と貧困は払拭(ふっしょく)されたのか、とも。棺(ひつぎ)に横たわった詩人は「私はなっとくしていないよ」とつぶやいているようだった。