日本赤十字のコラボに端を発した(というかその前からすでに散々議論されてはいたけれど、ミソジニストたちにとっての「再発見」という意味で)「性的な表象」問題ですが、未だに馬鹿な議論が収まる気配がありません。
 ……どころか、

 こんな風に、間抜けな発言が断続的に相次ぐ始末です。いったいどうしてこうなったのやら。

 フェミニストの主張は?
 なぜアホがわくのかという話をする前に、まず当のフェミニズム側の主張の内容を確認しましょう。
 そもそも批判の要点は、「巨乳」(という表現は女性の身体を性的に消費する側の視点しか入っていないものなので括弧つきで書くが)のような特徴を持つ女性モデルを、転職サイトの広告のように全く必要のない場面で、性的な要素を消費させることを明らかに目的として使用しているという点にあります。

 もちろん、「巨乳」であることがすなわち「性的である」ことではありません。「巨乳」であるというのは本来単に胸部が大きいだけのことであり、それが性的に消費されるのは社会的、あるいは個々の表現に内在する文脈によるものです。

 それでもこんなバカは出てきますけどね。
 まぁ、この辺の議論は小宮友根氏による論考『表象はなぜフェミニズムの問題になるのか-WEB世界』『炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか-現代ビジネス』を参照していただければたちどころにわかることでしょう。特に後者の論考は平易であり、主張に賛同するかどうかはこの際さておくとして、この程度の内容が読みこなせない人が表現について語ろうというのは無謀でしょう。

 なぜ「フェミが巨乳を攻撃」になるのか
 このような論考を読めば、というか個々人の主張をきちんと検討すればたちどころにわかるように、フェミニズムの批判は常に「表現の使用者」に向いており、表現に登場する女性自身に向いているわけではありません。「広告に巨乳を使うな」というときに批判されているのは、広告を出した人たちです。

 しかし、先ほど引用したツイートからもわかるように、大勢のミソジニストたちは、フェミニズムの攻撃が「巨乳」の女性に向いていると誤読しています。このような「誤読」がなぜ生じるのかについては、いくつか可能性があります。

・「巨乳は(常に)エロい」という謎の前提
 先ほどの引用ツイートに『胸の大きい女性はエロいですけど』などと書いてあるように、この手のミソジニストたちは「胸が大きい女性」を常に性的なまなざしでしか見ることができていません。

 しかし、これはどうにもおかしな話です。
 「巨乳」というのは要するに「胸部が大きい」という身体的特徴に他なりません。それは「背が高い」とか「手が大きい」とか「髪が長い」という身体特性となんら変わるところがないものであるはずです。にもかかわらず、なぜ胸部の特徴がことさら、常に性的なものとして見られるのでしょうか。

 さらに考えてみれば、背丈や手や髪といった要素も、状況によって「エロいもの」として理解されることがあります。これらの要素と「巨乳」が本質的に同じものであるとすれば、「巨乳」もまた性的にまなざされるのは本来状況に大きく依存されると考えるべきでしょう。

 そうはなっていないのは、社会が、特に表現にかかわるカルチャーが、常に「巨乳=エロい」という図式でしか身体的特徴を見てこなかったからにほかなりません。「巨乳」の女子アナに対するあだ名とか、まさしくそんな感じでしょう。

 フェミニストは、というか並程度の常識がある人は、「巨乳」=エロなどという図式で物事を見ていないので、表現によって「巨乳の女性」が性的な要素を持ったり持たなかったりすることを自明の前提として理解しています。しかし、ミソジニストたちはそうではなく、常に「巨乳」=エロいという認識であるため、「広告に性的な要素を持ち込むな」という批判を実現するためには、(彼らの前提では)常にどうあがいても性的である「巨乳の女性」を広告に使用できないという理解になるのです。

・批判されている対象を透明化
 もう1つの理屈は、批判されている対象(たいていの場合は彼ら自身)を透明化し、虚構の対立関係を作り出すという詭弁の一形態にあります。

 フェミニスト(A)が批判するのは、「巨乳」という身体特徴を持った女性(B)を常に性的に消費する人々や企業(C)であり、それぞれの攻撃の矢印はA→C→Bとなっています。

 しかし、Cは自身が非難されているという状況に耐えられないため、あるいは単に愚かさのため、自身が非難されていることに気づいていないという設定で振舞います。こうすると、議論の構図からCがごっそり消え落ちるのであら不思議、A→Bとなり、あたかもフェミニストが「巨乳」を攻撃しているかのようになります。

 あとは、議論の詳細を一切明かすことなく、この虚構の構図を繰り返し喧伝すればいくらでも馬鹿が釣れるという寸法です。まぁ、彼らはそこまで策略を立てているのではなく、ただ馬鹿だから議論の構図を理解できないのだと考えるべきでしょうけど。

 愚かで説明ができることに、それ以上の意味を見出してはいけません。

・それはそもそもフェミニストなのか/フェミニズム「的」なのか
 こういうことを書くと、Twitterのどこかのアカウントを探してきて「でもフェミがこう言ってるぞ!」と反発する人が必ずいます。

 確かに、「フェミニストが酷いことを!」系の話題では、必ずと言っていいほどフェミニストを名乗るアカウントが女性に対して酷い言葉をかけているようなスクショを目にします。それが「根拠」となって「これだからフェミは」という論調が作られていきます。

 しかし、そもそもそれはフェミニストなのかという疑問が生じます。
 むろん、フェミニストの主張にも幅があり、些細な差異でこいつはフェミニストだ、フェミニストじゃないなどという「判定」を軽々に行うべきではありません。しかし、どう考えても不審だったり、女性の権利を擁護するというフェミニズムの大前提に明らかに反しているものに関しては、疑いを差し挟むべきではありましょう。

 現に、過去のツイートを遡ると明らかにスパム臭いようなアカウントが、あたかも前々からフェミニストとして発言してきたかのように外見を装っている事例が散見、どころではなく頻発しています。差別主義者というのは差別するための手間を惜しまない人たちなので、この程度のなりすましは平気でやります。

 現状Twitterでは、フェミニストを名乗るアカウントがフェミニズムから極端に逸脱した振る舞いをしているのを見れば、まずなりすましを疑ったほうがいいというレベルになっています。

 また、どんな思想でも同じことですが、フェミニストだからといって、常に「フェミニズム的な主張」をするとは限りません。単なる勉強不足や間違い、隣接分野に対する認識の偏りなど、原因は様々でしょうが、ときに大御所と呼ばれるようなフェミニストだって、フェミニズムの視点から見て流石に……ということを言うことはあります。

 そういうときは、分野の自浄作用として、内側からも批判があります。また、そのような言動が分野の主流になることは稀なので、フェミニズムについて多かれ少なかれ知っていれば「少なくともこれがイコールでフェミニズムとなるわけではない」と相対化して理解することができます。

 しかしミソジニストは、当然フェミニズムについて知りませんし、そもそも属性に対する単調で幅のない理解が差別の特徴ですから、フェミニストを名乗る人が喋っていることが全部フェミニズムに聞こえます。

 そして、そういう極端な発言はフェミ叩きに都合がいいので、都合よく利用することになります。こういう過程を辿ることで、「巨乳を差別するフェミ」なるわけのわからない物体が出来上がり、広く共有されていくわけです。

 ミソジニストの特徴
 恐ろしいのは、「巨乳を差別するフェミ」などという妄想は、ここまでに述べた論点からもわかるように、
・「巨乳」=エロではないという理性
・フェミニストは「巨乳」を批判しているわけではないと理解する読解力
・ひとつの思想の中にも幅があるという常識
 のどれか1つでも備わっていれば、おかしいと理解できるものであるにもかかわらず、それができていない人が相当数いるということです。

 裏を返せば、彼らの思考回路は、
・巨乳=エロに直結する下半身性
・Twitterで展開される文量も読みこなせない読解力
・属性の幅を理解できない単調な認識
 から成立しているというわけです。

 ほんとに文明人かよ。