あとかのブログ

海外ドラマを中心に、日々のことや、不意に思い出した思い出等を書き綴ってます。昔、販売の仕事をしていたので、時々家電ことを書いてみたりします。

【バイオリンの音色】小学校時代にいじめられていたクラスメイトのこと【彼女の勇気について】

こんにちは、あとかです

先ほど、TVでたまたま、女性がバイオリンを弾いている映像を観ていて、フラッシュバックしてきた思い出があります。

 

小学校5〜6年生で、私と同じクラスだった、ある女子のことです。

彼女の名前は、仮にNさんとします。

Nさんは、いじめを受けていました。

私自身がいじめに直接加担していなかったとは言え、知っていました。

そのことを止めることもしなかったので、言い訳はできません。

私は、いじめをしていた側の人間です。

 

そんな彼女のことを良い思い出のように語る気はありません。

彼女にとっては、私の想像の、遥かに辛いことだったはずです。

贖罪とも思っていません。

今回は、ここにNさんの勇気のことを書いておきたいと思います。

 

f:id:c089818:20200129004300p:plain

Nさんのこと

Nさんは、身長が高い女子でした。

その年代は男子に比べて女子の方が成長が早いとは言え、際立っていました。

顔も小さく、痩せていて、モデルさんのような体型です。

今思うと、彼女は恐らくアトピー性の皮膚炎だったのだと思います。

肌が乾燥しがちで、肘の内側や首のあたりに、ガサガサしてるところがあったと思います。

その部分が少し血が滲んだりして、コンディションによっては、あまり綺麗には見えないこともあったと思います。

特に不潔ということはないのに、そういった部分を見たガサツな男子から、からかわれ始めました。

その内、彼女の名前を冠した「N菌」という呼ばれ方をされ始めました。

そうなってから、みるみるエスカレートしてきました。

 

Nさんや、Nさんの持ち物にも「触りたくない」、「接触したくない」、「N菌が感染る」という「いじめ」です。

 

Nさんは、

  • 挨拶を返してもらえなくなりました。
  • 話しかけられただけで、嫌がられました。
  • 掃除の際に彼女の机は下げてもらえなくなりました。
  • 給食でも、机を合わせてもらえなくなりました。
  • 彼女が触ったものは、「バイ菌がついた汚いもの」のように扱われました。
  • 給食の食器を重ねてもらえなくなりました。
  • 席替えのくじ引きで隣になった生徒に露骨に嫌がられました。

書きながら、本当にひどいことをしていたと痛感します。

私が思い出せない、Nさん本人には忘れられない行為がもっとあると思います。

担任の先生のこと

担任のH先生は、生徒思いの、かなり良い先生だったと思います。

ダウンタウンの浜田雅功を女性にした感じの、おばちゃん先生でした。

いつまでも独身で、全てを生徒に捧げているという感じでした。 

H先生は、私達に色々なことを経験させてくれました。

  • 毎月のように、「お楽しみ会」としてクラスで出し物会
  • 校外に出て、野外学習が他のクラスに比べて異常に多い
  • 学校の噴水の横の使われていなかった花壇スペースを水田にして、稲作
  • 自分たちの稲を刈り取って、調理実習で炊く
  • 埴輪、皿などの焼き物を作る
  • 買った稲で、草鞋を編む

今の私に、かなり大きな影響を与えてくれたH先生です。

実は、大学に入って、ギリギリまで教師になろうと思っていました。

結局は、民間の会社に入ることになりましたが、それほどの影響でした。

 

後に、母親に聞くと、H先生は一部の親からの評判は悪かったそうです。

中学受験などを控えた高学年で、勉強以外のことに時間を費やし、お楽しみ会の放課後の準備などで、塾の時間を嫌がる生徒もいたからです。

そういうことは確かにあったと思いますが、私達にとっては、とても良い先生でした。

 

H先生は、生徒1人1冊ずつノート渡し、毎日自由に書いて提出するように言いました。

一応自由提出の「交換ノート」でしたが、1日に何十冊も出ていました。

そして、H先生は提出されたノートに、赤ペンで必ず長文の返信をくれました。

子供ながらに、これだけの返信を書くのに「どのくらい時間がかかっているのだろう?」と思いました。

 

そんなH先生ですから、当然Nさんのいじめについては、気づいていました。

私自身のこと

私は、クラス委員長を務めていました。

お楽しみ会や、稲作など、他のクラスにはないイベントが多く、結構苦労した記憶はありましたが、とてもやりがいはありました。

H先生に頼られる、というのは、子供ながらに嬉しかった記憶があります。

 

H先生との交換ノートには、その時好きだったアニメの主題歌の歌詞や、将来の夢、家で起こった面白いことなど、毎日何かを書いて提出していました。

今思うと、初めてのブログみたいなことを、この時経験していることになります。

 

ただ、そのノートには、どうしてもNさんのことを書けませんでした。

先生に幻滅されるのが怖くて、書けなかったのです。

ノートを書く際には、毎回、Nさんのことから目を背けて書いていました。

どう書いて良いかもわかりませんでした。

「私達はいじめをしています。どうにかしてください」とは書けませんでした。

卒業間近のこと

小学校6年生の12月のことだったと思います。

クラスのクリスマス会をすることになりました。

中学受験なども控えて、恐らく最後のクラスでの「お楽しみ会」でした。

 

いつもは有志の何組かが、劇をしたり、手品をしたり、ゲーム大会をしたりしていました。

今回は最後ということもあり、ほぼ全員が何をするとエントリーにしてきました。

私が演目を取りまとめて、プログラムを作成しました。

プログラムを書いた行数は、かなりの長さになったと記憶しています。

そのため、土曜日を朝から、授業をせずに、ぶっ通しで開催することになりました。

(当時は土曜日は休みではなく、お昼まで授業がありました)

 

H先生は、「最後だから、お父さんお母さんも、見に来てもらいましょう」と言いました。

実際に、小学校で最後の子供達を見られる会ということもあり、結構な数の親が見に来ていました。

生徒の人数よりも多かったように思います。

当日、私は司会進行もしましたので、かなり緊張しました。

 

いつもの通り、先生の物真似をいれた内輪受けの劇や、歌を歌ったり、大して面白くもない漫才をしたり、演目は着々と進みました。

 

最後の「ゲーム大会」まで終わって、H先生に「終わりの言葉」をもらう段取りになりました。

そこで、H先生は言いました。

「みなさん、お疲れ様でした。本当に楽しい会でした。

ただ、全員が参加できませんでした。

これまでの会でも、1度も出演していない人がいますね。」

 

それは、Nさんのことだとすぐにわかりました。

きっと、クラスメイト全員わかっていました。

バイオリンの音色

「皆さんもわかっていると思いますが、Nさんが、出演したことがありませんね。

でも、今回は出演したい、とNさんが言ってきてくれました。

ただ、演目提出の締め切りに間に合わなかったので、この時間で披露してもらいます。

あとかさん、良いですね。」

H先生に、不意に名前を呼ばれ、私はビクッとなりました。

私が司会進行役だったので聞いただけだったのですが、なぜか「H先生は怒っている」と感じました。

 

Nさんは静かに立ち上がり、親が並んでいるところに歩いて行って、そこにいた女性から何かを受け取りました。

それはNさんのお母さんに違いありません。

 

Nさんは、ゆっくりと私達の前に立ちました。

その手には、バイオリンがありました。

私達にペコリと一礼し、そして何も言わず、演奏を始めました。

 

バイオリン特有のとても物悲しい音色でしたが、決して寂しい曲ではありませんでした。

彼女がバイオリンを習っていることは、クラス全員知らなかったと思います。

それどころか、私達がNさんについて知っていることは、ほとんどなかったのです。

私達はずっと黙って聞いていました。

長く続く曲で、Nさんは(少なくとも私達がわかるような)ミスをせず、優雅に演奏していました。

いつもは、周りを気にしてオドオドしている感じでしたが、そんな雰囲気は全くありませんでした。

やがて、演奏が終わり、また一礼しました。

 

私達は、何の反応ができませんでした。

やがて私達の後方に立っている親達の列から、拍手が聞こえました。

続けて、私達も拍手をしました。

 

その時、Nさんは、ほんの少し笑いました。

Nさんの笑い顔を見たのはいつ以来だったのか、思い出せませんでした。

 

恐らく、Nさんのお母さんは泣いている様でした。

ただ、私はそちらの方を振り返ることはできませんでした。

最後に

Nさんは中学受験をしていて、私は彼女と卒業後、2度と会うことはありませんでした。

バイオリンの音色を聞いては、今でも彼女のことを思い出します。

あの時、Nさんは強い意志を持って、私達の前に立ったのだと思います。

あんなにひどいことをしていた私達に、あんなに素晴らしい演奏を聞かせてくれた理由はわかりません。

ただ、彼女の「勇気」は、少なくとも何かを目覚めさせてくれました。

  

そして、彼女のバイオリンの音色と私の罪の意識は、一生忘れないのだと思います。

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございます。

 それでは、また次回。

 

読者登録いただける方は、こちらからお願いします。