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愛知全容判明の東浜御殿で町おこし 名古屋・熱田区
江戸時代、徳川将軍を泊めるため今の名古屋市熱田区の海上に造られた「東浜御殿」。明治までの約二百三十年で泊まったのは、三代将軍の家光ただ一人だったという。御殿の詳細な記録は残っていなかったが、一昨年、この御殿の詳細な間取り図が見つかった。これを機に東浜御殿を町おこしに活用しようという動きが熱田で進んでいる。 東浜御殿は、家光の一六三四年の京への上洛(じょうらく)に合わせて、初代尾張藩主の徳川義直が造らせた。東海道の「七里の渡し」の東にあったとされる。御殿のやぐらや石垣は、尾張名所図会や葛飾北斎の浮世絵に描かれて知られていたが、将軍しか入れなかったため内部構造はよく分かっていなかった。 ところが二〇一八年、徳川美術館の原史彦学芸員が、十七世紀に作られた間取り図を徳川林政史研究所(東京)で発見。御殿は東西百二十二メートル、南北百十メートルの広大な敷地に立ち、四方は海に囲まれていたことなどが判明した。将軍は舟で御殿に上陸したとみられる。さらに「御座の間」など建物の配置や柱の間隔も詳細に記されており、御殿の全容が明らかになった。 この発見を受けて立ち上がったのが地元の人たち。「江戸時代、宮宿のある熱田は名古屋で最もにぎわっていた。そのにぎわいを取り戻すきっかけに東浜御殿がならないか」。地元の白鳥学区連絡協議会の中田俊夫会長(72)は、こう期待する。昨年四月には御殿を街づくりに生かす方法を考える「宮の渡し・大瀬子地区まちづくり協議会」を設立し、中田さんが会長に就いた。 メンバーは約二十人。まずは自分たちが理解を深めるため、徳川美術館の原さんを講師に呼ぶなどして勉強会を重ねる。加藤剛嗣さん(49)は一級建築士の技術を生かして、間取り図から御殿の復元図を制作。三次元(3D)画像で、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開した。名古屋学院大の水野晶夫教授(56)も中心メンバーとして精力的に活動する。
協議会は、七里の渡しがあった「宮の渡し公園」に観光客を受け入れる「ビジターセンター」を造る構想を温めている。近くの熱田神宮には年間七百万人が訪れていて、この参拝客を呼び込めば「街に回遊性が生まれ、昔のようなにぎわいを取り戻せる」(水野教授)と考える。ビジターセンターは、名古屋城の天守閣完成に合わせて計画していくという。 (水越直哉) <御殿> 江戸時代に徳川家の将軍が外出した際に宿泊するため、各地に建設された施設。めったに使用されない割に維持管理費がかさむため、ほとんどの御殿は時代とともに廃止された。熱田には「東浜御殿」の近くに「西浜御殿」が造られ、西浜は大名や公家たちが利用した。東浜と西浜を合わせて「熱田御殿」と呼ぶ。名古屋城本丸御殿は尾張藩主の住居、政庁として造られたが、8年後から徳川将軍の宿泊専用となる。3代家光と14代家茂が1回ずつ泊まった。
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