33歳5カ月で史上3位の高齢初優勝を飾った徳勝龍と、バルセロナ五輪で16歳11カ月の五輪柔道競技史上最年少メダリストとなった田村(谷)亮子さんの間には不思議な接点があった。
徳勝龍が通っていた橿原市立光陽中は、当時を知る現狩野晃三校長によると「荒れてました」。そこで、学校は創立50周年行事としてスポーツを通じて勇気、希望を伝えていければと、2000年シドニー五輪に出場する田村亮子選手を、五輪後に学校へ招く計画を立てた。
田村選手と光陽中は縁もゆかりもない。当時の教諭、生徒会が中心となって苦心しながら00年12月に招くことに成功。生徒会で中心的役割を担っていたのが「副会長」の徳勝龍だった。
狩野校長は「人柄が素晴らしい。生徒会役員は選挙で選ばれます。投票だったと思います。垂れ幕をつくったりしていました」と20年前の出来事を振り返った。
思えば今回の優勝も貴闘力以来、20年ぶりの幕尻V。今度は自分が主役となって後輩たちに勇気と希望を与えた。