この謎に対して、次の回答が与えられた。
「同性愛である男性(ゲイ)は自分の遺伝子を残さないが、同性愛を発現させる遺伝子をもつ母や,母の姉妹が、その遺伝子をたくさん残す。だからその遺伝子は消えない」
これはちょうど、色盲の遺伝子に似ている。色盲の遺伝子は、男性では発現するが、女性では発現しない。そこで女性は、色盲を発現させないまま、保因者として色盲の遺伝子を残す。
原理はこれとは違うのだが、とにかく、男性ではなく女性経由で、男性のみに発現する遺伝子が残るわけだ。
詳しくは、次の記事。
パドヴァ大学のカンペリオ=キアーニらの調査によると、男性同性愛者の母と、母方のオバは、異性愛者のそれとくらべ、より多く子をなすとわかつた。つまり、ゲイと血縁ある女は、子沢山。この研究は、「なぜ男性同性愛が存在するのか」という、難問への回答となる。
ゲイのカップルは子作りにむかない。なのに遺伝子は淘汰されぬまま。それは家族の女が、不利を相殺するほど、子孫をのこしたから。
( → 出典 )
それだけ長い時間女の体に存在し、女の繁殖にとって有利な働きを、X上にある男性同性愛遺伝子が持っているとするのなら、たとえ男性同性愛遺伝子が男の体に存在して彼の繁殖に不利になる働きをしたとしても、その不利を十分補いうる。だから男性同性愛遺伝子は消え去らずに残っているのだろう。
( → 出典 )
英文記事と翻訳もある。(ほぼ同趣旨)
→ Why Gays Don’t Go Extinct ,翻訳
もっと詳しい話は、下記で得られる。(単行本)
→ 同性愛の謎 (竹内久美子の本)
→ 竹内久美子 批判
──
以上で話は済んでいるのだが、私なりにコメントを加えておこう。
(1) Y 染色体ではない
同性愛(ゲイ)の遺伝子は、男性だけに発現するので、Y 染色体上にある……と思えるかもしれない。
しかし、上記のように「女を経由」ということであれば、「Y 染色体上にはない」と結論できる。なぜなら、女には Y 染色体はないからだ。
さて。その遺伝子は、Y染色体にあるのではない。これはかなり重要なことだ。このことから、次のように結論できるからだ。
「同性愛という性質は、Y染色体の遺伝子欠損ではない」
通常の遺伝子病は、ある特定の遺伝子が欠落(または機能不全)になり、そのせいで遺伝子病が発現する。しかし、同性愛はそうではないのだ。では、どういうふうにして発現するか? 私は次のように想定する。
「同性愛者(ゲイ)は、Y 染色体の遺伝子そのものは正常であるが、その遺伝子を発現させるための遺伝子(主遺伝子)に異常がある。そのせいで、Y 染色体の遺伝子が十分に発現しなかった」
ここで、その遺伝子(主遺伝子)は、Y 染色体上にはない。そのことは、すぐ上に述べた通り。
では、Y 染色体上にはないとしたら、どこにあるか? X 染色体上かもしれない。しかしそれは、上記のこと(母などを経由)ということだけからは、わからない。X 染色体以外にあることも考えられる。この段階では、何とも言えない。
(2) なぜ同性愛?
その遺伝子(同性愛の遺伝子)が作用すると、どうして同性愛になるのか? そのメカニズムは?
まず、次の事実がある。
「同性愛というのは、肉体器官に異常があるのではなく、脳に異常がある」
「同性愛者(ゲイ)は、不妊であるわけではない。精子をつくる能力もあるし、精子を放出する能力もある。つまり、肉体的な能力はある。ただし、女性と交わる意欲がない」(脳における意欲がない)
このことから、私としては、次のように想定したい。
「同性愛者では、脳の形成期に、男脳でなく女脳になるようになってしまった。つまり、脳の形成期において、何らかの異常があった。おそらく、男性ホルモンが作用しなかった( or 女性ホルモンが過剰に作用した)。そのせいで、男脳でなく女脳になった」
では、なぜそのようになったか? 「男性ホルモンが作用しなかった( or 女性ホルモンが過剰に作用した)」という事実があるとすれば、次のいずれかが推定される。
「 Y 染色体の不作用」
「 X 染色体の過剰作用」
このうち、前者はありえない、と (1) で判明している。とすれば、残るのは後者だ。つまり、「 X 染色体の過剰作用」だ。
これが同性愛者(ゲイ)の原因であるだろう、と推定される。とすれば、その原因となる遺伝子は、X 染色体上にあるだろう、と強く推定される。(断定までは行かないが。)
(3) 性同一性障害との関係
性同一性障害もまた、同性愛と似たようなものである。これらはどう関係するか?
ここで、同性愛に、次の2タイプを考える。
「攻め/受け」
同性愛者では、攻めと受けがある。つまり、男役と女役とがある。(ただし常にそうではなくて、交尾をするときに限る。)
ここでは、精神的には次のように認識できる。
「受け」は、自分が女であると感じているので、男に攻めてもらいたがる。これは、性同一性障害と同様である。「中途半端な性同一性障害」と解釈してもいい。
「攻め」は、女を攻めるかわりに男を攻めたがる。これは、自分が女であると感じているわけではないので、性同一性障害とはまったく異なる。では、何か? 「自分は肉体的に男である」ということを意識して、強く認識しながらも、好きになる相手がどういうわけか男に限られる、というものだ。これは、自分が男であることを少しも苦にしていないので、「軽度の性同一性障害」と見なしてもいいだろう。
以上を段階的に示すならば、次のようになる。
・ 性同一性障害 …… 強度の性同一性障害
・ 受けの同性愛 …… 中度の性同一性障害
・ 攻めの同性愛 …… 軽度の性同一性障害
これらは、段階的なものであるから、その途中となるような中間段階もあるはずだ。それぞれのレベルを 5,3,1 と書くならば、4 や 2 のようなレベルもあるだろうし、 2.5 のようなレベルもあるだろう。
実際、同性愛者(ゲイ)では、そのような中間的な段階がいろいろと見られる。このように段階で認識することが可能だろう。
以上の (1)(2)(3) を、私なりの認識としたい。(いずれも私なりの仮説のようなものだ。(1)(2) は、他の人も同様のことを考えているようだ。(3) は、私の独自の説だ。)
[ 補足1 ]
同性愛者(ゲイ)は、性欲が欠けているのではなくて、性欲が別方向に向かう。性欲自体は、(肉体的な)男性としてそれをもっているのだが、性欲の対象が女性でなく男性となっている。
これはつまり、「肉体は男性だが、精神は女性だ」ということだ。これがつまり「女脳」ということだ。(部分的に)
ここで、「肉体は男性だ」ということを受け入れられば、特に問題なく生きていけるのだが、「肉体は男性だ」ということを受け入れられなければ、もはや現状のまま生きていくことが苦痛となる。肉体そのものを改造したくなる。かくて、性同一障害となって、肉体的に性転換をしたくなる。
このようなことは、(3) のような段階的な認識で理解できるだろう。
[ 補足2 ]
性同一障害となって、肉体的に性転換をした場合には、子供を残すことは不可能となる。(男性器を削除するので。)
一方、同性愛の場合には、子供を残すことは可能だ。実際、子供を残す同性愛者は多い。つまり、同性愛でありながら、異性と交わる人(バイセクシャルである人)は、けっこういる。三島由紀夫もそうだ。同性愛であったが、結婚して、子供を残した。
このように、同性愛者も子供を残す。それゆえ、「同性愛者は遺伝子を残さない」という認識は、必ずしも正しくない。「残しにくい」というぐらいだ。
[ 付記3 ]
本項では、男性の同性愛者だけを論じて、女性の同性愛者(レズ)については論じなかった。
レズについてはどうか? 実は、あまり論じる必要がない。というのは、次の二つの事実があるからだ。
・ 歴史的な事実
・ 生物学的な事実
歴史的な事実とは、次のことだ。
「女性は自分1人で生きることはできず、男性の妻として生きるのが標準だった。その場合、レズであろうとなかろうと、男性と交尾するしかなかった。レズだから女性の妻になる、ということは不可能だったし、レズだから女性を妻とする、ということも不可能だった。レズであっても、男性の妻となるしかなかった」
( ※ さもなくば独身まま一生を終えるしかない。レズとして生きることは不可能だった。歴史的には。)
生物学的な事実とは、次のことだ。
「女性は、男性との交尾の際に、何もしなくていい。ただ寝ているだけでいい。逆に言えば、レズだから男性を拒否する、という選択肢はなかった」
ゲイの男性ならば、女性を相手に交尾が不可能であることもある。(男性器が萎えていて、使用不能の状態である。)しかるに、レズの女性の場合には、そういうことはない。女性器には、「相手によって使用不可能になる」というような状況はない。
結局、この二点(歴史的な事実と生物学的な事実)ゆえに、レズの女性はレズとして生きる道をふさがれていた。レズであろうなかろうと、普通の女性として生きる道しかなかった。
つまり、レズであるかどうかは、生き方の上では差異をもたらさなかった。だから特に「遺伝子が残らない」というようなことは、なかったわけだ。
- ( ※ レズがレズとして気楽に生きられるようになったのは、ごく近年のことなのである。……ただし歴史的には、富裕層に限っては、レズがレズとして生きることもできただろう。しかしそれは、社会的な特権層という、ごく一部のことだ。庶民レベルでは、夫の妻として生きる以外にはなかったはずだ。そこで張れずとして生きる道はありえなかった。)
上のこともあるが、とにかく、次のように言えるだろう。
「同性愛と言っても、男性の同性愛(ゲイ)と、女性の同性愛(レズ)とは、作用機序が異なる。男性の場合は、X 染色体上の遺伝子の過剰作用ということで理解できそうだが、女性の場合は、Y 染色体上の遺伝子の過剰作用ということでは理解できない。(当り前だ。Y 染色体がないのだから。)」
レズビアンというのは、性同一性障害で「男脳」になっている場合との関係も含めて、よくわからない、というところ。そもそも、どうして男脳になるのかも、よくわからない。Y 染色体もないのに。
レズビアンについては、まずは性同一性障害についての研究を進める方が先だ、と思える。
……と思って調べたら、後述の [ 補足3 ] のことが見つかった。そちらを参照。
[ 補足1 ]
すぐ上のことからすると、男脳・女脳の形成には、普通の性ホルモンとは別のものが影響しているのかもしれない。
発生学的には、「生物はもともとは女になる構造だったのだが、発生期に男性ホルモンの影響を受けて、構造部が男性ふうに変化していく」となる。しかし、脳の性差については、違う事情にあるのかもしれない。
よく考えると、脳の性差は、大脳の差というよりは、大脳辺縁系の差と見なす方がいいかもしれない。となると、話はかなり複雑となる。大脳でさえいくらかわかりかけたという程度なのに、大脳辺縁系との関係まで含めるとなると、大変だ。
[ 補足2 ]
上の話を書いたあとで、ググってみたところ、次の情報を得た。
視床下部には先ほど述べたように男女差のある神経核がいくつかあります。そのうちの一部には、男女差ばかりでなく、性指向性によって差があることが知られています。例えば、間質第三核という神経核は、異性愛男性では女性よりも2.5倍ほど大きいのですが、同性愛男性では女性と同程度の大きさであると報告されているのです。
( → 女と男の脳はどう違うのか―脳の性差を究める― )
やはり、すぐ上で推定した通り、大脳辺縁系(ここでは視床下部・間質第三核)に異常があるようだ。
いきなり遺伝子を探そうとするより、(物質レベルで)器質の差をもっと探究するべきなのだろう。
[ 補足3 ]
さらにググると、次の情報を得た。
脳の性差によるものであることを示唆するのが先天性副腎皮質過形成という病気のケースです。これは遺伝的な問題6歳の女児が描いた絵から副腎皮質ホルモンを合成する酵素が欠け、副腎皮質ホルモンが分泌されず、その代わり副腎性アンドロゲンだけが異常に大量に分泌されるという病気なのですが、女の胎児に発症すると、生まれてくる女の子の外性器はやや男型になり、それとともに脳も男っぽくなるらしく、おてんばになり、ままごと遊びは好まないというように行動パターンが男型になることが分かっています。
( → 脳の性差は いかに決定されるか )
副腎皮質ホルモンの不分泌のせいで、副腎性アンドロゲンという男性ホルモンが過剰分泌されるわけだ。これによって、Y染色体がないのに発症することの問題が解決される。
【 関連サイト 】
同性愛者には、天才がたくさんいる。次の記事がある。
私が思春期以降に好きになったり、尊敬したりする人物にはなぜか男性同性愛者か、そう噂される人物が多かったのだ。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、指揮者で作曲家のレナード・バーンスタイン、ポップ・アートのアンディ・ウォーホル、三島由紀夫、エルトン・ジョン、「クイーン」のフレディ・マーキュリー……。
( → 竹内久美子 )
近年では、15歳でノーベル賞クラスの大発明をしたジャック・アンドレイカが、同性愛である。
→ Wikipedia
- ※ 彼は同性愛であることを公言しているが、これは合理的だ。同性愛者は、そのことを公言した方が、うまく同性愛の相手を見つけることが容易になるからだ。身近な領域で探そうとすると、相手を探すのに骨が折れる。その点、公言しておけば、相手を探しやすい。
《 余談 》
同性愛者に天才が多い、ということは、別に不思議ではない、と思える。普通の男性ならば、思春期には女の子にかまけてばかりいるはずだが、同性愛者ならば、女性に興味を持たず、かわりに何らかの関心対象に情熱をむけるようになる。強力な性欲が、異性のかわりに、別の何か(芸術や学問など)に向けられるようになる。……だから、天才的な人物になりやすい、と言える。
そう言えば、男子校というのも、そういう傾向がある。共学の男生徒は、女性のことを気にしてばかりいるが、男子校に入ると、(女性のいない)いびつな環境で芸術や学問に専念するようになる。……灘高校や筑駒は、そういう状況にあると言えるだろう。(私の経験からしてもそう感じる。)
男子校というのは、ちょっと同性愛っぽいですね。(ただしその反動で、大学に入ると……むにゃむにゃ。)
【 関連サイト 】
次の情報もある。
→ 環境要因が大きく影響するようだ
→ 脳の性分化と同性愛
同性愛は、どうも、遺伝子だけで決まるわけではないようだ。
本項で述べたことは、環境要因を無視しているので、いささか短絡的でありすぎたかもしれない。
なお、動物の例では、環境ホルモン(または温度)によって、生物がオスになったりメスになったりすることもある。
こういう例からすると、環境と遺伝子は、けっこう相互に影響し合っているのかもしれない。複雑ですね。
→ http://openblog.meblog.biz/article/2194225.html
この方針は、検討されただけで、最終的には実施されなかったようだ。
ただ、この方針が実施されたら、そのうち日本人は同性愛の人々だらけになるかもしれない。同性愛の遺伝子の方が繁殖力が強いらしいからだ。それは、「同性愛は子供を生まない」ということで、かろうじてバランスを取っていたのだが、そのバランスを人為的に崩すとなると、同性愛の遺伝子が蔓延するようになりかねない。
そうなったら、もう男女の愛は無理だな。異性愛の人々は社会の片隅に押しやられて、男同士か女同士で愛するのが普通になる。
げげげ。
※ 民主党政権ではそうなりそうだった、という話。自民党政権では、なるわけないな。
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それは、両性を持っていた事の裏返しだなとすぐに気付いた。運命のいたずらで、稀に特殊な能力を持った者が現れる。民衆はその天才達を崇めた。腕がより多く付いて産まれた千手観音は、それはそれは、有り難がられたんだ。