Monday, January 27, 2020

「人権擁護」という名の「怠慢」「思考停止」「責任の放棄」「自慰」

すでに以前の投稿で書き込んだが、
「人権」という言葉が表現したい概念は
「現実世界には存在しない」。

そして、それを守る義務も無い。人権という言葉が表す概念には一切の強制力が存在しない。

なぜなら、「王権神授説によって正当化される君主制度」と、
その「君主制度による支配」を否定するためだけに作られた思想だからである。

 そして、「人権」という言葉が表現したい概念は、現実世界で運用するために
費用や手間がかかる。
このため、
「人権という言葉が表す概念を実社会で運用するためにはそのための費用を
 継続的に支出しなければならない」。

しかし、「人権という言葉」はその適用資格を「人が生まれながらにして持っている」と
無条件に規定してしまっているため、
「人権という言葉に基づいて主張すれば、その主張を実現するためのコストは
 無条件にその国が支出すべきである」
という論理がまかり通ってしまっている。

ゆえに、人権という言葉を振りかざすだけで国家や自治体からカネをむしり取ることが可能となり、
これは安易かつ容易に利権と化す。
そして人権を振りかざすだけで他人を・国家を屈服させることができるため、
人権を維持するために発生するコストについては考えなくなってゆく。

ゆえに人権を振りかざす者は往々にして実社会における現実を無視した理想論を
絶対の正義として信奉し反論を許さない独善へと 暴走しやすくなる。

人権派の論客がしばしば現実離れした論理や発言を展開するのは、
おそらく「人権という言葉がいかに不十分かつ非合理的な前提のもとに成り立っているのか」
を表したものであると思われる。