2020年01月28日

「フェミニスト」は名乗りか判定か

● 前段
● ist/ian(~である人)
● クリスチャンとブッディスト
● クリスチャンとフェミニスト

● 前段

nasukun クリスチャン=ミソジニスト 宣言しちゃったよ 
http://lttlleo.seesaa.net/article/473296920.html
自分はフェミニストを名乗ったことはない。
しかし
自分はフェミニストではない、と断言したことも多分ない。

「フェミニストと名乗らない」のはそれも有意味として自分は肯定する。
「女性が女性の人権を主張するのは事実としてフェミニストだ」と思う一方で、
「女性が女性というくくり以外での人権を主張してもラベルを貼られない事実」を考えると、
「なぜ当たり前のことを主張して、フェミニストだけラベルを貼られるのか」で立ち止まる感じ。
もっと言えば
「フェミニストと名乗る/名乗らない」が
「方針表明の踏み絵」みたいな意味を持たされて女性に課されている、そのことへの疑問というか。

「内心の自由への介入」を感じると言えば伝わるだろうか。

「自分はフェミニストなのかもしれないが、
フェミニストとは名乗るものなのかがわからないし、
名乗りが踏み絵になっている現状では名乗ることに純粋な意味がない」

ということを言語化する前の感覚として持っている女性は多いのではないか。


● ist/ian(~である人)

自分が明確にフェミニストを名乗ってこなかったのは、
フェミニストを名乗ると途端に完璧を要求されるとかそういうことよりも、
フェミニストは名乗りなのか判定なのか、そこが宙に浮いているからずっと保留、
が実際のところ。

フェミニストに限定せす ist/ian(~である人)で考えると

ミソジニスト 他者判定:非難の意味で「である」があるのみ 
ミサンドリスト 同上

フェミニスト 他者判定:非難の意味で「でない」が多い

クリスチャン 他者判定:「偽善者」はあっても「クリスチャンでない」はなくない?
ブッディスト 他者判定:「無知、それ違う」はありそう

「私は~を支持する人である」の意味で名乗るのはどれも可能なのだが、
「フェミニスト」は「名乗りを合否判定され否定される」ことが多い。
「自称フェミ」の蔑称もそれである。

※ただし!「自称フェミ」は
「オレが勝手にフェミと判定し、なおかつ正しくないフェミと判定したフェミ」である。
「フェミ」の時点で悪意全開。
自分もトロルから「自称フェミ」、
春名風花アカウントから「フェミを自称する人たち」にされているが、
彼らが嘘つきのクズ人間である自白以外の意味がない。

● クリスチャンとブッディスト

クリスチャン 他者判定:「偽善者」はあっても「クリスチャンでない」はなくない?
ブッディスト 他者判定:「無知、それ違う」はありそう

これは日本在住日本人の自分の感覚で、
キリスト教の本場で「クリスチャンでない」判定があるのかないのかは知らない。

ブッディストと書いているのは海外の「自認ブッディスト」を念頭にしており、
写経をする、禅の教えに傾倒する、これらは「親和」であっても「信仰」ではない。

家に仏壇があり朝晩手を合わせるみたいな日本人は、
信仰の自覚というより習慣でやっていると思うが、仏教徒と呼ぶのが正しいと思う。

自発で信徒になるなら「仏に帰依する」という明確な自覚なしに「信仰の界」に入れないし、
生来で信徒なら最低限「仏を否定する」もなしに「信仰の界」から出ない、と思う。

● クリスチャンとフェミニスト

nasukunの事例を見るまでもなく、クリスチャンとフェミニストは両立できないのだが、
ここでの論点はそこではなく、「名乗るとやけに高い道徳を前提にされる」件。

まずクリスチャン。
どの宗教でもあらゆる人がいるものであるが、
クリスチャンがとりわけ高潔を前提にされるのは、
そりゃぁ、キリスト教が「愛と許しと慈善→高潔」を大々的にアピールしてるからでしょ。

冷静に考えれば
「そうできないからそうせよと説く、つまりほとんどはそうできてない」
が実態ではないかと思われるのだが、
問題はそうできているかどうかではなく、

「ワレワレの宗教は、信仰は、高潔である!!」
のアピールを自分たちでしまくっているから自分たちの首を絞めているんでないの。
自縄自縛しておいて、非キリスト教徒からの偏見みたいに言うのおかしくね?

フェミニスト。
フェミニストは別に高潔なんぞアピールしていない。

女性の人権を返せ、と主張しているのみであり、
女性の人権を否定し隷属させるミソジニーと戦っているのであり、
批判されるべきは、
ミソジニーに迎合してしまうこと、
女性の人権侵害を合理化してしまうこと、
じゃないですかね。

フェミニストは「お行儀よく=従順に」に抗議している。
高潔イメージってどこから来るんですかね。
女性の人権を取り戻すことが高潔? よくわからない。

・・・・・単純に、ゴミソが自分らの薄汚さをうすうす自覚しているから、
それと戦う女性たちが相対的に高潔に見えるだけのことじゃないですかね。

少なくとも自分としては、
フェミニズムは高潔とか高邁とか、そういうものじゃないと思うなぁ。
脱奴隷の戦いに高潔とか言うのが、強者様の「余裕ぶっこいた頓珍漢」。


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posted by Erin at 22:00| Comment(0) | フェミニズム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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